第四話 劇団会議


――あの人のこと、もしかして女王様かもって考えたことない?


「まさか、ティアン女王のことを言ってるのか?」


「うん」


「んなわけあるか故人だぞ……」


ギュムベルトは今朝方ユンナとした会話を思い出していた。


『ティアン・バルドベルト・ディエロ・アシュハ四世』といえば、国が東西に分かれる以前に皇国として大陸を席巻していた頃にわずか一年間だけ在位していた女王だ。


絶世の美女とたたえられていたが、国力を著しく衰退させたことで民衆の不信を買いついには死罪に処された暗愚の女王。


それが現在、一座の敏腕制作として活躍しているニィハと同一人物だというのはあまりにも荒唐無稽だ。


――絶対にありえない。


たしかに彼女は途方もなく美しく、身だしなみから所作に至るまで高貴な人物だという説得力がある。


しかし、広い国土の最東端に位置するこの港町に、限られた者しか面会していない女王の姿を知る者など存在しないに違いない。



「……ギュムくんはなにをそんなに不貞腐れてるの?」


会話に参加していこない少年にイーリスは呼びかけた。


「あ、いえ……」


夕刻を過ぎ、イーリス、オーヴィル、ギュムベルト、そして雇われ警備員ユージムの四人が集合していた。


この酒場は劇団の理解者である主人の厚意から『殴られ屋』の会場として使用させてもらっている店だ。


酒場は劇団にあやかっての集客を、劇団は宣伝をかねたファンとの交流を目的とした日銭稼ぎとして『殴られ屋』を継続していた。


「――親友だと信じていた男が裏切り者だったんです」


ギュムは今朝、ユージムが約束をすっぽかしたことを責めた。


「許せって、仕事を抜けられなかったんだよ……」


サボりが常習化しているユージムの言葉に説得力は皆無といってもいいが、今回ばかりは本当だ。


「軍隊の件か?」


大柄ゆえ二人分の席を占領しているオーヴィルが反応した、警備隊が慌ただしくしていたことを気にしていたところだった。


「そう、海賊対策で首都から正規軍が派遣されてきて、現状報告と町の案内をさせられていたんだ」


娼館パレス・セイレーネスに常駐する警備兵という閑職ではあるが、ユージムはもともと正規軍の兵士である。


「国境の警備軍だけで余裕って印象だったけどなあ」


「ところが、最近はすっかり押され気味らしい」


海賊たちは屈強さと海上での巧みな戦術を誇っていたが、装備や物量の面で警備軍が圧倒していた。

それが近年になって拮抗し、被害は民間や商船にとどまらず警備軍の軍艦にまで及んでいる。


対抗策として首都から大量の増員があったというわけだ。


「戦争でも始まるのか?」


ギュムが好奇心からたずねると、イーリスがそれに水を差す。


「キミは国家の心配よりも稽古の出来を反省しなさい」


「ええっ、そんなにひどかったですか?」


そこにユージムが口を挟む。


「ひどいというか、いちいち固いんだよな」


スタート地点が同じやつに指摘されると焦りが生じる。比較対象がなければ、自分がここまで落ちこぼれだなんて思わなかったはずなのだ。


「……どこがいけないんでしょうか?」


「こればかりは境遇の問題だと思う。甘えて育って、思い上がって失敗して、そういう当たり前の経験がないから、自然な人間関係の築き方が分からないんじゃないかと思うよ」


幼い頃から大人と対等の仕事をしなくてはならなかったギュムに精神的な少年期はなかった。

生活体験に乏しく、家族がどんなものかも分からなければ、子供たちの遊びも知らずに育った。


「――そんな満たされていない子供が、どうやって家族愛や青春時代なんかを舞台上に持ち込めるのかってこと」


役者としての課題は山積みだ。


「だけど、自分とは違う人間を演じるのが芝居ですよね。出産経験のない女優だって母親を演じるでしょう」


「想像力でまかなえってことだね。他人の体験談から手がかりを得たり、自分の体験から近いものを引き出して紐付けしていったり」


ギュムは「うーん……」とうなる。頭でわかるのと実践できるのとでは雲泥の差がある。

とくに役者はそれが全て、理解したと言っていいのは表現できたその時だけだ。


