きっとこの気持ちは彼方まで

桃ヶ谷悠

第一章 始縁

第1話 始まりの朝

 もう帰りたい・・・・苦しい。



 その言葉さえ口からでない程疲れている。肩で大きく息をし、心臓の音はひどくうるさい。

 そんな俺の隣で歩く男は「もう少しだから」と言って励ます。こいつはまだまだ余裕そうだ。

 こんなにも苦しい思いをしているのに、どうして俺は歩くのをやめないのだろうか。体が言うことを効かない。今はただひたすらに歩く。


 それから歩くことしばらく、ようやく目的の場所が見えてきた。両手を膝につきながら一歩また一歩と歩みを進める。

 あともう少しだ、そう確信し最後の力を振り絞る。


 最後の一歩を踏み出し顔を上げる。

 

 そこには・・・。正確に言えば淡くぼやけた景色が浮いていた。

「綺麗だな」

 隣の男が言うには綺麗な景色が広がっているようだが、俺にはわからない。疲れすぎて視界もどうにかしてしまったか。

 

 俺達は景色を見ながら少し気持ちを落ちつかせた後、辺りを見ながら歩いた。

 すると遠くの方で誰かが座っているのが見えた。俺はそれに引き寄せられるように近づいていくと、その人物も気づいたのか、こちらを振り返る。

「二人とも遅いよ!はやくこっちに来なよ!」

 少女は笑いながら手を差し伸べる。


 俺は少女のその手をつかもうと手を伸ばした瞬間、




 視界が暗く沈んだ。





 目が覚めると天井に向けて右腕を伸ばしていた。

 俺は今見ていたものが夢だと認識するのにそれほど時間を要さなかった。

 

 伸ばしていた右腕を脱力させ、ベッドに落とす。

「またか・・・」

 最近同じような夢を何度も見るようになった。今日でかれこれ連続10日目。


 2036年4月7日の本日、そんな不思議な夢に苛まされている俺、漸井蒼太ささいそうたはショートウルフの髪型は赤に近いオレンジ色をしている。

 何か特徴的な特技を持っているわけでなく、学習能力も平均より少し上程度。強いて得意な事と言えば、中学3年まで6年間野球をやっていたこともあり、身体能力は人並み以上と自負してる。

 が、高校では何も部活動に参加せずに平凡な高校生活を過ごしてきた。

 

 そんな俺もこの春から高校2年生だ。


 時計を確認するとまだ早朝の4時半。

 もう一度寝よう。そう思い布団を被ろうとした時、置いたばかりのスマホが鳴り響く。

「こんな朝早くに誰からだ・・・?」


 眠気眼をこすりながらスマホを確認する。そこにはよく知る名前があった。

 その名前を見た瞬間に出るのをやめようとも思ったが、こいつの性格上出るまで電話をかけてくるに違いない。


 仕方なく通話ボタンを押すと、電話の向こうからテンションの高い声が聞こえてきた。

「おっっっはよー!!!どう?意識覚醒したかー?」

 意識が飛ぶかと思った。


 通話先の男は話を続ける。

「いきなりなんだけど、今から10分以内にいつもの場所で集合!来なかった時は」

 俺は相手が言い切る前に通話を切って急いで身支度を済ませた。この男の約束を破った時には何がおこるか分からない。それが理不尽なことであろうと。


 ここからいつもの待ち合わせ場所まで約5km。自転車ならぎりぎりなんとかなったかもしれないが神の悪戯か、前日にタイヤがパンクしており使い物にならない。選択できる移動手段は徒歩に絞られた。


 10分以内に5kmを走りきる・・・無茶だ。普段あまり運動をしなくなった俺にとって、走る前から分かりきっているこの出来レース。いや運動不足云々より前に、早朝4時半になんの準備運動もなく全速力って無茶この上ない。

 だが行かなくてはならない。なぜなら行かないことによってわが身に降りかかる災いが計り知れないからだ。行かないより遅刻してでも行った方がまだ軽傷で済むだろう。こういうものは誠意を見せることが大事なんだ。

 そうだ、何か手土産を持っていくことでさらに緩和できるのではないか。


 そう思い立った俺はすぐに行動を移した。近くにあったコンビニに転がりこむようにして入り、最短距離で目当ての物を手に取りレジまで行く。

 精算をするため小銭入れの中身を確認すると大量の小銭とレシート。今は一秒でも惜しい、精算で無駄な時間をかけてる暇はない。刹那逡巡した後、唯一の札である千円札を抜きレジに叩きつける。

「おつりは募金しといてください!!」

 (今日の昼は抜きかな・・・)


