第五話 未知への扉


海賊騒動の一段落から数時間後のパレス・セイレーネス――。


ダラク民族の戦士たちを叩き出した後、避難していた従業員らを召集。なんとか娼館の通常営業へと漕ぎ着けることができた。


マダム・セイレーンは事後確認に来た兵士たちを叱責すると、警備担当の上官を支配人室へと呼び付けていた。

とはいえ兵隊が駆け付けていたら武力衝突は免れず、海賊たちは蛮勇の限りに戦い多くの死者を出したに違いなかった。


穏便に解決することができたのはゲームという建前があったからだ。

海賊たちにとって殴り合いは和解の手段であり、了承して参加した博打だったからこそ大人しく引き下がったのだ。


ギュムベルトは虚空をポカンと眺めていた。


済んでみればいつも通りの景色だが、場合によっては施設が廃墟になっていてもおかしくはなかった。


「救世主だ……」ボソと呟く。


少年は確かに『奇跡』を目の当たりにしたのだ――。



「ギュムベルトさん、さがしました」


振り返るとニィハが小走りに駆け寄って来る。乗りかかった船と、劇団員たちも後片付けの清掃に参加していたのだ。


「なにか用ですか?」


ギュムは敬語で接した。


打ち解けるために同年代の少女に落としこもうと努力もしたが、それが無謀であることを思い知った。

この美しい女性は『あの人たち』の仲間で、所詮親無しの下男が肩を並べられる相手ではないのだ。


「先程、腕を怪我していらしたでしょう。よろしければわたくしに診させてはいただけませんか?」


状況が慌ただしく本人すら気にかけていなかったのだが、警備兵に突き飛ばされた時にできた擦り傷だ。


「なんてことないですよ、こんなもの」


「遠慮なさらないで。水仕事などなさるでしょうし、化膿する危険もありますでしょう?」


ニィハは『治癒術士』だ。先程も海賊の襲撃で負傷した警備兵や、アルフォンスに噛み付かれたイーリスの負傷などを治療していた。


『魔術』を目の当たりにしたのは初めてだった。


行使するには難解な法則を解する知性、加えて魔力制御の適正、そして莫大な時間とそれを支える財力を要する。

一般市民が片手間に習得できるものではなかった。


ニィハは「失礼します」とギュムの手をとって腕を引き寄せた。細い指がススと這う感触に少年は戸惑う。


「その、あのっ、本当に大した怪我じゃないし!」


「怖がることはありませんのよ」


彼女の手がギュムの傷口に優しく当てがわれると、不思議なことに傷口がみるみる内に塞がっていった。

小さな裂傷はもちろん。捻った関節の痛みまでが引いていくのだから感動的だ。



「……劇団って何なんですか?」


これまでにない近い距離感に戸惑いながらギュムは訊ねた。


「どういう意味ですの?」


活動内容については答えたはずだ。再度の質問にニィハは首を傾げた。


「いや、こんなスゲー人たちばかりで、なんだか伝説の勇者様御一行みたいだから」


一人は軍隊が避けて通るほどのならず者どもを薙ぎ払い、一人は魔術を当たり前のように使いこなす。

ギュムから見た彼女たちは明らかに別世界の存在だった。


一座を評価されたことが嬉しかったのか、ニィハがニコリと笑う。まるで隠し事を暴いて欲しい子供のような表情だ。


「一座にとってわたくしはオマケみたいなものです。劇団のあるべき姿や目指しているものをまだ完全には理解できていませんもの」


『劇団いぬのさんぽ』は成功体験を得ていない集団だ。劇団の存在は世間に認知されておらず、演劇の手法も確立されていない。吟遊詩人に類する新しい職業の一つにすぎない。


「もともとは剣闘士と吟遊詩人だった御二人が、何かを始めようとした結果が劇団なのです」


ニィハの言う御二人とは赤毛の女と殴られ屋の大男のことだ。

活動内容を決めるのはイーリスであり、実演するのはオーヴィル。ニィハは主に財布の管理を任されている。


「剣闘士と吟遊詩人か、なるほど」


剣闘士とは殺し合いを見世物にする戦士のことだ。数年前までは全盛だったが、現在はアンダーグラウンドの競技となっている。

そして今は大道芸人と一緒くたになった吟遊詩人。下火になった双方が『殴られ屋』を始めたのは自然の成り行きに思えた。


どうりで赤毛の女は口が回り大男は喧嘩慣れをしている訳だ、とギュムは納得した。



「あの――」


傷はとっくに塞がっている。会話が終われば、今なんとなく掴んでいるその手を放さなくてはならない。

なにか話題を振らなくてはと、ギュムは言葉を捻り出そうとする。


ニィハはそのままの姿勢で優しく微笑みかけ、ギュムの言葉の続きを待っている。


