お姉ちゃんの勝負下着(前編)

「ど、どうか奥様とかえでお嬢様にはご内密にーっ、何とぞーっ」

「う、うん、分かったよ、誰にも言わないから安心して、喜多さん!」 


 ボクの足下に土下座でもしそうな勢いでキッチンから走って来た喜多。

 それを慌てて止めるボク。

 少しの間を置いて、ボクは思わず吹き出してしまう


「ぼっ、坊ちゃんどうしましたか? その天使のような微笑みは!?」

「あっ、うん、あのさ、いつもは冷静な喜多さんでもあんなに慌てることがあるんだなって……ごめんなさい笑っちゃって」

「あ、そういうことですか……」


 喜多は頬を赤く染め、恥ずかしそうな表情で斜め下に視線を逸らす。

 ごほんと一つ咳払いをして、喜多は目を逸らしたまま話し始める。


「実は私……少々やんちゃな時期がありまして……。警察官だった当時の旦那様に少々世話になったことがあるのですよ。ええ、それはもう、警察官の職務を越えて、いろいろと世話になったのですよ、ええ」


「あ、あの喜多さん!? その話の続きって、ボクが聞いちゃってもいいものなのかな?」


 慌てて口を挟むと、喜多はハッとした表情で自分の口を手で覆った。

 今日の喜多は何か変なんだ。

 ボクが進路についての悩みなんかを話したのがいけなかったんだ。

 それですっかり調子を崩してしまったんだろう。 

 悪いことをしてしまったな。


「ごめんね喜多さん。そしてありがとう。ボク自身が変わろうとすることが大事という喜多さんの言葉は身にしみたよ! あとは自分で考えるよ」


「力不足で申し訳ありませんお坊ちゃま……。ところで、先ほどの私と旦那様のめについてですが、くれぐれも他言無用ということで……」


「えっ、今、馴れ初めって言っちゃった!?」


「あっ、いえいえ、お坊ちゃまが想像なさっているような、男女関係のどろどろしたようなものではありませんですよ? 残念ながら……」


「ううん、ボクはそんな話は期待していないし、全然残念じゃないからね?」


「そうですか、残念です」


「喜多さんが残念なの!? ……まあ、喜多さんが変なテンションに入っちゃったのは、きっとボクのせいだから……。大丈夫だよ、ボク誰にも話さないから!」


「ううっ……お坊ちゃま……ありがとうございます……」


 喜多はエプロンの裾をたくし上げて涙をゴシゴシ拭いている。

 彼女の涙を見るのはこれが初めてだ。


「ぐすん……では、私の秘密を守っていただくお礼と言ってはなんですが、かえでお嬢様についての秘密をお教えしましょう……ぐすん」


「……え?」


「秘密とおっしゃいましても、色々とございますが――そうですね、例えば祥太しょうたお坊ちゃまと外へお出かけになるときには、必ず勝負下着を着用なさることとか……ぐすん」


「えっ!? それってどういうことー?」


「お色は黒でございます……ぐすん」


「ううん、ボクは色を訊いたつもりはないよ?」


 ボクは顔を真っ赤にして首を振る。

 実はボク、姉の下着のことなんてこれまで気にしたこともなかったんだ。

 いや、そうじゃない。

 才色兼備で完璧な姉が、一般人と同じく下着を身につけているという考えに及ばなかったと言った方がいいかも知れない。

 そうか、姉も下着を身につけているんだ。


 しかも……黒か…… 


 でも、勝負下着って、どういう意味なんだろう?

 姉はボクと外出するとき、誰かと戦っているのだろうか。


 うーん…… よく分からないや。

 ボクの頭の中にもやもやしたものが広がっている中、喜多は更に口を開く――


「では、祥太しょうたお坊ちゃまがお使いの抱き枕についての秘密についてなどはいかがでしょうか」


「えっ、ウサギの抱き枕のこと? アレに何か特別な秘密があるの?」

「いえ、アレ自体に秘密は無いのですが」


「そう言えばアレを抱いて寝ていると、なぜだかすっごく癒やされるというか、とにかく良く眠れるんだ。きっとすごーく高価な物なんだよね?」

「ぷっ」


 ボクが目をつぶって抱き枕のことを考えている間に、どうしたわけか喜多が吹き出す音が聞こえてきた。でも、ボクがきょとんとした顔で彼女を見たときには、すまし顔でこちらを向いていた。

 心なしか、口の端がピクピク痙攣けいれんしているようにも見えるけれど。


「おっと、いけません。これは楓お嬢さまに口止めをされている情報でした。今のは忘れてください」

「ええー!? 気になるよー! 何なのさ、抱き枕の秘密って。それがお姉ちゃんとどう関係あるの?」


 喜多は口を閉ざしてそそくさとキッチンへと戻ろうとする。

 ボクは彼女の背中を追いかけて行きながら、話しの続きをせがんだ。




「あら珍しい、しょうちゃんと喜多の二人で朝から仲が良さそうね」

「ひゃう!?」




 ボクらの背後から姉の声が聞こえ、喜多とボクは同時に変な声を上げてしまった。

 振り向くと、星埜守ほしのもり高校の制服に身を包んだ姉がにこやかな笑顔を見せていた。

 緩やかにウェーブした長い髪が、窓から差し込む朝日を受けてキラキラ輝いている。


「ねえ、二人で仲良く何の話をしていたのかしら?」


「えっと、あっ、そうそう、ボクの進路のことについて喜多さんに相談していたんだよ。ね、喜多さん!」


 ボクは決してウソをついてはいない。

 これは真実なんだ。

 すがる思いで喜多に助けを求めようとしたら―― 喜多は忽然こつぜんと姿を消していた。

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