栄光と引き際

中川葉子

栄光と引き際

 俺は漆黒の鉄製のステージから噴き上がるスモークを肩で風を切りながらくぐり抜け、顔が見えるかどうかのところで静かに両手を広げる。両手は握りしめたまま。親指側を上にする。そしてゆっくり握りしめたまま親指側を下にする。


『冷徹なる獣の入場です! 二八度の最高峰王座に座し! 我が団体で、現在過去未来全てにおいて人気のある男!』


 俺は少し前に歩き顔を出す。野獣のような雄叫びをあげ、全身の筋肉が隆起するよう力を込める。レスラーパンツ以外何も身に着けていない俺の身体は石膏像のように映える。


『その男の名は、ジャック・ビースト!!』


 天井を睨みつけ、拳を掲げる。俺の一挙手一投足に総勢二万を超える観客たちは歓声をあげる。一八から始めて三〇年常に団体のトップを走り続けた俺は、常に歓声を浴び続けてきた。これが日常。だがこれも今日で終わる気がする。


 いつもは険しい顔しかしないが、少しニヒルに微笑み客を見渡しながらリングまでの短い道をゆっくりと味わいながら歩く。リングに上がらず、リングの周りを一周し客に体を触らせる。


『ビーストがあんな行動するなんて珍しいですね。もしかすると初めて見るかもしれない。いや初めて王座を戴冠した日もやっていたような? ただそれにしても珍しい』


 実況がぶつぶつ言っているのを鼻で笑い流し、そっと客の元を離れ、リングに上がる。リング中央で入場時にしたポーズをもう一度取り、雄叫びをあげる。スタッフから渡されたマイクを持ち、俺はゆっくりと話し始める。


「今日の日を楽しんでるか? 今日は年に一度の祭り。この日勝つことができれば、この団体でいや世界でスターになれる日。すでに何試合したんだ? 俺以外のやつは雑魚だから試合を見てすらないが」


 マイクから口を離しゆっくり周りを見渡すと客が明るい笑顔を浮かべている。もう一度マイクに向かい声を発する。


「みんなもそうだろう? 他の奴らの試合に興味があるか? 俺の試合を見にきたはずだ」


 そう言葉を放ち、俺は天井を見上げる。俺にはもったいないほどの煌々とした色々な色のライト。全ては俺を照らすために輝いている。

 スタッフに合図しパイプ椅子を出させる。リングに投げ込まれたパイプ椅子をリング中央に置き、足を組み腰掛ける。


「さて今日はみんなに話がある。俺が出るメインイベントの前にな。じゃないとみんなは俺の話を聞かなくなる」


 鼻の頭をかきながら、眼に静かに力を入れる。客は静かになる。


「正直俺は今日出なくても良かった。すでに俺は完全な地位を手に入れている。本来メインイベントは、新進気鋭の若手や、人気のある中堅スターに譲るべきなんだよ。ただ、年に一度の祭りでどうしても試合をしたい男がいた。俺と同時期にデビューしたあの男と。名前は言わなくてもわかるよな?」


 客が歓声をあげる。『ジャック! ドラゴン!』と叫ぶ。俺は満足し頷く。マイクを持っていない左手で声を鎮めるよう少し空気を下に抑えつける。


「そう、ジャック・ドラゴン。一時期はジャックブラザーズとして俺とタッグを組み、この団体を絶望の底に陥れた仲間だ。あの頃は龍と獣が猛威を振るったよな?

 なんでその男と俺が対戦したいか、それもこの大舞台のメインイベントでわざわざするのか、その理由をみんなに教える。心して聞くんだ。後世に語りついでくれ」


 実況席が少し困ったような動きをしているのを傍目に誰にも言っていない理由を告げる。客は何も知らず騒いでいる。だがなぜか客の声は聞こえない。


「ドラゴンとは同期デビューで、あの頃は今の俺とは比べ物にならないくらいの身体があった。俺もその頃は今よりも筋肉あったがな。俺と並ぶほどの身体を持っていた。プロレスラーというよりはボディビルダー二人のようだった。

 俺は体の衰えを感じながらも鍛えている。そのおかげでこの歳でも石膏像のような身体を維持している。一時間戦えと言われたら戦ってなおかつ勝つ自信がある。それが体力に溢れた若者だろうとな」


 ゆっくりと立ち上がり、両手を天に掲げる。筋肉を誇示し周りを見渡す。客の声は以前聞こえないが、喜んでいるように見える。椅子に再度腰掛ける。


「だが、ドラゴンはどうだ? 割れていない腹筋、萎縮した大胸筋、見えない広背筋あいつは今筋肉のおかげではなく、脂肪のせいで脇が締まらない。

 試合も惨めなもんだよ。後輩に気を使わせて勝たせてもらってる。みっともなくないか? 俺はそう思う。あんな男ドラゴンじゃない今のあいつはスネークだ」


 一度声を止め、俺は俯く。なぜか涙が溢れる。今は仕事だ舞台にいるんだと心に強く念じ、俺は涙を止め前を向く。


「俺の選手人生は今日で終わりだ。残念だが。そしてあいつの選手人生、いや、人生を今日終わらせる。すまないメインイベントは、試合ではないただの事件現場になる。時間無制限反則裁定なし三カウントのみでの決着とする。俺は三カウントはとらない。あいつが死ぬまで攻撃を続ける。

 俺たちは一つの時代を築いた。だが、時代は終わらないといけない。今まで若い世代に終わらせてもらおうとした。だがあいつらにはできなかった。たとえ俺が刑務所に入ろうが、俺は一つの時代を終わらせる。

 ジャック・ドラゴン。いや、相棒……早くやろうや」


 入場口に眼をやると、スモークの向こうから相棒ではなく、老いた中年の男がニヤニヤしながら出てくる。それを見た瞬間俺はなにかが爆発した。立ち上がりパイプ椅子を蹴り飛ばし男の元に駆ける。頭を殴りつけると入場口で男は倒れる。「なんで? なんで?」と小さく呟いているが気にせず、数十発顔を殴りつけ、担ぎ上げリングまで連れて行く。リング上でパワーボムの体勢をとり、ロープ越しにリング下へ投げ落とす。呻きながら蠢く男を睨みつけながら、コーナーに登る。さようならそう心で俺は呟き、頭を踏みつけるように落下する。


 一つの時代は終わり、ついでに一つの団体も消えるだろう。俺の入場とともに焚かれるスモークはなく、俺を照らすスポットライトはもうなくなる。


『獣と龍が今日も団体を席巻しています! 彼らの勢いは留まることを知りません! この二人は歴史に残るタッグチームです! 彼らは永遠に名前を残すでしょう』


 いつの日かの実況の声が聞こえる。我に返ると地面が見える。どうも警備員に取り押さえられたようだ。口の中に入れていた毒袋を噛み、むせながら一気に飲み込む。


「ありがとうそしてさようなら」


 薄れゆく意識の中で俺は小さく呟く。

 

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栄光と引き際 中川葉子 @tyusensiva

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