「――とはいえ、成立してるしてないの線引きは人それぞれだから、最後は自分を信じる力が大切なんじゃないかな」


信じる力が奇跡を起こす――。


それもさんざん言われてきたことだった。演技の評価に勝ち負けもなければ点数もつかない、選んだ表現が最善である保証もない。


出来栄えを数値で確認できない。それがある意味、役者にとっての孤独ともいえた。



ギュムへのダメ出しが一段落すると、仕事の時間だとオーヴィルが立ち上がる。


「よーし、ひと働きするか!」


ならってギュムも立ち上がる。


「行きましょう!」


オーヴィルとギュムが勇ましく席を離れ、イーリスとユージムはそれを見送る。

『殴られ屋』の進行役はギュムに任せて大丈夫、そういう判断だ。



「さて、ここからは連日くりかえされるギュムくんの朝帰りについてです」


イーリスはユージムに向き直ると嬉々として話題を変更した。


「おかしいな、次回作の打ち合わせって聞いてきたんだけど……」


毎日のように新しい劇団が立ち上がるなか、ギュムは手当たり次第に足を運んでは熱心に観劇をしていた。

それはほとんどが女性同伴であり、帰宅が日をまたぐことも少なくない。


「――だいたい、他人が口出しするようなことじゃあないだろ」


「稽古場がこれ以上ピリついたらたまらないんだよっ!」


誘うのはだいたい娼婦(女優)たちからで、端役は持ち回りとして三姉妹役は二十一名、とくに三女役の七名は相手役となるギュムを意識せずにはいられない。


その理由も彼に好意を寄せているというよりかは、べつの女優より低く見られたくないという競争意識からだろう。


優れたリーンエレを演じることは夜の稼ぎに直結する。


そのために相手役のギュムは不可欠な存在であり、生存競争のなかで男女がどうこうなるのは自然な流れだと言えた。


「それがどうやらあいつ、女の子たちに一切、手をつけてないらしい」


「……うそでしょ?」


「いや、なんでも延々と演劇論を熱弁したり、セリフ合わせをはじめたりするらしいよ」


「なにそれ、怖いっ!?」


朝帰りしてきた以上はなにかがあったろうと双方に探りを入れたところ、色っぽい話しは微塵もなかった。


「――あの子バカなのかな、いまの立場なら女なんてより取りみどりなのに」


「そして不貞腐れたユンナがまた稽古をサボると……」


演劇に対するスタンスはさまざまで、皆がもともと役者志望という訳ではない。

稽古をドタキャンするのは当たり前、ちょっとしたアドバイスにもへそを曲げ、説得するにしてもいちいちご機嫌取りが必要だ。


「女の子たちの面倒みるの疲れたよ……」


イーリスはガックシとうなだれた。


「ある程度は聞き流していこうよ。それより、新しい演目をはじめないと客入りがかんばしくないって話しだろ?」


同じ演目を繰り返し見るのはよほどのもの好きだ。それなりのペースで新しい演目をやらなくてはすぐに客足が途絶えてしまうだろう。


次なる目標は新しい演目の上演というわけだ――。



「ユーくんさ、ドワーフのことは詳しい?」


「べつに詳しかないよ、『鉄の国』についてくらいかな」


『鉄の国』とは東アシュハ領内にあって亜人による自治が認められているドワーフの王国のことだ。

この港町からは馬車に乗って往復一日程度の近場に位置し、現在はドワーフ族のグンガ王によって治められている。


「なにそれ、ぜんぜん知らない、聞かせて」


このあたりの出身ならば知っていて当然の常識だが『劇団いぬのさんぽ』はもともと流浪の芸人一座だ、知らないこともあるだろうと、ユージムは説明をしてやることにした。


「『闇の三姉妹』にもあるけど、少し前のアシュハは隣国を侵略したり異種族を滅ぼしたりと容赦がなかった。

なのにドワーフの集落だけは滅ぼされることもなく現在も領内に自治を認められていると、それが『鉄の国』さ」


イーリスは「ほうほう」とうなずいた。


「戦争を続けるためには多くの鉄や武器が必要になる。鉱石なんかの潤沢な土地に住み着くドワーフたちは優れた採掘師であり職人たちだ、減らすよりも取り込んだ方が得策だと軍の偉い人が考えたんだろう」


