第二話 劇薬
空から降ってきたのは団員たちと因縁のある人物、好意的な知人ではなく劇団を活動休止に追い込んだ敵の腹心だった。
「ここは……?」
落下によるショックからか、謎の怪物から受けた負傷のせいか、ノロブが意識を取り戻すまでには少しの時間を要した。
目を覚ますとベッドに寝かされた彼を劇団の面々がズラリと取り囲み、その処遇などについて話し合っているところだ。
「『鉄の国』だよ」と、イーリスは答えた。
ノロブは自らの無事を確認すると安堵の表情を浮かべる。
「救助していただき感謝します」
ニィハの施した『治癒魔術』は補助的なものだ、たとえ放置していたとしても獣人の特性を持つ彼はほどなく完治していただろう。
「こんなところでなにしてたのさ?」
「じつは――」
険悪な関係であるにもかかわらず、切羽詰まているノロブはあけすけに事情を語りだした。
港町での演劇祭が終了した直後、商人ギルドの幹部であり彼の主人だったサランドロ・ギュスタムは謎の死を遂げた──。
「うそだろ……」とギュムベルトがつぶやく。
『鉄の国』にこもっていた彼らにとっては初耳だ。
港町の支配者を気取っていた男があっけなく死んでしまったことに団員たちは大きな衝撃を受けた。
「ワタシ自身も命を狙われています……」
後任への引き継ぎがあまりにスムーズだったことから、サランドロの死が『鉄の国』との取引を失ったことに対する制裁であることをノロブは確信した。
危険を察知し仲間のもとに身を隠したが、そこで先の怪物に襲われ自身もその対象であることを知る。
隠れ家がバレたのは仲間の誰かに売られたからに違いない。
誰も頼れなくなった彼は異国扱いである『鉄の国』に逃げ込むしかなかったというわけだ。
ギュムはそれを鼻で笑う。
「自業自得だな!」
彼らの好き勝手が許されていたのは地位ありきで立場を追われれば誰も従わない、救いの手をさしのべない。
オーヴィルが襲撃者についてたずねる。
「あの怪物はなんだったんだ?」
残骸を確認したところ単一の素材でできておりとても生物として成立する構造ではなかった。
「こっちが知りたいくらいです……」
見当もつかないというノロブに代わり、ニィハが見解を述べる。
「無機物を従わせるのは魔術のなかではポピュラーな部類です。眠らない番兵として重宝されるゴーレム、死体を動かす【死霊魔術】も近しい技術によるものですわ」
「……厄介事の匂いがする」
【死霊魔術】に苦い思い出のあるイーリスは眉をひそめた。
四年前、とあるネクロマンサーが起こした事件は当時のアシュハ皇国を滅ぼしかけ、女王ティアン・バルドベルド・ディエロ・アシュハ四世を失脚させるきっかけになった事件だ。
エルフのリーンエレが補足する。
「【精霊魔法】でも似たようなことができるわ」
泥人形を遠隔操作する方法はいくつかあり、術師が姿を晒さなくてすむなど傀儡を使うメリットは多い。
正体不明の敵に襲われ続け、切羽詰まったノロブはなりふり構っていられない状況だ。
「無理を承知で頼みます、どうかワタシをここに置いてください」
恥を忍んで懇願するしかなかったが、あまりの厚顔無恥さにギュムは怒り心頭で拒絶する。
「どの口が言ってんだよ!」
劇団が彼らに受けてきた一方的な弾圧は到底許せるものではない。
イーリスは毒殺されかけ復調にはかなりの時間を要した、それでも飽き足らず演劇する場所さえ奪われたのだ。
可能なら殺したかったくらいに憎悪した相手だ──。
「オマエには聞いてない、ワタシはイーリスに聞いているんだ」
下っ端に用はない、決定権を持つ事実上の代表にうかがいをたてているのだとノロブは切り捨てた。
滞在許可ならばグンガ王に求めるべきだが、ドワーフたちとノロブは派手に争った経緯があり直談判はしにくい。
劇団に紛れてしまえば交渉のハードルは下がるという寸法だ。
「この……!」
いまにも飛びかからんとする少年をオーヴィルが速やかに押さえつけた。
一同はイーリスの判断を注視する、彼女がひとこと「出ていけ」といえば済む話だ。
「人狼ってのが気に食わないよな……」
彼女はとうぜん難色を示した、得体の知れない怪物がいつ寝首をかいてくるとも限らない。
「ワタシの体質を恐れないでください、二度と危害を加えないと約束します」
ノロブは心配無用だと主張したが、イーリスが着目したのはそこではない。
「好物にいらん食材を足された気分だよ……」
心底疑問といった口調でそう言った。
「は?」
「野菜サラダに果実を入れられたみたいなさ!」
そして理解が追いつかずに困惑しているノロブに詰め寄り、畳み掛けるようにまくし立てる。
「──野生動物の美しさって機能美にあるわけじゃん、なんで人間を足そうって発想になるのかな、オオカミの時点で完成してるんだから足したり引いたりするとこなんてないよね!」
「いや、なんの……」
論点がまったく別のところに飛んでいることを指摘したいが止まらない。
「もしかしてオオカミのカッコ良さにタダ乗りしようとした? たしかにそれでキミの魅力が三割増しくらいにはなるかもしれない、けどオオカミ側の魅力は七割減なんだよ!」
「いや、そんなつもりは──」
「人間側ばかり得してオオカミ側にメリットがない! 猫耳? うるせー、猫もってこい! って思うでしょ!」
