第十五話 地獄耳の辰蔵


 鈴井重吾の構えはどっしりとして隙がない。

 ひいた左足のかかとを軽く浮かせていつでも仕掛けられる体勢だ。


 対する太牙虎之介はというと――


 ススッ。


 なんと正眼に構えていた剣尖をゆるやかに下降させた。

 床につくかつかないかの位置である。

 地摺り下段と呼ばれる構えだ。


 巌流佐々木小次郎が編み出した秘剣「ツバメ返し」は諸説あるが、上段から剣を振り下ろし、その斬り終わりを狙って踏み込んでくる敵をすばやく斬りあげる二段モーションの業である。


 つまり初太刀は見せ太刀フェイントなのだ。

 だが、いま虎之介が見せた構えは逆であった。


「キエーッ!!」


 裂帛の気合いを響かせて鈴井が渾身の突きを繰り出した。

 虎之介の喉元に向かって剣尖が疾る!

 ――と、そのときだ、虎之介の木刀が電光の速さで跳ねあがった。


 ガツッという音がして鈴井の木刀が宙を舞った。

 虎之介は木刀の峰で鈴井の木刀を跳ね飛ばしたのだ。

 そのまま虎之介は無手となった鈴井の頭上に木刀を振り下ろした。

 ピタ、と規定どおり寸止めで剣尖をとめる。

 その距離は一寸にも満たず、髷の先を撫でるかのような絶妙な位置だ。


「一本勝負あり! 赤、太牙虎之介!!」


 行司がすかさず虎之介の勝ちを宣した。

 刹那、観客が沸騰した。

 勝ち札を握り締めて小躍りするものたちがいる。みな虎之介に賭けていたのだ。


「待ってけろ」


 無念そうに唇を噛みしめて剣武台を降りる鈴井に声をかけたものがいた。

 擦り切れた刺し子の野良着を着た田舎くさい男だ。まだ少年のような顔つきをしている。

 男は鈴井に向かって跳ね飛ばされた木刀を突き出した。

 どうやら返しにきたらしい。


「いらぬ」


 鈴井はそれだけいうと男に背を向けた。




「持ってけえれば薪の代わりくらいにはなんべよ」


 男はぼそりとつぶやいた。風巻大地である。

 大地はおのれに向かって飛んできた木刀を宙でつかみ、わざわざ当人のところまで届けにきたのだが……。


「さっそく敵情視察ですかい?」


 いきなり後ろから声をかけられた。

 矢立と紙の束を持った男だ。派手な格子柄の着物を尻っ端折りにし、手ぬぐいを頭の上に乗せたいなせな姿はなにかの専門職のようでもある。


「おめさん、だれだべ?」


「瓦版屋の辰蔵と申しやす」


 別名・地獄耳の辰蔵とのこれが最初の出会いであった。




   第十六話につづく


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る