第187話 4ー4

 私は、明が羨ましかった。

 そうなるように望まれて産まれてきた。産まれたことすら、私にとっても計画の内だ。

 確定された才能。何もかもを超える器。恵まれた環境。

 引き継がなければならない、絶対なる使命。


 明が産まれた時、私は同情ではないが共感を覚えた。理由が定められた産まれ。珠希とはまた異なる望まれ方。原初こそただの気まぐれ、望まれてすらいない産まれだったのに、私と同じようになった。

 それを祝おうとか、呪おうとか、思わない。

 ただ、同じ目線になれたのではないかと喜んだだけだ。


 その身に神気も宿して産まれ、在り方から何から、私に似た。そんな何でもないことが喜ばしかった。私に共感できる人間は明一人だと理解していたから。寄り添うことは紗姫でもできる。私の心を理解してくれる。

 だが、始まりから終わりまで。全てを埋めてくれるのは明しかいなかった。

 産まれた時点で全ての陰陽師を超す知識を持ち。


 それらの知識も記憶もかつての下っ端だったクゥ如きに封印され。

 珠希に会えば全てを思い出すように契約していたくせに時期ではないとクゥが判断し、金蘭が黙認した。

 この一件については私に相談があっても良かったと思うが。


 そのせいで成長の阻害が発生した。康平から教わる予定だった知識なども繰り越しになり、明の陰陽師としての成長も六歳以降意図的に滞った。

 クゥは変わりすぎた世界に順応させるためにあえて記憶を封じ込めたようだが。それと珠希が一切思い出さないことを危惧したのだろう。明だけ記憶が戻っていたら、明だけが苦しむ。


 本当の理由はそれだ。明だけを苦しめたくなかった。それを色々理由をつけて誤魔化しただけだ。あのツンデレ狐め。

 明が産まれて、珠希が産まれたことを確認して。しばらく待てば全てを終わらせてくれるからと特に観察せずにゆっくりと余生を暮らそうと最低限の世の中の移ろいと妖や神との会合だけ行って過ごしてきた。


 だから十歳になる前に明と久しぶりに話して、結構の日時を決めようと思って難波家に向かってようやく気付いた。

 ただの名家の子どもになっていたことを。たかがプロの七段程度の実力で止まっているなんて知りたくはなかった。そんな段階はとっくに飛び越えて私に匹敵する力を備えていると思っていたのに。


 珠希は仕方がない。家が一般の家で、本家にずっと居られるわけでも優秀な師匠がいたわけでもない。それに優先すべきことは記憶と身体の馴染みだ。彼女の場合霊気と神気を取り戻せば細かいことはどうとでもなるのだから後回しでも良かっただけだ。

 それでも、明との術比べは楽しかったわけだが。できうることを、その時の最大限の手札で私を魅せてくれた。記憶がない段階では満点をあげても良かった。記憶のない明なんて面白くて吹き出してしまったわけだが。


 その後ゴンを呼び出し、私一人で事情を聞いた。出てくる出てくる言い訳。だから逆に、珠希が完全な状態になるまで諸々の情報規制をするように、破ったら全ての毛根が艶を失くす呪いをかけてやった。

 星見によって明が記憶を思い出すように。そうして身体と記憶を明と珠希で順応するように時間をかける手段に移行した。幸い明と珠希は面白い契約をしていたので、それに乗じたわけだ。


 事実、明の記憶はまだしも珠希の記憶はどうしようもなかった。それに合わせた結果だ。

 クゥの後に呼び出した金蘭は記憶の問題とちょっとした恋心からの悪戯と言ったところか。面倒くさいと純粋に思った。同時に人間の女らしいと。


 吟も時の流れに任せると放置。特段何かの異能や陰陽術が使えるわけではないあいつはそうやって待つことしかできなかったんだろうが。

 星を詠んでも、大きな支障があるわけでもなし。前に視た通り時期的なズレはなく、計画通りだったためにそのまま進めた。


 土御門も賀茂も、必要悪として利用しただけだ。あの愚か者どもが大きな顔をしているのは腹立たしかったが、問題を起こしてくれて珠希の尻尾が増える事態になればそれを利用するだけだった。それで誰が傷付こうが、死のうが。黙認した。

