夢見沢カエデの憂鬱(壱)

「はあー、つかれたぁー! はあーっ」


 生徒会室のドアを開けると、張り詰めていた気持ちが一息に緩み、生徒会長席に突っ伏した。生徒会長席とは言っても、ただの事務机なのだけれど。


「うふふ、カエデお疲れさま!」


 優しい言葉をかけてくれるその人は、クラスメートであり生徒会書記の工藤美紀さん。今年は理系志望の彼女とはクラスが離れてしまったけれど、この学園では私の唯一無二の親友だ。

 彼女は一昨年の学園祭で〝ミス星埜守コンテスト〟で私と決勝を争った、黒髪ストレートの和風の感じの美人な女の子。そして気立てがよく優しい女の子。

 

「ホントだよー、ほんとに疲れたよーっ! なんなのあの鮫嶋花梨って子! 私がいつ男を取っ替え引っ替えしたというのよ! ……ねえ、もしかして、他の皆にもそう見えているのかな?」


「うーん、たしかに一部の人にはそう見えているのかも」


「ふぇぇ!?」


「うふふ、冗談よ。星高うちの生徒会長、夢見沢カエデがそんな子じゃないってことは、みんな知ってる! でも……皆の憧れの生徒会長が、そんな素っ頓狂な顔をするなんて、他の生徒会メンバーが知ったらびっくりするでしょうね、うふふふふ……」


「もうーっ、美紀さんのいじわる!」


 私がぷいっと顔を背けると、美紀さんはケタケタと笑い始めた。



 美紀さんの前では私は背伸びをせずに、素直な自分になれる。

 美紀さんの前では、私は――



「でも、あの一年生の子は特異な例だとしても……実際、カエデがたくさんの男子に告白されているのは隠しようもない事実でしょう? はあーっ、モテる女の宿命というやつ? 中には嫉妬する女子がいてもおかしくはないわ」


「ちょっと待って! 私、誰からの告白も受ける気はないし、すべて断っているよ?」 


 私はしょうちゃん以外の男の子に一切の興味がない。

 私はしょうちゃんとともに残りの人生を歩んでいくと決めたのだから。


 だけど、相手が美紀さんだとしても、それは明かすことはできない。

 まだ、〝時代〟が私たち姉弟に追いついていないのだから。 


 

「……それでも、いつかはあなたも、誰かと付き合うようになる。わたしにはそれが……」


 美紀さんの横顔に夕日が差す。

 窓の外を眺める彼女は、どこか寂しそう。


「美紀さんだって……いずれは誰かと付き合うでしょう? 美人だし、気立てもいいし、男の子が黙って見過ごすことはないでしょうに……」


 私がそう呟くと、切れ長の目がキッと私に向けられた。

 その瞳の中に映る私の姿は、ゆらゆらと揺らめいていて……


「あ、一年生が帰っていく!」


 窓の下に真新しい制服姿の一年生の集団が、ぞろぞろと歩いている。

 私は立ち上がり、窓から食い入るようにしょうちゃんの姿を探し始める。


「カエデ……」


 美紀さんの声は聞こえているけれど、今はそれどころではない。


「カエデ……」


 本当はしょうちゃんと一緒に帰りたかったけれど、これから生徒会の打ち合わせがある私は、せめて彼の初下校の様子を目に焼き付けておきたいのだ。


「カエデ……」


 下校時間はクラスによってばらつきがあるから、しょうちゃんはこの中にはいないのかもしれない。それでも私は最後の一人になるまで、彼の背中を探している。


「もう!」


 不意に、私の背中にふわりと柔らかいものの感触が伝わってくる。

 美紀さんが、後ろからそっと私を抱きしめている。


「いじわる……さっきのお返しのつもりなの? わたしのきもち……知ってるくせに……」


 私の耳に吐息がかかるほどの近さで、美紀さんが言った。

 え、美紀さんの気持ち!?


「もちろん、知ってる」


 えっと……美紀さんの気持ちって……?

 まあ、いいわ。あとでじっくり状況を精査すればいい。


「もう! カエデには敵わないなー! あーあ、もうどうでも良くなってきちゃったー!」


 私を抱きしめていた手を離し、ぷらぷら手を振りながら、書記黒板の掃除を始める美紀さん。

 〝美紀さんの気持ち〟を未だに解明していない私は、その姿を見ながらちょっぴり罪悪感を感じている。でも、問題はない。遅かれ早かれ、私の手にかかれば解明できないことなどこの世に存在しないのだ。      


 私には、知らないことなどあってはならない。

 その立場を通すことが何よりも最優先。


 私の唯一無二の親友、工藤美紀――


 彼女は、完全無欠の生徒会長としての私を求めて、この生徒会執行部に入ってくれたのだから。

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