第十話 非常事態


団員たちの奮闘によってイーリスが一命を取り留めた翌日、ニィハはマダム・セイレーンから緊急の呼び出しを受けていた。


今朝、条令によって特定施設以外での演劇活動の禁止が言い渡された件についてだ――。


特定施設とは『劇場』と定められたいくつかの施設を指し、その範囲は『領内』とされており広域での公演が禁止とされてしまったことになる。


結論から言うと、パレス・セイレーネスで『闇の三姉妹』の上演を行うことができなくなってしまったのだ。


「なぜ、演劇にかぎってこのような締め付けが……」


演奏や大道芸が締め付けの対象外になっているのがどうにも不自然に感じられた。


指針となるイーリスが病床にある状況で、通常の運営だけでもやることが山積みだ。畳みかけるように振りかかる窮地にニィハは頭を抱えた。


「新しい文化だからだろうね」と、マダムが感想を述べた。


昨今、演劇を呼び水にした売春行為が横行している。海賊対策のために首都から派遣されてきた正規軍の指揮官がそれを目撃し、問題視したのが発端だった。


女たちが飢えることから国は売春を黙認し、商人ギルドも手付かずで放置してきたが、演劇は個人売春の温床になっており往来で白昼堂々と性行為が行われているとなると看過できない状況だ。