 住吉祐介は惜しかった。才能も気質も、優れた陰陽師だった。だから彼が優先すべきものが違えば、また別の道もあっただろうに。


 明が唯一人間の中で気を許した者が、明の全てを呼び戻す最後のきっかけになるのは皮肉に過ぎたが。

 そういったこともあり、一千年前に立てた計画からは大分変更点があったが、というより泰山府君祭を玉藻に用いた時に完全な作用をしなかったのが問題ではあった。明は問題なかったのだから、改良点があるのだろう。


 とにかく。結果として明も珠希も覚醒した。

 明はより相応しい調停者となった。

 だから、過程はもういい。今という最後の挑戦だけが重要だ。

 今まで一度も勝てなかった。勝てるわけがなかった。それが今だけ対等になっている。


 最期を飾るには相応しい術比べだろう。鬼たちの願望も叶えつつ、何も制約なく明に挑める。

 一度くらいは勝ってみたかった。

 明には遠く及ばないどころか、金蘭にすら抜かれた程度の存在だ。そして、紗姫や巧、マユのように私に匹敵しかねない存在もすぐそこまで迫っていた。


 一千年という時間で、私という陰陽師は成長することがなかった。新しい術式を産み出したり知識を蓄えたとしても。霊気も神気も全く伸びなかった。

 そういう存在なのだから、それは仕方がない。だが、その力だけで勝敗が決まるわけじゃない。

 明との術比べは想像以上に苦戦した。


 明が色々と取り戻したのは先日のことなのに、もう身体と脳に慣れ親しんでいる。一日の長というのもなくなった。

 使う術式には的確に対抗術式を用いるか、同じ威力の術式を使われて消し飛ばされる。式神への支援術式にしても、明の方が上手だ。

 私が唯一誇る呪術に関しても、何もかも打ち消されてしまう。


 負けるつもりなど毛頭ない。最期の機会なのだから、最後まで徹底的に抵抗するつもりだった。一分でも一秒でも長く抵抗し、最後には誇れる勝利を。

 羨望を向ける明へ、一泡吹かせたかった。

 こう変わったのだと、一千年前とは違う自分を見せたかった。

 それは明に拘らず、珠希にも金蘭にも吟にも、紗姫にも見せたかった。

 蘆屋道満としての全てを、これまでに得た全てを証明したかった。


 だから、出し惜しみなどしない。明が知らないであろう術式を使う。炎を纏っているのに実態は雷でできた鳥型の術式を飛ばす。

 退魔の逆、魔を呼び出し魑魅魍魎を意図的に呼び出してぶつける。

 秘蔵していた、四月にも用いた自作の魑魅魍魎や改造した魑魅魍魎を放つ。

 それらを全て、あっさりと撃退する明を見て私は笑っていた。


 自分の役目の終わりを、理解できたために。

 やり残したことなど何もない。

 紗姫にも全てを話した。嘘も何もなく、彼女との別れの言葉ももう十分だろう。


 「婆や」にも珠希にも、この数日で対応した。

 金蘭や吟、クゥには今更いらないと確信していた。

 酒呑と茨木には今回の報酬で帳消しだ。それに鬼たちにかける言葉などない。この一千年、言葉を重ねてきた。

 神々や妖に文句はあれど、言葉はこれまた不要だろう。


 そして、遺せる物は全て形にしてきた。遺書などは書いていないが、これからに必要なものは難波家にある。

 明にも、渡せる。

 これまでと今に満足した私は、少し肩の荷が下りたのだろう。清々しい表情で鬼たちの争いだけに目を向けた。明との術比べは終わりだと知らせるために。幕引きは彼らに委ねるために。


 明も式神への支援をやめて、一千年の確執へ、終わりを見届ける。

 ──振るわれた刀から飛び散る鮮血が、全ての終わりを告げる狼煙になった。

 その誰もが終わりを悟り、満足したかのように、争いの音が消える。

 もうすっかりと、夜の帳が下りていた。


────


 思考はもう吹き飛んでいた。理性的にこの身体中に迸るパトスを抑えることなどできなかったし、する必要もなかった。

 フェイントを入れるだの、陰陽術の援護が来るだの、相方がどうするだの。

 そんなことに頭の一部を委ねることすら無駄だと吐き捨てていた。


 ただ視界に入るものだけで判断し、その動きに対して考えるよりも反射的に身体が動くままに任せていた。これまでの経験を、戦いの記憶を、全ての衝動を。ただ発露するだけ。

 式神は仮初めの肉体だ。それでも痛みはある。神経が通っている。それがなければ身体を十全に動かせないために。生前と同じパフォーマンスを発揮するには、変化を与えないことが一番重要だった。