圧倒されて呆然とするノロブにギュムがドヤる。
「得体の知れないバケモノは置いとけないってよ!」
オーヴィルが「そうは言ってないだろ……」と呆れた。
得体の知れないという少年の意見を受けたニィハが捕捉する。
「【ライカンスロープ】いわゆる獣人はその生態が明らかでないことも多いのですが、一説には魔術によって後天的に作られたものとされています」
エルフやドワーフと違い、人狼は魔術により変身能力を与えられた人間であるというのが通説だ。
「──人狼化した者は激しい飢えによって正気を失い、いさかいを起こすことで他者との共存ができなくなるそうです」
人狼にされた人間は月明かりに照らされると姿を変貌させ凶暴化する、その姿が人々をおびやかすため人狼は虐げられ人里に身を置けなくなってしまう。
イーリスが眉をひそめる。
「シンドくない?」
「罪人への刑罰が起源と伝わってるの」
人狼化は肉体強化の魔術ではなく、迫害され人里から追放されるという呪いだ。
飢え、狂い、忌み嫌われ、死よりもつらい孤独の時を過ごす。
「悪いこと沢山したから呪われちゃったんだね」
イーリスはそう解釈したが、呪いは遺伝する場合もあるため獣人だからといって必ずしも罪人とは限らない。
「とにかく、ワタシはこのとおり完璧に制御できています!」
ギュムはそれを否定する。
「嘘つけッ!」
彼の凶暴性は身をもって知っていた。
優秀な暗殺者として取り立てられていなかったら、今頃のたれ死にしていた可能性もあっただろう。
ニィハは続ける。
「長らく恐れられていましたが、銀の武器でつけられた傷は再生せずに死にいたるという脆弱性が発見されていますので、現在ではたいした脅威とみなされていないようです」
弱点を看破されたノロブはとたんに旗色が悪い表情になる。
「……そういうことで、ワタシはもはや無力な存在です、どうか匿ってください」
だとして、すべては身から出た錆だ。
「無理だよ」
イーリスはキッパリと言った。
「港町の運営を支えたワタシの理性に疑問をお持ちですか?」
人間社会に完璧に溶け込んでいたのは事実だ。
「能力に自信があるならなおさら、弱者なら庇う理由もあるけど、みすみす危険を抱え込むわけにはいかないよ」
リーダーの決定に誰もが納得し、ギュムはひときわ大きく首を縦に振った。
ノロブはその光景をぐるりと見渡す。
「……なるほど、仲間たちに慕われおだてられ決定に誰も異議を唱えない、さぞかし居心地が良いでしょうね」
リーダーに浴びせられた皮肉に対しエルフ姉さんことリーンエレが反論する。
「あら、万人が納得して当然の決定だと思うのだけれど」
ノロブはそれを無視してイーリスに詰め寄る。
「今回に限った話じゃない。あなたを崇拝する者たちがはたして正当な評価をくだしてくれますか、間違いを指摘して正そうとしてくれますか?」
イーリスと団員の関係はいたって対等だ。
とはいえ脚本や演出については誰も異議を唱えない、ニィハが意見するときは物理的に可能か不可能かの確認でしかない。
「──演劇のことはまったく知りませんが、ぬるま湯でつくる芸術に革新性がありますか、どれだけの人を感動させられるんです?」
サランドロを増長させてきた腰巾着の言うことではないが、劇団がイーリスの独裁になってしまっているのも事実。
一人の頭の中にある材料だけでどれだけの飛躍が可能だろう、衝突のないところから感動が生まれないのも確かだ。
「ボクの独断で追い出すわけじゃない、誰も歓迎しないだろって話だ」
ノロブは命を狙われていて行き場がない、追い出せば見殺しにすることになる、そこにわずかな同情がなくもない。
だかといって手を差し伸べる義理はないはずだ。
「いいえ、あなたはワタシのような者こそを手元におくべきです」
獣人化していなくてもノロブの瞳はギラギラとした獰猛な輝きを放つ。
彼は本来、旅芸人の一座などとは無縁の存在だ、商人ギルド幹部の右腕を務めた有能な人物である。
『劇団いぬのさんぽ』はゼロからの再スタート、山積みの問題を抱えそれらを解消するための人材も不足している。
なにより彼は関係性の固定化した劇団においてあまりにも異質な存在だ。
──来る者は拒まず去るものは追わず。
「……わかった、おまえの身柄はうちであずかる」
「先生!?」
イーリスの手のひら返しにギュムが悲鳴をあげた。
誰の目から見ても双方は被害者と加害者の関係だ、同じ空間にいるだけで警戒すべき危険分子、平穏を脅かす異物である。
排除以外の選択はありえない。
しかし劇団においては違う、人間の葛藤こそが芸術の根幹であり、人間関係においては衝突こそがドラマの源泉だ。
劇薬を混ぜることで起きる化学反応を確かめもせずに足踏みを続けることを良しとはしない。
まだ誰も見たことのない、自分の頭の中にもない世界を創り出したいのだ──。
イーリスは宿敵の加入を認めるうえで釘を刺す。
「ただし、仲間やドワーフたちに危害を加えたらその時はボクが直接ケジメをとるから」
こうして、人狼ノロブは劇団に迎え入れられることになった。
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