『鉄の国』は人口二百人にも満たないドワーフの集落で、皇国にとっては滅ぼすのに易い相手だ。


「へえ、職能が種族を救ったんだね。差別とかはされてないの?」


「腕力勝負では分が悪いからね、面と向かってドワーフとけんかしたがるやつはいないよ。

昔は集団で囲むなんて事件もあったみたいだけど、ドワーフはかならず報復してくるからそれもなくなったらしい」


好戦的なのとは違う、二度と攻撃されないために報復を徹底してきた成果だった。


「それでも職人としての腕がなければとっくに滅ぼされてたろうね」


彼らはそうやって人間たちの奴隷になることを免れてきたのだ、イーリスはドワーフに対して素直な尊敬の念を抱いた。


「まさか、ドワーフの話をやるだなんて言い出しませんよね?」


娼婦たちをドワーフ中心の物語にキャスティングするのは無理がある。と、ユージムは茶化した。


しかし、イーリスは身を乗り出さんばかりに乗り気だ。


「そ、れ、だッ!」


「……えっ、なにが?」


「うちの子たちにドワーフをやらせるのは『有り』なんじゃない!」


その提案をユージムはまったく理解できない。


「いや、ドワーフの物語なんて誰も興味を持たないって」


当然、差別的な意味だ。人間同士でも人種の違い、見た目の差で扱いがまったく違ってくるのだから異種族ともなればなおさら。


「ドワーフの物語はウケない……」


売れっ子作家のジオも『やるだけ無駄』と言っていた。


「――だったらさ、観客にそうとは伝えずにやるってのは?」


観客には娼婦たちがドワーフ役であることを伝えない、不当な差別を受けても屈しない美しい女性たちの話として上演する。


物語が進み、観客が彼女たちに感情移入した頃に、それが人間によるドワーフたちへの弾圧の物語であることを明かすのだ。


「自分たちを被害者側であると錯覚させておいて、実は加害者側であることを突きつけるんだ!」


ドワーフの口から言っても響かない。ドワーフ視点の物語でも響かない。ならば一度、ドワーフになってもらう。


「――おもしろくない?!」


しかし、ユージムの反応はかんばしくない。


「そういうの、誰も望んでないと思うよ。『闇の三姉妹』も人間批判か何様だって反発があったし、客層的に女の子のかわいさにしか興味がないんだよ」


劇団のファンに向けてやるぶんにはいいが、娼館の客に向けてやるようなことじゃないという結論だ。


「まあ、そうか……」


イーリスが話し相手にユージムを選んだのは、客観的な意見がほしかったからだ。


ニィハは数字の面からしか異議を唱えないし、ギュムやオーヴィルもイーリスの暴走を制止したりはしないだろう。


マダム・セイレーンに雇われている以上は娼婦たちの宣伝がメインであり、ドワーフのイメージをつけることで成果が上がるとは思えない。


物語性よりおっぱい、それは仕方のないことだった。


「こっちはもう、おっぱいには辟易してるってのにな……」


「それに、なんて言ってエルフ姉さんを納得させるのかって問題もあるでしょ」


先日の様子から、リーンのドワーフ嫌いは相当なものであることが分かった。


彼女は劇団に引き入れるのにも苦労したし、舞台の完成度の半分近くは彼女の精霊魔法を用いた舞台効果にあると言っても過言ではない。


「むずかしいかぁ……」


意気消沈したところ、騒がしい店内にひときわの大喝采が巻き起こった。



「――なになに!?」


イーリスが好奇心に駆られて立ち上がると、騒ぎの中心は『殴られ屋』だった。


受けに徹したオーヴィルは鉄壁だ。けんか慣れした海の男たちも難なく手玉に取ってきた。

劇団が困窮すればちょっくら行って大型モンスターを狩ってくるような、芸人なんかをやっているのが不思議なくらいの猛者である。


しかし、そこには信じられない光景が広がっていた。


イーリスは叫ぶ。


「うちのゴリラがっ!?」


全幅の信頼を置いていた自慢のゴリラが大の字になって倒れており、完全に意識を失っていた。

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