最後の3分間(後編)

 スクリーン中央のタイマー表示がスッと消え、画面が真っ暗になる。

 すると、終わったはずのエンディングテーマが再び流れ始めた。


 スクリーンには再びエンディングの画面が映し出され、それが少しずつ遠ざかっていくと、そこは映画館の中だった。


 つまり、姉と一緒に観ていた映画は、映画館で上映されていたスクリーンをカメラ越しに観ていたというわけで……


 カメラは他の観客の様子を写し始める。

 周りの観客は皆、日本人だ。

 そして、彼らの表情がみるみる青く変わっていった。


 場面が切り替わり、日本の一般的なマンションの一室。

 テレビの前の若い男女の様子がおかしくなっていく。

 顔面が真っ青に変わった女が、男の首にがぶっと食らいついた。


 最後の三分間で全てが変わる映画作品があるというウワサを耳にしたことがある。

 それほど映画に興味のなかったボクは、今観ている映画がそれであることを今の今まで気付かなかったのだ。 

 

 映画は偽物だとは分かっているけれど、舞台が日本という身近な場所に移ることのリアリティーは、思いのほか心的ダメージは大きいわけで。

 

 映画を観た観客が次々とゾンビ化していく場面を次から次へと見せられて、ボクは膝を抱え、ガチガチ歯を鳴らして震えている。



 (((ガタン)))



 突然、廊下の壁に何かがぶつかる音がした。

 ボクの心臓は飛び出しそうになるが、胸の前でギュッと手を握りなんとかそれを押さえ込む。


 その数秒後、今度はバーンと勢いよくドアが開かれた。

 見ると、そこには変わり果てた様子の姉が立っていた。

 その顔は真っ青で……


「うわぁぁぁあああああぁぁぁぁ――――」


 あの映画を観た人はゾンビ化する。

 あれは本当のことだったんだ!


 ボクは慌てて立ち上がり、逃げようとした。

 しかし、ボクの理性がそれを許さなかった。

 変わり果てた姉を一人にしてボクが逃げたら……姉はどうなる?


 思い出せ、思い出すんだ!

 映画の中に何か解決のヒントがなかったか?



 ▽


 実は、私はこの映画の内容を知っていた。

 生徒会副会長を務める友達と映画館で観たことがあるのだ。

 そして、その子からディスクを借りてきたというのもウソ。

 本当は私自身が今日のために購入したディスクなのだ。


 映画館であの最後の三分間を見た時に、私の優秀な頭脳がある作戦を導き出したのだ。



 ――弟であるしょうちゃんと合法的に口づけをする作戦を。



 映画の中で唯一、恋人のゾンビ化を阻止する場面がある。

 それは熱い口づけを交わすこと。

 結局、そのカップルは他のゾンビに襲われて仲良くゾンビになっちゃうのだけれど。


 きっと、その場面を思い出したしょうちゃんは私を救うために口づけをする。

 しかしそれは、いわゆる医療行為。

 姉の私はそんな弟の勘違いによりクチビルを奪われちゃうの。

 そう、これは完全に合法。


 ああ、私のしょうちゃん。

 くりっとした目で私を捉え、ぐんぐん迫ってくるの。


 そこでハプニングが発生。 

 しょうちゃんを待ちきれなかった私は、自分から彼を床に押し倒してしまったのだ。


 夢見沢かえで、一生の不覚!


 私が両手を床に付け、その下で仰向けに倒されたしょうちゃんが、まん丸の目を見開いて私を見つめている。

 これじゃあまるで、私がしょうちゃんを襲っているみたいじゃないの!

 ――実際、襲ってしまった訳だけれど。


「ううーっ」


 私はゾンビらしいうなり声を上げて、しょうちゃんの肩を掴み、ごろんと両者の体勢をひっくり返した。

 ちょっと不自然な動きになったけれど、緊迫状態のしょうちゃんにはそれがゾンビ特有の不可解な動きに見えたみたい。


「お姉ちゃん! 人間に戻って――」


 きゅっと目を瞑り、可愛らしい唇を立ててしょうちゃんの顔が迫ってくる。


 ああ…… しょうちゃん…… 大好き……


 しょうちゃんの唇は想像していた以上に湿り気があり、柔らかくて気持ちが良かった。

 そしてまるで彼が口紅を付けているかのような感触と香り……


 私は悶々とした感情を抱きはじめた。

 もっと、その先へ――


 しかし、意外にもしょうちゃんの唇はすっと離れた。

 そっか、しょうちゃんにとって、これは医療行為なんだものね。

 それでも、私は幸福感に満たされていた。


「ふうー」


 口角が自然と上がるのを抑えつつ、そっと目を開ける。


 だけど、そこに見えたのは。


「よかったですねー、お嬢様。これでようやく人間に戻れましたねー。ほーら、みるみる血色も良くなって来ましたねー」


 棒読み口調の家政婦の喜多きたがジト目で私を見下ろしながら、ハンカチで私の顔をゴシゴシと拭き始めていた。



 ▽



 ゾンビ化した姉を助けようと、ボクが口づけをしようとしたその時、家政婦の喜多きたがボクの肩をがっしりと掴んできた。

 そして、ボクの代わりに姉に口づけをしたのだ。


 家政婦の喜多きたは、両親が不在のことが多いボクたち姉弟の世話をするために雇われているスーバー家政婦。

 音もなく突然現れ、そして用事が済むといつの間にか姿を消す不思議な人。


 そんな彼女が姉に口づけをする場面を目の前で見せられ、ボクは口元に手を当ててあわあわと慌てることぐらいしかできないでいた。


 やがて、ぷはーっとクチビルを離した喜多は、ハンカチを取り出して姉の顔をゴシゴシと拭き始める。

 白いハンカチがみるみる青くなっていく。

 それに伴って、姉の血色もみるみるうちに元通りになっていった。


喜多きたぁぁぁーっ! どうして私の邪魔をするのよぉぉぉー!」

「あらお嬢様、良かったですねー、もうすっかり人間に戻られましたねー」

「ぐぬぬ……」


 姉は顔を真っ赤にして歯ぎしりをしている。


「ささ、これで日本の平和も守られました。皆様お休みなさいませ――」


 手をバンバンと二回叩くと、次の瞬間には喜多の姿は消えていた。

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