最終話 打ち上げ


劇団いぬのさんぽ公演『闇の三姉妹』は無事、その全行程を完了した。

二ヶ月にわたる稽古の日々はたった一度の本番で終了し、皆それぞれの日常へと帰っていくことになる。


培ってきたチームは公演の度に解散する。名残惜しさもひとしおの中、挨拶ひとつで立ち去るのはあまりに味気ない。

素舞台同然だった劇場を速やかに飲食スペースに戻すと、打ち上げへとなだれ込んだ。



「えーっと、皆様の協力のおかげで無事公演を終えることができました。座長に変わってボクからお礼を申し上げます」


イーリスを囲み、娼婦、海賊を含めた三十名のスタッフたちが乾杯の合図を待っていた。


接待担当の彼女を残し、厨房では本番を終えたばかりのニィハ、オーヴィル、ギュムベルトがもてなし用の調理にかかっている。


エルフ姉さんことリーンエレは足並みを揃える気はないようで、役割を終えたと判断するなり自室へと引っ込んでしまった。

異種族である彼女に人間のノリを強要することはできないと、イーリスはそれを黙認することにした。


「――じゃあ解散! ってことで日常に帰って貰っても構わないんだけど。余韻とかあると思うので、お酒でも交わしながら解消していただけたらと思います。

飲食は劇団からの提供です。簡単な料理をウチの連中が準備しているので、どうぞ気兼ねなくおくつろぎ下さい」


百人の入場料が三十人の飲み代で吹き飛ぶことは覚悟の上だ。食材は持ち込みで、酒は消費した分の代金を支払ということでマダムの了解を得ている。

気前が良いようにも見えるが、スタッフたちは役者も含めて完全なボランティアだったので、ささやかな礼のつもりだった。


正直、本公演を成功と呼ぶには心許ない――。


公演までに費やしてきた経費を精算すると収支は大赤字であり、これを生業にしていけるかどうかは今後の課題となるだろう。



「では、カンパーイ!!」


音頭が取られると皆、一斉に酒を浴びだした。海賊たちによる豪快な酒盛りは想定した出費を軽く超過するに違いない。


「せんせーお疲れー!!」


すぐに興奮冷めやらぬ様子の娼婦たちがイーリスを取り囲んだ。


「しんどかったけど、参加して本当に良かった!」


「もう、さっきから涙がとまらなくて!」


ひとつを成し遂げたことによる晴れやかな笑顔は、裸を武器にしているときの彼女たちよりも魅力的に映った。

それが見られただけでも、商売としては胸を張れない赤字の公演もけして無駄ではなかったように思える。


急遽手術が行われた娼婦Dも一命を取り留め、打ち上げと葬式の同時開催なんてことは避けられた。

予期せぬ脱落などあったが、結果的に公演が成立したのは彼女たちの功績によるものだと言えよう。


しかし、無視できない失敗もあったはずだ――。



「というわけで、まずはおまえ、こっちに来い」


感慨に浸りながらも、イーリスは一向に輪に加わってくる様子のないユンナを呼びつけた。


「なに?」


「いや、何? じゃないが」


――なぜ、謝りに来ないのか?


小さなミスなどは補い合えば良い。しかし、展開を無視した暴走は関わった全員を不幸にする。

おかげで決別のシーンが台本とはまったく別の意味を持ってしまったのだ。


「本を書くのにどれだけ苦労したと思ってんの!」


とはいえ評判を聴けば観客の誰もがユンナの暴走シーンを褒めたので、どうにも説教がし難い。


イーリスは続ける。


「稽古では嘘をなくしていく作業だって言ったけど、同時に自分を制する意識は常に持っていなくちゃいけないんだよ?」


感情の抑制に失敗した結果があれだ。


演技とはあくまでも再現である。現実と混同してしまえば自分の人生を破壊しかねない危険を孕んでいる。

喧嘩のシーンの度に相手を怪我させたり、演目が変わる度に相手役に恋をしていては日常がままならないだろう。


「……わたしべつに団員じゃないし、もうやらないし!」


ユンナは責任を感じないほど馬鹿ではなかったが、混乱のあまり公開告白をしたという事実は不貞腐れでもしなければやり切れなかった。


――もう誰とも会わす顔がない! 消えてしまいたい!


羞恥のあまり説教どころではなかった。



ユンナが顔を真っ赤にして俯いていると、それとは別にそこかしこから労いの声が発せられた。

顔を上げると、仕事を終えた三人、ニィハ、オーヴィル、そしてギュムが輪に加わるところだった。


各々、グラスを持って席に着く。


「おまえ、さっきの話だけど――」


声を掛けてきたギュムをユンナは突っ撥ねる。


「うるさい死ね!!」


「なんでだよ……!?」


舞台での告白について何かしらの返答が必要だろうと考えていたが、理不尽な暴言をぶつけられたことで話どころではなくなってしまう。


――だって、告白なんてするつもりなかったのよ!!


