第一話 篝火(かがりび)と翳(かげ)
日本という国が徳川家康の下で一つになる少し前の話である。
その土地は年に数度、水害と干害に襲われるまことに不憫な場所であった。
こんなことが続くので土地は枯れ、百姓は逃げ出して行った。
悩んだ末に地主は人々が住みやすい土地にならないものか、と岸間何某という男を頼る。
知り合いのそのまた知り合いが言うことには呪いの類に詳しい人物らしい。そういう経緯で岸間何某に使いを送り、ようやく招待することになった。
地主の歓待を受ける間も無く、岸間という男は土地を見て回った。調査が終わった後に岸間は地主の家に現れてこの土地には悪い神様に気に入られている、と言い出した。
何か良い手立てはないものか。
地主の問いに岸間という男は答えた。
龍を呼びなさい。
龍を神として祀り上げて、悪い神様を追い払うのです。
地主は土地の神主に相談してから、九匹の龍をその土地で神様として迎え入れることを決断した。
これが九竜会議の始まりとされている。
こうして九重の地に新たな神として迎えられた竜たちは四方八方に睨みを利かせて、悪い神様から九重の地を守ったという。
これで終われば良かったのだろうが。この話は、少なくともこれでは終わらなかった。
何とも因果な話だ。と思う。
九重市の本町という場所がある。九重本町とも呼ばれている場所だ。
昔は町の外から来た大学生たちの為に寮が用意された少しお洒落な町だったのだが、例の大学絡みの医療事故が原因で通りを歩く人々の陰も疎らで住人の姿は激減していた。
とにかく九重本町は町が廃れる、という言葉がピタリと当てはまる様相となっていた。
廃アパートから変死体が発見された。
そのアパートは取り壊し寸前のボロだったが住人は健在だった。家賃が安い。特に素性を勘繰られない。というものが住人達にとって魅力的だったようだ。
駈けつけた警察官は身元不明の変死体に必要以上に関わろうとしなかった。
死因は失血性のショック死という非常にありふれたものだったが、アパートの一室に放置されたそれは明らかに普通の範疇を越えたものだったからである。
消化液のようなものを浴びせかけられ溶解させられたとでも言うべきか。
胸部にソフトボールくらいの大きさの穴が開き、頭部前面がごっそりと溶け落ちた死体だった。
しかし、警察もマスコミもまるで示し合わせたかのように事件を大きく扱うことはなかった。
後日、両機関は見解を一転し難事件として発表するのだが不自然な流れを疑問視するものが現れなかったこともまた事実だった。
だが、誰が信じるというのだ。
ある日突然人が竜に生まれ変わり、突如として目の前に現れた別の竜に殺されたなどと。
否。
これは竜を殺し、その肉を喰らう竜の話なのだから致し方ないのかもしれない、
どこかの路地裏をふらつく無頼が一人。
千鳥足で歩く。
どこへ行く、と尋ねられればきっとわからないと答えるのだろうか。
とにかく光のある場所にまで逃げたかったことは間違いない。
歩く。歩く。ポタ、ポタ、ポタ。歩みを進めるごと頭部から血が零れていく。
自分ではわりと便利だと思っていたが欠点もあったのだ。
喉も少し痛い。口内が焼けているのだ。
少し頑張ればやれるかな、と思って火を吐いたのが良くなかったらしい。口がいつものように閉じてくれない。おまけに端の方から血が出っ放しになっているのだ。
なんて最高で、最低な日だ。
一つ山を越えれば、もう一つの山を越えなければならないというヤツか。
べっ、と口から血の混じった唾を吐く。
地面に落ちたそれは予想通りにドロドロに溶かしていた。
よし。これならいける。
何かと五月蠅い大家も、職場の口うるさい同僚も黙らせることが出来る。
栄養が足りていないせいか先ほどからどうにも調子が良くない。レバニラ定食でも食べれば本調子に戻るのか。
「ん?」
ゆるりと五指が開いた。五指の動きに刃が反応しているのだ。
我が腕を覆うウロコを内側から引き裂いて狂猛な刃が姿を現す。
刃に仕込まれた毒液は龍のウロコを溶かす効能を持つというのだから実際、暗殺にはうってつけの武器だった。
無言のうちに葬り去ることが慈悲。
そうだと知るからこそ背後から狙った。
故に最後の最後で獲物と目が合ってしまったことは不幸と言わざるを得ない。
だが、その姿は人だった頃の面影さえ残さず正しくはトカゲと人の中間のような姿だったのだから、やはり慈悲は必要だったのだろう。
「俺に用?」
すい、と間近を横切った。
隠した刃でそっと喉元を撫でただけだった。
ただそれだけで首がごろりと転がり落ちた。
「用は済んだ。家に帰ってゆっくり休め」
首の無い死体を見下ろし、処刑人は行方をくらます。
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