「――玄関口でどんちゃん騒ぎをされると国自体の品格を疑われると判断したんだろうさ。ほら、最近になって人身売買だって規制がされただろう」


東アシュハは建国して一年目だが、方針は皇国時代のものを引き継いでいる。


当時の指導者である女王ティアンは人さらいや人間牧場の横行を問題視し、人身売買を法律で禁止した。

それによって、少なくともパン屋の横で人間が売られるような風景はなくなった。


「……それが本来の役割である娼館での公演も禁止されるとなると、いささか乱暴に感じます」


往来での行為を抑制するため、売春宿における室内での公演を禁止されるのは理不尽だ。


「特例を認めると不平を唱える連中が現れるからね、面倒を避けたんだろう……」


売春目的の客引きの禁止ではなく、公演場所の限定にとどめられたのは温情措置ともいえる。


「――残念だね」


納得しているようでいて、マダムの口調には落胆がにじんでいた。


演劇が売り上げに貢献していたことも惜しかったが、なにより娼婦たちの日常が充実している様子を喜んでいたからだ。


若い娘たちが死んだような眼をして日々を過ごしていたところ、演劇を取り入れたことでやりがいを得た者も少なくなかった。


「なにも解散する必要はありません、しかるべき手続きをして『劇場』に持ち込めばよいのです」


ニィハは胸の前で両の握りコブシをつくると励ますように提案した。


なにも悪いことばかりではない、娼館の客以外にも『劇団いぬのさんぽ』を観てもらうチャンスと捉えることもできる。


「―― 新規開拓の好機と考えましょう!」



    *    *    *



ニィハはさっそく行動に移すことにした。


イーリスは安静、オーヴィルは日課のトレーニング中ということで、まずは近場にいた少年と情報を共有する。


条令について知らされたギュムベルトの第一声はこちら。


「なんスか、それ! いくらなんでも一方的だ!」


当事者にとっては理不尽でしかない。ニィハも同じ思いではあるが、ルールが定められた以上はその中で力を尽くす他にない。


「いまから劇場の下見に行こうと思うのですが、付き添いを頼めますか?」


「もちろん、行きます!」


財布との相談はもともとニィハの仕事であり、劇場の形状、集客数、一日あたりのレンタル料などひととおり確認しなくてはならない。

この町で該当する施設は五つ、演目の規模に応じたスペースを選択可能だ。取り急ぎ、二人は指定された『劇場』をすべて巡ってみることにした。




そして半日が経過――。


ニィハとギュムは歩きどおして日が暮れるまえまでには五カ所の劇場すべてを訪問し終えていた。


ニィハがポツリとつぶやく。


「困りましたわね……」


「まさか、一軒も押さえられないとは思いませんでしたね」


現場に出向くことで詳細の確認こそできたが、劇場はすでに予約でいっぱいになっており来年以降に来るようにと言われ追い返されてしまった。


――演劇禁止令はまだ周知しきっていないはず。


「いくらなんでも情報の伝達が早すぎますわ……」


条令については今朝知ったばかりだ。多くの団体が即座に行動を起こし、あっという間に満席になったとは考えにくかった。


実際、劇場の受付には担当者以外の姿をほとんど見かけなかったくらいだ。



二人が途方に暮れていると、往来で商人ギルド幹部サランドロ・ギュスタムと鉢合わせた。


かたわらには護衛としてノロブを付き従えている。


「……おお、キミはたしかイーリスのところの少年じゃないか。と、そちらのお嬢さんは?」


普段ならば無視してすれ違うところを、めざとくニィハに目をつけると積極的に声をかけてきた。


「わたくしは劇団で制作を担当しております、ニィハと申します」


「これはこれは、いったいどこを探せばあなたのような逸材に出会えるのかと思えば、オレがサランドロだ」


あいさつにと差し出された手をニィハは握り返す。


「その節はうちの者が失礼をいたしまして、申し訳ごさいません」


「いや、こんな美人がいると知っていたらもう少し粘っていたんだがね」


ギュムは二人のやりとりを眺めながら、当日のことを思い浮かべる。


オレが売ると決めたものしか売れてはならないし、オレが売らないと決めたものは絶対に売れない、それがこの町の決まりだ――。


そしてサランドロの言葉を思い返すと、勢いのままに尋ねる。


「もしかして、あんたが劇場に圧力をかけたんじゃないですか?」


勧誘を断った腹いせに『劇団いぬのさんぽ』は追い返せと、あらかじめ劇場側に指示していたのではないかと少年は勘ぐった。



「……あいかわらず率直な男だな、しかしそれは被害妄想だよ」


言いがかりなら突っぱねておけばよいところだが、一言ですべてを察したという態度から、彼にも心当たりがあることが見て取れる。


主人の指示を待たずに、ノロブがその説明を請け負う。


「コンテスト期間中の会場を確保するため、劇場はすべて商人ギルドで貸し切らせていただきました。これは正式な手続きを踏んだものであり、不正などはいっさい行っておりません」


他の劇団が一斉に場所とりを行ったわけではなく、サランドロがすべての劇場を独占したということらしい。


ギュムは食って掛かる。


「正攻法かどうか知らないけど、ギルド総出でやられたら一劇団が割って入る隙なんてないじゃないか!」


「費用を払ってコンテストに参加すればいいだけの話だ」


サランドロはおどけたようなしぐさで嘲笑した。そもそも、条例の内約自体がサランドロの提案によるものだった。


領内のルールが変更されるときには必ず彼に相談が持ちかけられる。売春行為の是正が指示されると、その情報はすぐに彼の耳へと入った。


往来でゲリラ的に行われるものを管理するのは難しいが、今回のルール変更によって劇団は劇場に還元し、商人ギルドはその上がりを徴収することが可能になる。


今後、広告として力を振るうであろう文化をコントロール下に置くという意味でも都合がいい。


「――キミたちはまた来年にでも活動を再開したらいいだろう。すでに優劣が決定している場に新規参入するのは大変だろうけどね」


正式な手続きとは言っているが、あらかじめ劇場を独占した上で条令を発令していたため自由競争ですらない。


彼の前では誰もが泣き寝入りをするしかない、命があるだけ儲けものだ――。



「ところで、ギュムベルトくん、イーリスさんはお元気ですか?」


サランドロの背後に控えていたノロブが唐突に口を挟んだ。


「……ええ、それがなにか?」


ギュムは自らの無力にさいなまれながら投げやりに答えた。


「いいえ、ただのあいさつです、気にしないで。サランドロ、そろそろ……」


「ああ、美人と別れるのは名残り惜しいが、近いうちにまた誘わせてもらうことにしよう」


二人の立ち去り際、ギュムはふと気付く。


「……首、どうしたんですか?」


ノロブの首には新しいとも古いともつかない不自然な傷跡があった。目立たないように着こなしてはいるが、顎にまで達するそれを隠しきれてはいない。


すっかりふさがっているが、命に関わる怪我だったに違いない。


「ああ、転んだ時に引っ掛けたんです。なかなか消えてくれなくてね、古傷ですよ」


――どうでもいいだろ、そんなことは。


好意をもたない者同士、掘り返す気すら起きない。双方、軽口と納得すると速やかに解散した。



「いったん帰ってイーリスに相談しましょう」


「…………」


現状、打つ手がないとニィハは帰還を提案した。しかし、ギュムは険しい表情でサランドロたちの背中を見送っている。


「ギュムベルトさん?」


なかなか消えてくれなくてね、古傷ですよ。


――なかなか消えない?


どう考えても一生残るものと諦めて然るべき傷跡だった。なにより、気を使って触れないことはあっても見逃すようなものじゃない。


――三日前にはなかったはずだ。


イーリスさんはお元気ですか?


別れ際のあいさつにしてはタイミングがおかしかった。


――あのタイミングでわざわざ確認する意味はなんだ?


先日、イーリスを襲った暴漢にアルフォンスが噛み付いた光景が蘇る。


「アイツだ!!」


「……えっ?」


あの夜、自分たちを襲った獣人の正体を確信すると、ニィハをその場に残してギュムベルトは駆け出していた。

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