第128話 4ー2

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 呪術大臣がこちらを睨んできますが、ちゃんとした人ならわたしも怒っていません。対応の悪さ、隠し事の数々、悪行を平然としていること。それに息子がやったことへの謝罪などもありませんでした。薫さんが苦しんでも知ったことのないように暮らしています。何か理由があるのなら難波家に相談すればいいのに、それもせずに勝手に侵略。

 事件も公表しませんし、謝罪もなし。お義父様の星見についても取り上げず、今だってわたしたちに八つ当たり。その上Aさんを貶す始末。


 あの人は人の法からしても犯罪者であることには間違いありません。善良な陰陽師も国民も殺したかもしれません。ですが、人のためにも、妖のためにも、神のためにも長い間動いてきたあの人を悪く言うのは許せません。あの人がいなかったら、おそらく日本は存在していなかったのに。

 神との交渉をしてくれなかったら平安で人間の世は終わっていた。霊脈の調整をしてくれなかったら陰陽術は使えなくなっていた。あの人が戦時に内乱を起こしていなかったら、大戦は長引いて諸外国に占領されて、今の日本の形を取り戻すのにかなり時間がかかっていた。

 こんなこと、星見の方々に聞けばわかるのに。霊脈や龍脈を見ればわかるのに。あの人を表面でしか見ないから、理解できないのに。わたしが作った料理を喜んでくれて、また食べたいと言ってくれる方なのに。


「舐めるなよ……!今は呪術大臣をしているが、私の実力は五神に劣らない!女一人で止められると思うなよ!」

「あれ?わたしの霊気感じませんでした?あなた程度で敵うと思ってます?」

「霊気が戦力を決定付けさせる最大の要因ではないなど、百も承知だろう。そのこけおどしの霊気で、威張っているがいい!ウン!」

「急々如律令!」


 お互いの呪符が雷に変わります。雷が相手目掛けて一直線に進みますが、ぶつかり合って優ったのはわたしの雷。そのまま呪術大臣を襲いましたが、それは避けられます。こういうぶつかり合いだったら、霊気が多い方が勝つって常識だと思うんですけど。


『お嬢様。アレを下に落とすようです』

「わかりました。やってください」


 銀郎様が実体化しないままそう告げて了承すると、フロアが大きく揺れました。その発生源はハルくん。大百足を下のフロアに落としてくれました。見ていて鳥肌が止まりませんでしたし、ありがたいです。虫ってどうしても苦手で。魑魅魍魎にも奇形はいますけど、虫はあの全体のフォルムと動き方がどうしてもダメです。

 それが視界からいなくなってくれたのはこちらに集中できるので嬉しいです。わたしが立っている場所に支障が出ないようにフロアを破壊してくれたみたいですし。

 大百足って優秀な式神なんでしょうか?鬼や龍、天狗が有名すぎて、虫とかはそこまで有名じゃない気がします。首無しとか雪女とか他にも有名で強そうな妖怪もいるのに、なぜ態々大百足だったんでしょうか。


「野蛮な!貴様らは何をしてもいいと思っているのか?」

「そっくりそのままお返ししますよ?二代連続で麒麟に反旗を翻されたのは誰ですか?」


 詳しい理由は知りませんけど、呪術省に問題がなければ姫さんが誰かを裏切るなんて考えられません。ハルくんがさっき言っていたように、口でどうにかしようとする時点でダメなんです。

 呪術省は組織として、省庁として間違ったことをしている。わたしたちは呪術犯罪者のAさんたちと一緒に行動している。しかも学生の身で呪術省に侵入しています。いわばどっちも悪。正論を翳そうとするのが間違い。だから何を喚かれても建設的なことなんて何もありません。


 天秤が狂っているんです。神話の時代からあやふやだったものが、平安時代に整いかけた。それを壊して、壊れたまま全く違う天秤を、誰も望んでいなかった偽物の天秤を作り上げて、それを一千年続けてしまった。

 神も国も妖も動物も人間も、等しく釣り合う天秤。それこそが求められたのに、計るものが良い人と悪い人だけの天秤になってしまった。しかもその良い悪いさえも曖昧な、酷い贋作で成立した世界。

 わたしたちやAさんたち、そして呪術省で基準としている天秤が違う時点で、同じ価値観を共有していないんです。それで擦り合わせもせずに会話が成立するわけがありません。外国の常識も言葉も覚えようとしないまま会話を試みるようなものです。上手くいくわけがありません。


