猫は被れても喉までは鳴らせない

 花梨さんはビクッと肩を上げ、そろりと後ろを振り向く。


「か、かいちょう、生徒会室の中にいたんですかー!?」

「『いたんですかー?』なんてのんきなこと言っている場合じゃないわ、鮫島さん! あなた今、ロッカー番号を言おうとしてなかったかな? 思わず口走りそうになっていなかったかな?」 

「あっ。……そうでしたー! 番号は誰にも教えちゃいけないんでしたー! カリンうっかりしてましたー! えへへ……かいちょーが止めてくれなければ危ないところでしたー」


 そう言いながら、〝てへぺろ〟って感じに舌を出し、自分の頭をコツンと叩く花梨さん。

 変わり身の早さは目を見張るものがある。姉の前では借りてきた猫のようにキャラが変貌する。


「そうね。これからは気をつけるのよ? 私たち運営側がちゃんとルールを守らなければ、イベントは成り立たないの。鮫島さんも分かるわね?」

「は、はい……ごめんなさい」

 

 本当に申し訳なさそうな表情で、花梨さんは頭を下げた。ボクの知らないうちに、ちゃんと素直に謝れる子に成長していたらしい。


「はい、よく言えましたね!」


 姉はにっこりと笑って、そんな花梨さんの頭をなでなでする。まるで仲の良い姉妹のように。あるいは良い行いをした我が子を慈しむ母のように。

 それにしても今の花梨さんの姿は、親友たるボクが贔屓ひいき目に見ても、猫を被っているようにしか見えない。

 むしろ猫そのものと言ってもいいレベル。本当に気持ちよさそうに目を細め、今にも喉をゴロゴロと鳴らしそうな雰囲気だ。


「ところでー」


 姉は話題を変える接続詞を口にする。


「鮫島さんはこれから私の弟と一緒に旧昇降口へ向かうつもりだったでしょう? でも、ここは時間差をつけて行くのはどうかしら? 一緒に行くと、どうしても匿名性が薄れてしまうでしょう?」 


「んー……はい! かいちょーがそう言うなら、カリンはそうします!」

「ふえっ?」


 ボクは思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。

 二人でガチャを引いて、二人で旧昇降口へ行くことにこだわっていた花梨さんが、姉の一言で、あっさりと考えを変えたのだ。

 見事なまでの手のひら返しだった。


「んじゃ、ショタ君。時間差で旧昇降口へ行ってから、その足で自習室に集合よ! 絶対に逃げちゃダメだからね?」

「に、逃げないからっ」 

「えへへ……んじゃ、カリン先に行ってるからね!」


 花梨さんはご機嫌な様子で手を振って、トコトコと歩いて階段に向かって行った。

 ボクはその後ろ姿を、ただただ呆然と見送っていたんだけれど、花梨さんの後ろ姿が階段に消えていくタイミングで、姉が何かを思いついたような感じで口を開く。


「そうそう、しょうちゃんのカプセルを、ちょっと見せてくれない?」

「あ、うん。いいけど……」


 ボクは言われるがままにカプセル渡す。

 姉はそれを受け取ると、手の上でカプセルをカパっと開けて、中に入っている紙を一度手のひらに乗せて、またカポっと元に戻した。それはテレビに出てくる一流のマジシャンのように流れるような手さばきだった。

 一瞬、手の上から紙が消えたように見えたのはボクの気のせいだろうか。


「よし。中身はちゃんと1枚だけだったね。しょうちゃん、見せてくれてありがと!」


 姉はニコリと笑ってカプセルを返してくれた。


「実はね……ピッタリ用意したはずの中の紙が、私のミスで1枚足りなくなっていたの。もしかすると中に2枚入れちゃったカプセルがあるかも知れないのよ。……しょうちゃんのカプセルは大丈夫だったね!」

「それは大変じゃないか! 機械から全部取り出して、カプセルの中身を確認しないといけないよね。じゃあボクも手伝うよ!」

「ありがとね、しょうちゃん。でも大丈夫よ。美紀さんと名取さんに応援を頼んでいるから、しょうちゃんは気にしないでお勉強がんばって! 今日は帰りにご褒美を買ってくるから、お家に着いたら甘ーいホットミルクと一緒に食べましょうね」 


 そう言って、にっこりと笑顔を見せられると、ボクはそれ以上何も言えなくなる。ボクはコクリと頷いて微笑み返した。まあ、美紀さんと名取さんが来てくれるならば、ボクの出る幕ではないなと思った。


 それにしてもボクたち姉弟の今の会話を誰かに聞かれたら、まるで姉が弟を甘い食べ物と飲み物で餌付けしているように見えるかも知れないけれど、それはきっとその人の勘違いだ。ボクは断じて餌付けなどされてはいない。  


 それからしばらく生徒会室前で談笑してから、姉に別れを告げてボクは一人で旧昇降口に向かって階段を降りていく。

 途中でまだ自分がロッカー番号を見ていないことこをに気付き、カプセルを両手で握り、ギュッと力を込めたその時だった。


 ドンと何かにぶつかって、視界が暗転し、パフッと顔が柔らかい何かに埋もれる感触があったかと思うと、「きゃ!」と短い悲鳴が聞こえた。 

 ボクはその反動で後ろに尻餅をつく姿勢で転んでしまったのだ。


「だ、大丈夫? 弟くん!?」


 心配そうにボクを見下ろすその人は、艶やかな長い黒髪、日本舞踊を嗜む古風な美人顔、そして姉の親友である生徒会書記3年生の工藤美紀さんだった。

 

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