 コンビニでの滞在時間わずか5秒に済ませた後、手土産を持って急いで待ち合わせ場所に向かう。




 15分後。俺は待ち合わせ場所である高架下の公園にたどり着く。そこにはすでに呼び出し人がいた。

「はーい5分も遅刻ー・・・あれ、なんで走って来てるんだ?」


 何も事情を知らない俺に尋ねるこいつは篭谷彰人かごやあきと。茶髪は耳を半分程覆う長さで周りは綺麗に整えられている。

 幼少の頃から身体能力はずば抜けており、中学の頃興味本位で助っ人として様々な部活の大会に参加した後、多くの高校から推薦が来ていた。

 学習能力でも他の同学年とは比べ物にならないくらい高く、高校1年の時には模試の判定ではどの大学もA判定。 その他芸術面や様々な分野でも秀でた才能を見せ、当に非の打ち所のない男だった。

 彰人とは幼い頃からずっとつるんでおり、何かと競うことが多かったが、これまで全戦全敗だ・・・


 前に一度「もっと頭のいいやつや、運動のできるやつといた方が彰人の為になるとおもうんだが」と尋ねた。

 すると彰人は「俺は蒼太といるときが一番楽しいし、それが俺の一番の為になっている」と言い、そんな時には俺は彰人とこれから先ずっと一緒にやっていくんだなと実感した。



 満身創痍な俺は経緯説明をした。

「あー自転車パンクしてたのか。それは災難だったな。それはいいとして、これは何だ?」

 俺は必死に弁明しながら、途中買って来た物を彰人に差し出し、それを彰人が聞いてきた。その買って来たものの現状を確かめずに・・・・。

「遅刻してきた上、俺は蒼太の手で潰れたシュークリームを食わされるのか―」

「あ!ちょっ!これは違うんだ!そう・・・一生懸命彰人の事を思って必死に走って来たら、つい力加減が・・・」

 彰人の好物であるシュークリームで買収しようと思ったが、逆効果になってしまった。 


「うーん、一生懸命走ってくるまではよかったのになぁ」

 彰人は腕を組んで何かを考え込む。俺は疲労の汗とはまた違う汗を流しながら、判定を待つ罪人の気持ちになっていた。


 心の中で無罪を主張していた俺を一蹴するように彰人の口が開く。

「そうかぁ、そんなに俺のために一生懸命になってくれたかー。・・・ようし、じゃあもう一回頑張ってもらおうかな!」

 そう言って彰人は後ろを振り返り、自身の鞄からおもむろにマヨネーズを取り出す。

「え・・・なんで今マヨネーズが登場するんだ・・・?」

「今朝は野菜スティックくらいしか食べるものなくてさ。で、その時のマヨネーズなんだけど、余らせちゃってもったいなかったんだよねぇ」

 いやな予感がする。いやもうすでにこの時点で実感している。


 額から流れる汗が止まらない俺とは対照的に、彰人は俺が持っていた半壊しているシュークリームを受け取る。

「前から思っていたんだけど、カスタードクリームとマヨネーズって似てるよな。色もそうだけど、両方とも卵使ってるし、案外一緒に食べてみたらいけそうじゃん」

「いやいやいやいや!その理論で美味しくなったら、ショートケーキと合わせても美味しくなっちゃうよね!?」


 俺の言葉を無視するように、彰人はシュークリームにマヨネーズを刺し、一気に絞り出す。

「食べ物を粗末にするの・・・よくない」

「潰れたままで俺が食べるし、その行為自体がよくない!」

 俺の制止を無視して彰人は注入を続ける。


「いやーさっきは萎んでて見栄え悪かったけど、いい感じに形戻ったねー。しかも中身ぱんぱん。コンビニのシュークリームって上半分くらいスカスカなのあるけど、これならすごい満足感!」

 彰人は満足したのかそのシュークリームを俺に差し出す。

「じゃあはい」

 差し出す彰人の顔はこれ以上ない程に笑顔だ。

「えーっと・・・やっぱり俺がこれ食べるの?」

「あっ・・・嫌なら無理しなくてもいいよ。仕方ないよな、走ってきて疲れてるしこれ以上頑張れないよなー。ごめん俺蒼太の事なんも分かってなかった」

 (今日の彰人はいやに潔すぎる・・・)


 蒼太の嫌な勘が的中したかのように、彰人はスマホをスピーカーに嵌める。

「蒼太に食べてもらえないこの落ち込んだ気持ちを慰めるのに、蒼太が中学生の頃言っていた中二病全開秘蔵セリフ集を流させてもらうな」

「やめろおおおおおおおおおおお!!!!!!!」

 俺は彰人からシュークリーム?を奪い、一口で口の中に放った。


 租借する度、混沌とした味覚に襲われると思い一気に飲み込む。

「おっ案外いけるか?」一瞬そのような手応えを得られたが、マヨネーズとカスタードが混ざったものが食道を通ると、胃の奥の方からこみ上げてきたものを抑えきれず近くの側溝まで走り、全て吐き出した。


「ほんとに食べたよこの人」 

(鬼か!!!!)

 俺と彰人とは昔からこうやって馬鹿ばっかやってきた。


 俺は疲労と気持ち悪さが落ち着くまでしばらく横になり、それを彰人は笑いながら待っていてくれた。

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