明日が来る。

暗闇が支配した部屋に汗ばむ気温は扇風機が無ければ過ごせない程に暑く、されど外で鳴く虫はその暑さとは関係なくお構いなしに静けさの中、確かに存在しその生涯を謳歌する。

チクタクと動く長細い秒針は止まる事を知らずに眠りに就けない無邪気に私の心情を乱す。

どうしても寝ないといけない時にこそ寝付けないというのは良くある話で。だからこそネットの海にはそのための対策が幾万と溢れてはいるが未だに自分に合った方法を見つけた試しがない。

小さい頃からこんな悩みを抱えてきたが今と昔で圧倒的に、そして歴然と違うのはその来る明日が自分にとって喜ばしいことなのか。そうではないのかの違いだ。

昔から「人は皆変われる」と人々が口々に飽きもせず言うフレーズだがきっとこれは間違いだ。

これはニュアンス的に「自分の意思で改善できる」が近く、どこか希望に満ちた言葉で語られるがそんな人間は稀だし希望に満ちた格言なんて今の私から見ればそれは子供が作った陳腐なモノに見栄えが良くなるようにと安直にメッキを貼った様なものでそんなモノを、言葉を欲しくはないし見たくもない。そして何よりそんなモノを何も考えていないような人間がまっすぐにそれを見つめて「その通りだと」縦に頷き吹聴した日には始末が悪い。

私風に言うならば「人は変わってしまう」だ。

嫌がおうにも人は変わってしまう。

それを聞いて「適応能力が高い証だ。それは素晴らしいことなのだ。」と言う人が私の前に現れるならば「そうだな」と言い、続けて「他人から変化を強いられるこの世界に対応できる人は良く出来ている」と皮肉を込めて言うだろう。

まあそう言い返して得られるものと言ったら胸がすく感覚と不特定多数の人間からの反感であり、敷居を跨ぐだけで7人の敵を作ってしまう世の中だというのにそんな些細な事で余計に敵を増やしてしまっていては身が持たない。

あえて私も希望的な言葉を使ってみようか。

「雨はいつか止む」「夜は明ける」

簡単に思い出せるこの二つも逆を言ってしまえば「雨はいつか降る」「夜は来る」と簡単に後ろめいた言葉になるのだから少し面白く感じる。

それでも後ろめいた言葉がいつの時代も主流にならないのは「良くありたい」と願う人の強さゆえなのだろう。誰しも「悪くありたい」と願う人間など何処にもいないはずなのだから。

ならば私もそれに倣って名も知らない何処かの居るかもわからない疑わしい神にこう願おう。「明日は明日の風が吹きますように」と。

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