 だから、彼らの身体は特別性だ。霊気や神気で構成されている身体なのに、生前と同じものが全て揃っている。皮膚を斬られれば血が出るのも、彼らがそれを望んだから。式神であって式神ではないことを願ったから。

 お互いの拳がクロスカウンターとして頬を打つ。歯が砕けようと、頬が腫れようと、彼らは止まらない。たかがそんな傷、そんな痛みで止められる闘争ではないために。


 一千年ぶりの、持ち越した決闘だ。

 このためだけに式神となって待ち続けた。

 式神になろうと決めた。

 一千年もの間のバカより何より、この決闘こそが楽しくて仕方がない。

 これこそ求めた、結末の果て。


 神の酒と、一時の恐悦のために失った身体が求めてやまない血潮。お互いしか見ていないような鋭い眼光。

 殴れば殴るだけ応えてくれる、夢見たその首。

 それを得るために、手を伸ばす。爪で引き裂く。太刀を振るう。

 足で払う。鎧で受け止める。確かな技術で打ち払う。


 止めようとする腕も、刀も、斧も。何もかも邪魔だ。

 頑強な太刀が、日本刀より鋭い爪が、何もかもを喰らう牙が、邪魔だ。

 その首を。寄越せ。


『『ラアアアアア!』』


 そうやって吼える口を寄越せ。忌々しい仮初めの雷で邪魔をするな。人間として生きたくせに、鬼としての怪力を発揮するな。

 まさしく龍との混血児たる咆哮。鬼としては別格の風格。体系化された技術ではなく、我流で頂へと至った彼だけの絶技。


 お互い片手で振るった斧と太刀が轟音を奏でてぶつかり合う。それが相手に届かなくても、空いたもう片手で全てを決めることもある。

 まだお互いの手は届かない。

 片方は日本刀を。片方は空のまま。

 二つの手が交差する前に、鮮血が飛び散った。


 人間のような真っ赤な血ではない。鬼特有の緑色の血だ。

 それが足場に溢れるが、それは鎬を削っていた酒呑と金時のものではなかった。

 二匹の間に割って入った、茨木のもの。


 金時も全力の一撃だったのか、左腕で放った一閃は茨木の右腕を斬り飛ばしていた。その右腕も宙を舞った後に、足場に無残にも転がっていった。

 右腕が転がるよりも前に、酒呑は動き出していた。目の前で庇った茨木を足蹴にして二匹を飛び越える。二匹の背には事前に茨木が空へ投げていた茨木の大太刀が回転しながら飛んでいた。


 それを空中で掴む。金時もそれを邪魔しようと動こうとするが、茨木が残った左手でしっかりと金時の身体を掴んでいたこと。そして茨木から出る真っ黒な鬼火──人間から鬼に変性した者のみが使える人間への憎悪の発露──が金時の身体を焼く。


『は、なせええええええ!』

『やれええええええ!酒呑ッ‼︎』


 酒呑は掴んだ大太刀を両手で持ち、空で半回転して頭と地面が逆方向になったまま目にも留まらぬ速さで一閃。

 金時の首が飛んだのと、もう半回転して酒呑が地面に着いたのは同時だった。


『クソ、が……』


 そう呟いたのは、首を飛ばされた金時ではない。金時は負けたというのに清々しい顔で二匹を見ていた。

 呟いたのは勝ったはずの酒呑。

 地面に着地したのと同時に、茨木と共に首を飛ばされていた。


 鬼三匹の身体が崩れ落ちる。

 周りの者にも、金時が首を落とされた瞬間は見えていた。だが、他の二匹が飛ばされた瞬間を見ることはできなかった。

 やった者が、唯一立っている吟だとわかっても、二匹の首を同時に斬り飛ばした瞬間は見えなかった。


『あーあー!クソが!決着よりも術比べを優先しやがって!ホンっトお前って式神だよなー!』

『お褒めに預かり恐悦至極。ですが、勝ったのはアンタだろう?』

『勝負に勝って試合に負けてんじゃねえか!お前の首も落とすつもりだったのによぉ!』


 首だけになった酒呑がそのまま叫ぶ。生首の段階でああも元気に叫ぶとは、鬼の神秘を垣間見た気分だ。

 鬼は三匹とも、終わった証拠か笑っていた。先ほどまでの殺気をすっかりとなくして、明の勝利を優先させた吟へ文句を言っていた。


『ま、いっか。金時、オレの勝ちだぜ』

『ああ。負けた負けた!雷の力も借りてたんだ。オレの完敗だ!大江山でも同じ結果になってたかもな。でもお前が最後に笑ってた訳もわかった。こうして遥か先のこの時を知っていて、色んなこと体験してたんだろ。それにお前らからしたら命なんて捨ててなんぼだろうからな』