ギュムにとってユンナはあまりにも幼く恋愛対象にはなり得ない。

それを理解しているからこそ、しばらく気持ちを伝えるつもりは無かったし、いまの段階で結論めいたことを聴かされても困るのだ。


「……まあ、いいや」


取り合ってくれないのでは仕方がない。ギュムは本題に移ることにした。



「――先生、それで入団試験の結果なんだけど……」


今回の公演は彼の資質を見極め、入団の可否を決定する為に行われたものである。


全財産を叩いてでも叶えたかった入団だったが、今はもう過度の期待はしていない。良い経験をさせて貰った。と、そう思えていた。


「どちらかと言えば、正直向いてないと言わざるを得ない……」


イーリスはバツが悪そうな表情でもにょもにょ言うと、酒を煽った。


公演は大盛況のうちに幕を閉じ、彼の貢献も多大なものだった。良くやったとも思っている。

それでも、適性の有無については稽古を通じて本人もよく理解していることだ。


重い空気が立ち込めると、それを遮ってオーヴィルが助け舟を出す。


「意地悪しないで入れてやりゃいいだろうが!!」


イーリスは反論する。


「芸人になりたがる若者がいたら、まず止めるのが人の道だろ! ほぼ全員が人生台無しにするんだぞ!」


野垂れて死ぬか。賊になるか。身体を売って凌ぐか。結局は野垂れて死ぬか。

強がりを言っていられるのも若くて体力があるうちだけだ。


そんな道を勧めて良い訳が無い。


「人生に関してはすでに台無しになっているというか……」


孤児であるギュムにとって未来への展望など高望みであり、説得の材料としては物足りなかった。


イーリスは腕を組んで唸る。


「んー、団長が良いよって言ったらボクからは何も言えないけどなー」


そして例の如くケモノに責任を添加した。


そこでアルフォンスが一吠え――。


「イイヨ!」


「「言った!!?」」


場の全員が一斉に反応した。


アルフォンス自身、意図したつもりもなければ入団を許可した訳でもない。発した音が偶然そう聴こえたに過ぎなかった。


「ちょ、待……」


――これは入団しても良い流れでは?


