二人で過ごす大晦日
ボクの家では毎年、近所のそば屋さんで買ってきた麺を茹で、これまた近所のうどん屋さんで買ってきた天ぷらを乗せて食べるのが大晦日の定番になっている。
母が茹でた蕎麦は腰があって美味しかったけれど、姉が高校生に上がったときから姉にバトンが委ねられた。姉の作る蕎麦は柔らかくて腰がない。でも、それはボクを思ってのことなので文句を言ったりしたら閻魔様に地獄へ突き落とされるよね。
「ごちそうさまでしたぁ」
「お粗末様でした……あら
「ごめんなさい。エビは固すぎてちょっと苦手なんだ」
実際、ボクはエビやトマトの皮が嫌いだ。口の中にごわごわした物がいつまでも残っているあの感じが苦手なんだ。
「いいのよ、うふっ、
姉はボクの歯形がついたエビ天をボクの箸でつまんでひょいと口に入れる。やや紅潮した頬に手を当てて幸せそうに悶えている。
食べ物を粗末にしないようにと、ボクが口をつけた物まで残さず食べちゃう自然界への慈しみの心が感じられるよね。
「今年の大晦日もお母さん帰ってこなかったね……」
「そうね、ママも仕事で忙しい人だから……ねえ、……
「ううん、そんなことないよ! 姉ちゃんと一緒ならボクは寂しくなんかないよ!」
「しょ……
姉はどこか興奮したような声を上げてボクの頭を抱え込んだ。
姉のぽこぽこというお腹の中の音とどくどくという心臓の鼓動がボクの鼓膜に直接届いている。ボクが息が詰まる前に姉はすっと離れて、さっきよりも更に顔を真っ赤にしながらどんぶりを重ねてそそくさとキッチンへと走って行った。
今のは何だったんだろう?
▽
ボクの家は閑静な住宅街にあるけっこう大きな家だ。あっ、これは自分で言っているんじゃなくて昔は割と頻繁に父の大学時代の友達が遊びに来ていて、その人が来る度に『
父は探偵事務所の代表で母は事務所の会計士をしている。父は昔、警視庁の敏腕刑事だったんだけれど、司法書士をしていた母に大恋愛の末、警察官を辞めて探偵事務所を始めたんだ。
探偵の仕事は順調で事務所はどんどん大きくなっていった。今や13人の部下を抱えるまでに成長し、父も母も仕事が忙しくてほとんど家には帰って来ない。だから、ボクは大きな家で姉と二人暮らしをしているようなものなんだ。
そして今年の大晦日も帰ってこなかった。
毎年この時期になると、100型液晶テレビの前にラグマットを敷き、その上に小さな
「ねえ
「えっ? いいけど……」
「うふっ!」
姉もテレビを正面から観たかったんだろうに、そんなことも気付かずにボクは特等席を独り占めしてしまっていたんだ。
姉がボクの隣に来て炬燵に足を入れてくると、二人の足が絡んでしまう。ボクが気を利かせて横にずれようとしたとき、ボクの肩を抱きかかえて姉が耳元で囁く。
「んふっ、こうしていると暖かいでしょう?」
確かに暖かい。
姉の身体がボクの身体に絡んでいることで姉の体温が直接ボクの素肌に伝わってくる。たったこれだけのことなのにボクと姉の体温が上がってくるんだ。そのお陰でエアコンの設定温度を少し下げることで地球の温暖化に貢献できる。地球環境のことにまで思いが及ぶ姉をボクは尊敬している。
テレビでは大晦日の特別番組『朝まで笑いっぱなし』が流れている。有名芸能人が次々に持ちネタを披露するけれど、お笑いに関しては皆素人なのであまり面白くはない。それなのに、囚人のコスプレをしたお笑い芸人がそれを笑わないとお尻を叩かれるというシュールな番組内容がボクの笑いの壺にハマるんだ。
ボクが大笑いしている間に姉はミカンの皮を剥いて口に入れ『くちゅくちゅ……』と咀嚼して『ごっくん』と喉を鳴らした。
最初はあまり気にはならなかったんだけど、耳元で何度も何度もくり返されて何かしらの意図を感じたボクは姉の方に顔を向けた。
「……えっ、お姉ちゃん?」
「ん!? どうしたの
姉は目を丸くしてごっくんと喉を鳴らした。
驚いたのはボクの方だよ。だって、姉はテレビではなくてボクの顔をじっと見ていたんだ。
だから今、ボクと姉は至近距離で目を合せていることになる。
「あっ、
「えっ、あっ、ミカン……うん、食べたいかも」
「んーっ♡」
姉はミカンを一房、くちびるに
えっ、何?
口移しで食べるの?
ボクがあたふたしていると、姉は口を尖らせて俯いた。
でも、すぐに顔を上げて別の一房をボクの口に入れて微笑んだ。
なーんだ、冗談だったんだ。
「美味しい?
「うん、炬燵で食べるミカンって美味しいね!」
「うふっ、よかったー♡」
くちゅくちゅ噛んでいると苦手な皮が残った。姉は何か大事な物を受け取るような感じで両手をボクの口元に出して来たんだけど。
「あれっ!?
「うん。ボク、皮は苦手だったけど、今度からちゃんと食べることにしたんだ!」
「はあ、そう、そうなんだ……」
いつまでも子供のままでいたくない。ボクは一人前の男として来年こそは姉から独立するんだ。
これはボクが男になるためのはじめの一歩なんだ。
それなのに、姉はボクの成長を喜ぶどころか、酷く残念そうに自分の手のひらを見つめていた。
▽
テレビではお笑いタレントたちが迷彩服を着た男たちにお尻を叩かれている。ボクはゲラゲラ笑っているのだけれど、相変わらず姉はテレビを観ずにボクの横顔を見ている。
「お姉ちゃん、もしかして、他に見たい番組があるの?」
もしそうなら、チャンネルを変えても良いんだ。ボク一人楽しくても、姉がつまらないのならボクは他の番組でも一向に構わない。
「もしかして、お姉ちゃんの好きなアイドルグループが紅白に出ているとか? だったら――」
テレビのリモコンを掴んだその手の上に、姉の温かい手が被さってきた。
驚いて姉の顔を見ると、頬が紅潮して目が潤んでいた。
「ありがと
こうして、今年も姉とボクの二人きりの大晦日が過ぎていく。
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