『それ以外もあるけどよ。いや気分良いな!スッキリしたぜ!』


 大江山での決戦は状況が違うためにどうなったかはわからない。酒に酔わせて騙し討ち。武士の被害は少なく、鬼はほぼ壊滅した。

 その結果が全てだ。金時の言うもしもはもうあり得ない。


 そもそも、一千年前では茨木がさっきのように酒呑を庇ったかどうかもわからない。ああいう馴れ合いの集団ではなかったし、勝つために人間のような自己犠牲の精神などなかっただろう。

 茨木は酒呑のように生前の心残りのようなものはなかった。だから考えていたことは酒呑が勝つためならなんだってやってやろうという程度。庇って金時を驚かせ、少しでも足止めする。それがさっきの一番の手だと考えただけ。


『……酒呑、茨木。お前らは最後まで鬼だったな』

『あたぼうよ。それ以外のなんだってんだ』

『そういうお前は、最後まで人間を全うしたな。そんだけ強靭な身体してんのにポックリ死んでんじゃねえよ。お前の枕元に立てなかったじゃねえか』

『それ文句言われてもなあ。子どもも立派に育ったし、妻にも先立たれたし。いつまでも人間もどきが居座っても邪魔なだけだろ?だから法師に自決用の呪符もらってたんだよ』


 酒呑は鬼のくせに五十ちょっとで死んだ金時に疑問を持っていたが、その回答を聞いて目線だけを自分の主である法師に向ける。


『おい、法師。んなことやってたのかよ?』

「金時の願いだったからな。晴明には金時も頼みにくかったんだろう。そういう汚れた役目は私のものだ」

『おう。悪いな、法師殿。もうちょっと晴明殿の本心を知ってたらちゃんと晴明殿に頼んでたよ』


 金時は妖だった。いくら人間社会に馴染み、誰からも人間と認められようと。都に住む無辜の民に源氏郎等として慕われても。肉体だけはどうしても妖だった。

 知人がみんな、先んじて死んでいく。だというのに金時は死ぬ機会がなかった。鳥羽洛陽以降妖たちの行動も下火になり、怪異との戦いは少なくなっていった。そうすると、鬼として弱体化した金時とはいえ倒せる者がいなかった。


 大江山での決戦以降、そういう日が来るだろうと直感していた。武士としての自分が必要となくなる日を。息子が立派になったらお山に帰って人の世から隠れて暮らそうとも思った。

 だが、お山に一度顔を出したら満足してしまった。皆の墓参りをして、父の祠へ参拝して。昔馴染みに再会して。


 自分はもう、坂田金時という人間になっていることを悟った。

 だから妖として惰性のまま生きることを捨てて、法師に頼んで人間のまま死ねるように訣別の呪符を貰った。誰かに介錯してもらうなど武士としてできなかったし、そんなことを頼みたくなかった。できるのは吟だろうが、友だからこそ、させたくなかった。


 そういうわけで、心の痛まない法師に頼んだ次第だ。都で二番手の陰陽師。呪術に関しては右に出る者がいない術者。黒い噂も聞こえてくる、裏側の人間。

 実のところ晴明もそんな潔癖な人間ではないと今頃知ったが。


『それで?明。このお祭りは終わりかい?』

「ああ、終わりだ。満足いただけたかな?金時殿」

『満足だ。だから、契約を解除してくれ。オレはやっと、前に進める』

「では、あなたのこれからの旅路に祝福を。──またいつか。金時」

『その時は金時って名前じゃないんだろうなー。アンタの眼なら見付けられんのかもしれないけど、サヨナラだ』


 明と金時の霊線が切断する。金時の身体を構成していた霊気と神気が空に解けるように、小さな粒子になって分解していく。

 それ以上の別れの言葉はなかった。坂田金時はあの世へ戻っていく。

 もう、彼が降霊で詠び出されることはないだろう。

 生前の憂いを、解消したのだから。

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