ギュムは立ち上がって叫ぶ。


「ありがとうございます、ケダモノ団長!!」


「言ってない! なんか、もにょもにょってしただけ!」


イーリスは反論したが、この流れからでは覆りようがない。

ここぞとばかりにユージムが畳み掛ける。


「よおおし! それじゃあ、ギュムベルトの入団を祝して祝勝会を始めるか!」


「あざす! これからもご指導ご鞭撻の程、なにとぞ宜しくお願いします!」


「おい、ま……!」


拍手喝采が巻き起こり、打ち上げはそのまま新団員の入団祝いへとなだれ込んだ。

ギュムの入団は半ばなし崩し的に認められたのだった。




夜が深けて、月明かりがぼんやりとエントランスホールを照らし出している――。


ギュムが目を覚ますと辺りは静寂に包まれていた。どうやら、力尽きて眠ってしまっていたらしい。


「……ん」


頭を掻いたり首を摩って血行を促しながら、周囲を見渡して状況の確認をする。


飲み始めたのが早かったこともあり、打ち上げは夜通しとならずに解散していた。

自室に戻った者、その場に酔いつぶれている者、ホールはまるで襲撃の跡みたいな有様だ。


「……?」


そんな暗闇の中をロウソクの灯りが忙しなく行き来している。ギュムは目を凝らしてその正体を確かめた。


灯りの持ち主はニィハだ。ゴミを集めたり食器を回収したりしている。

自分を含め、転がっている全員に毛布が掛けられているのも彼女がやってくれたのだとギュムは気付いた。



「……なにしてんすか?」


せかせかと働くニィハにギュムは声をかけた。


「ごめんなさい、煩かったかしら?」


「いや、明るくなってからみんなでやったらいいんじゃないですか……」


日を跨いでダラダラと片付けをしたくない気持ちは解るが、いま一人でやる必要があるのかは疑問だった。


ニィハの返答はすこしニュアンスの異なる内容だ。


「好きなんです」


「えっ……?」


「お祭りが終わったあとの静寂があまりにも愛しいものですから、なんだか勿体なく思えてしまって」


本人曰く、夜更かしついでに片付けをしているという訳だ。

理屈はよく理解できなかったが、好きでやっていることを止める理由もない。


「……手伝います」


しかし見て見ぬふりも無いだろうと、ギュムは新参者らしく仕事を手伝うことにした。



ギュムは集めたゴミや食器を洗い場に持っていくよう誘導する。

二人は会話をしながら片付けを進めた。


「ギュムベルトさん、入団が認められて良かったですね」


「はい、そうですね」


入団について触れられたことで、改めて夢じゃなかったのだと思い返すことができた。

これからはメンバーの一員として、正式に活動に参加するのだ。


――この人たちと。


「いや、でも、正式に認められたかと言えば……」


「心配は無用ですのよ。イーリスはちゃんとあなたのことを評価しています」


「本当ですか?」


「勿論ですわ」


祭りのあとの静寂が愛しくて、眠ってしまうのは勿体ない――。

その言葉の意味をギュムはすっかり理解できてしまった。


暗闇は必要以上の情報を遮断し、静寂は大切な情報を浮き彫りにする。

目的を達成した余韻が色濃く刻まれるこの特別な空間は、能動的に努力した上で人生において数度しか訪れない。


――そんな特別な空間に、二人きり。


彼女たちとは毎日顔を合わせてきたが、この状況で会話を交わすことはあまりにも特別だ。


――この光景をおれは一生忘れないだろう。


十五年暮らしてきた屋敷で、それは初めてみる景色。

同一人物であるにも関わらず、朝も、昼も、夜の暗がりの中でも、彼女は常に新鮮な魅力を纏って見える。


ニィハは美しい。見てくれに留まらず、発言、立ち振る舞いに至るまで、すべてが気品に充ちている。

下民の自分がまさかそんな人物と肩を並べているだなんて、なんだか現実味が無いなとギュムは思う。



「最近のイーリスはあなたの話ばかりですわ。

キツイことを言ったけど、嫌われてないかな……。そう繰り返し言っていましてよ」


それはなんだか見慣れた横顔だ。横顔ばかりを注視してしまうのは、正面に立つのが後ろめたいからだろうか。


「そんな風には見えなかったけど」


「あれで臆病なところがあるのです」


ギュムは視線に気づかれまいとしながら会話を続ける。


「キツく言われるのはできない自分が悪い訳で、当たり前だと思ってます」


自分の至らない部分を人前で指摘される。それはとてもシンドイことだ。

能力を否定されているようで、あらゆる感情がせめぎ会う。

自信を失い鬱を発症するかもしれないし、羞恥から相手に怒りや憎しみを覚えるかもしれない。


それでも、作品のクオリティを高めるためには避けては通れない。


「一度でも拒絶すれば、以後あの人は何も言わなかったはずです。けれどあなたは一度も不平を唱えなかった」


誰だって好んで憎まれたい訳では無いから、弱点を指摘する側にだって負担はある。途中で諦めてしまう者に手を差し伸べてやる義理もない。

自分を否定してくる相手に従い続けるのは困難だが、少なくともギュムは最後まで耳を塞ぐことはなかった。


故に、ニィハはギュムの態度を称賛する。


「――結果、あの人は仕事を全うし、本番でのあなたの活躍があります。

自信を持ってください。今日の成功はあなたの努力の成果なのですから」



――ああ、言ってしまおうかな。


想いを伝えることで関係が悪化するだとか、劇団活動に支障が出るだとか。不思議とそんな心配はなかった。


――この人なら大丈夫。


毎日、顔を合わせていくうちに自然とそう思うようになっていたからだ。


ただ会うだけでは確信できなかったに違いない。

けれど、ひとつの舞台を作り上げるという過程で、お互いの真摯な部分をたくさん見てきたのだ。


ギュムは一息ついて覚悟を決めた。



「あの、聞いて貰えますか?」


「はい――」


ニィハはわざわざ全ての作業を中断してギュムと向き合った。


この時点で彼女はギュムが言わんとしていることに気付いていたし、その結果すらお互いに理解していた。


それで良かった。


――この人に好意を抱くことは何も恥ずかしいことじゃない。想いが結実しないことだってちっとも悔しくなんかない。


恋が実らなかったことに傷付くことは傲慢だ。ギュムはニィハをそんなに安く見てはいないのだから。


「あなたのことが好きです」


告白を聴くと、ニィハはしばらくギュムと視線を合わせ続けた。そして、相手が受け取ることのできる間を見計らって答える。


「わたくしにも、そのように想う相手がいます」


そうだろうな。と、ギュムは事前から知っていたかのようにその返事を受け入れることができた。

公演中にユンナが暴走し、ニィハが助けてくれた時に確信した。そうでなくては咄嗟にあの台詞は思いつかない。


彼女にも愛する人がいるのだ。



「さて、次の公演が楽しみですね!」


ギュムはそれ以上、追求をしなかった。話は済んだとばかりに未来の話に思いを馳せる。


旧帝国の女王がなぜ命を賭してまで剣闘士と駆け落ちしようとしたのか、それが少年の初期衝動。

未知の感覚に対する好奇心から新天地を求め、そして劇団と出会った。


決死の覚悟で公演を立ち上げ、必死の思いで食らい付き。そして、ここに居ることが許されている。


―― なんて大きな一歩だろう。


エルフを愛し、命を捧げた。あのラドルを演じた今ならば、女王の行動の意味を少しは推し量ることができるのだ。


「――またいつか、今日みたいな公演を成し遂げましょうね!」


「ええ、頼りにしています」


ここからは、あのメンバーの一員として道を歩んで行く。


――ああ、それは最高だな。



「人生ってめっちゃ楽しいですね。知らなかった!」


ギュムとニィハは肩を並べて食器を洗った。


薄明かりの中での作業はなんだか秘め事めいていて、いつもなら億劫な雑用も延々と続いて欲しいと思える。


――いっそ、このまま夜が空けなければ良いのに。


そう願った時間も、これから増え続ける一生忘れられない思い出の一つ。

ここから正式に、少年ギュムベルトの劇団生活が始まる――。





【闇の三姉妹】完

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