「――その、ニィハさんは女王陛下に似てますね」


それはあまりに突拍子のない話。


「……えっ! そ、そうですかしら!?」


「いや、その、突然変なことを言ってすみません。実物を見たことはないんです。首都はずっと西の方だし、街を出たことが無いから。

ただ、きっとニィハさんみたいな人だったんじゃないかなって!」


ニィハがあからさまに取り乱したので、ギュムは慌てて取り繕った。


実物は知らないが、絶世の美女と名高かった女王だ。引き合いに出されて嫌がることはないと思っていた。

しかし、眼前の女性は途端に居心地が悪そうになってしまった。見え透いたお世辞と取られたか、あるいは女王に悪い印象を持っているのかもしれない。


「気を悪くしましたか?! 女王様、評判悪かったですもんね! 処刑されちゃったし!」


険悪な雰囲気を察したギュムは慌てて取り繕った。


「言われているほど酷くは無かったと思いますけど……」


「あれ!?」


取り繕ったつもりが状況は悪化する一方だ。


「――いや、もちろん。ニィハさんがそうだって言ってる訳じゃなくて、女王様は本当に美しい方だって聞いていたから!

でもずっと気になってて。だって、国と天秤に掛けて個人が勝ったんですよ。


どんな物語があればそんな結末に導かれるのか、それが気掛かりなんです」


歴史的にはすでに『女王は悪』ということで結論が出ている。それを疑う声は聞かないし、今後覆ることもないだろう。


けれど、ここにまだ一人。その背景を知りたがっている少年がいる。


添えていた手に力が込もる。その様子から、それが彼にとって重要な問題なのだとニィハは察した。



「複雑なことはありません――」


態度が一変、ニィハは真っ直ぐに向き合って言葉を紡ぐ。


「境遇や立場のことでは大変な葛藤があったに違いありません。けれど、選択に至った心情はとてもシンプルだったのでは無いでしょうか」


「大陸一の権力と天秤に掛けて死を選んだんですよ?」


葛藤があったなら尚更、途中で思いとどまりそうなものだ。


「ええ、恋をすれば解ります」


だとしたら、自分にはまだ正答を導きだすことは出来ないだろうとギュムは思う。


「それを一言で説明することは出来ないんですか?」


誰にでも解るよう、論理的に分解して正答を導き出す訳にはいかないのか。


「したとして、きっと意味は持たないでしょう」


「なぜ?」


「原理や構造を言語化できる事と、体現できることは近いようでいてまったく異なる。

言語に収めて完結してしまうことはなんの解決にもならないということです。


演劇を嗜む上での心構えとして、わたくしがイーリスによく言われていることですのよ」


彼女の言っていることはよく解らない。言葉にせずどうやって伝達できると言うのだろうか。

王女は正常な判断力を失っていたのだ。そう結論づけてしまえば、いっそスッキリすると思った。


そうすれば今後、解けない疑念に煩わされることもなくなる。



「恋のことは正直よくわからないです。ただ、過ぎて行くだけの人生を劇的に変えたいって願望があって、女王様も似たような感情を持っていたとしたら、一歩を踏み出した時。いったいどんな気持ちだったのかなって――」


どうにかして言葉を紡ぎ出そうとする少年。その手が熱を帯びるので、ニィハは体温の低い両の手で中和するかのようにして握り返した。


そして、小さな唇が疑問への回答を告げる。死を選んだ女王は――。


「きっと、生まれ変わったような清々しさだったでしょうね」



――好きです。


ギュムは出かかった言葉を間一髪飲み込むと、振り払うようにべつの言葉を重ねる。


「どうやったら、劇団に入れますか?!」


此処じゃないどこかへ行きたい。生まれ育った娼館を出て新しいことを始めたい。


どうやって生きていくべきかを考えた時、海沿いの町ということから漁に出るだとか、飲食店をやるために弟子入りするだとか現実的なルートを模索した。

しかしそれらは既に片脚を突っ込んでいることで、望んでいるものとは違う気がした。


町を出ることも考えたが、何のためにと問われたら返す言葉はなかった。しかし今、未知への扉が目のまえに現れたのだ。


「知ることと理解することは違う。それが演劇の原則なら、劇団のことをもっと知りたいんです!」


彼の願いにニィハはシンプルな解答を与える。


「では、直接話してみるべきですわ」


彼女はギュムの手を引くと、一座のもとへと案内すべく開店直後のホールへと向かって歩き出した。

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