「吽!」

「急々如律令」


 幻術を仕掛けてきましたが、会話で音から誘導する、前段階の視界を奪うなど仕込みもなくかけようとした幻術は、ただの精神防御で弾くことができました。桑名先輩のように退魔の力を無詠唱で使う、といったことはできず、霊気のゴリ押しで防げないのが悔しくもありますが、アレは退魔の力が特殊すぎるからですね。

 それに幻術は相手のことをよく知っていてこそ機能する術式です。相手が思っていること、こうだといいな、ああしたかった、これは許せない、そういった相手の事情を汲み取った内容を見せることで真に効力を発揮します。わたしのこともまるでわかっていない呪術大臣が行ったとしても、大した効力は出ません。


 リアリティがなければ、これは幻術なんだなとわかってしまい抵抗術式もなく瓦解します。もしもがあったら嫌なので防ぎましたが、康平様やゴン様にかけられた幻術に比べればなんてことはありません。あのお二方はわたしのことをよく理解されているので的確な幻術をかけられたのでしょうが。

 そういう訓練を幼い時からやってきたので、わたしもハルくんも幻術耐性はかなり高いです。呪術大全を残している家を舐めないでくださいと大声で言いたいです。正体がバレるので言いませんが。


「吽!」


 今度は設置型の術式ですかね。設置の仕方が雑です。五箇所に一気に設置したのは流石ですけど、どこに設置したのか丸わかりの罠なんて怖くありません。その五箇所の中心辺りに呪符を投げ飛ばします。


「急々如律令!」


 五芒星を生み出して、その頂き一つ一つが霊気を放って設置されている術式を爆発させます。踏んだら霊気による爆発を起こすという代物。ハルくんも補助術式として好んで使いますが、あくまで補助術式。そこに誘い出せなければこれを単発で使うことはありません。畳み掛けてくる様子もありませんし、何のために設置したんでしょうか?


 せめて斥候として簡易式神でも出せば変わったのに。いえ、それとも既に大百足を召喚しているから他の式神を出せない?マルチタスクが得意ではないか、霊気を大百足にかなり持っていかれてしまったのか。慢心するつもりはありませんが、九段でも式神を召喚して他の術式を使うのはせいぜい二つが限度と言っていました。

 霊気の量だけだったら康平様に匹敵するのに、もう限界ということはあるんでしょうか?警戒は怠りませんが、何か腑に落ちません。違和感というか、仮にも呪術省のトップがこの程度で終わるはずがないというか。正体がバレるわけにも行きませんし、用心はしておきましょう。


「貴様、何者だ!これほどの実力者、今まで無名のはずがない!」

「え?わたし、多分五神の人たちには勝てませんよ?主だった成績を残したわけでもないですし、正真正銘無名ですね。わたしに陰陽術を教えてくださった方々にはまだ勝てませんし。良かったですねえ、世間が広いって知れて」


 ゴン様にも康平様にも、ハルくんにもまだまだ勝てません。マユさんにも姫さんにもおそらく勝てませんし、本当にわたしはその程度の実力だと思います。星斗さんには勝てそうですけど。トップ層には勝てないのがわたしの現状。出力勝負となれば勝てるかもしれませんが、それ以外の経験値が足りません。

 ハルくんみたいに、小学生の頃から魑魅魍魎と戦っていたとかでもありませんし、難波本家の教えを本格的に受けたのもここ最近のことです。年が変わってから徹底的に詰め込まれました。それまでは通信教育と数少ない実践演習でしたから、経験値が絶対的に足りないんです。


 わたし呪術大臣のことあまり知りませんけど、そういう実戦経験という意味ではどの程度の実力者なんでしょうか。こんな武勲を上げたとか聞きませんし。土御門という時点であまり気にしたこともないのかもしれません。結局わたしも、小さなコミュニティで完結しているからでしょう。興味がないと言ってしまえばそれまでです。

 難波に攻めてきたあの男の父親ということで、子育てとかそういう意味で説教してやりたいですが、それ以上に感慨は持ちません。会話が通じない人のことについて、考えを及ばすだけ無駄というものです。


「わたしが無名なのは当然でしょうけど、その感じだと日本にいる実力者の調査なんてしていませんね?ふふ、わたしの師匠に見当もついていない。外の妖たちについてもどこにいたのかわかっていない。Aさんがどこにいたのかもわからずじまい。四月の事件を起こしてから、Aさんは京都を離れていないと思いますよ?」

「バカな⁉︎京都中を隈なく捜査させたのに、京都にいたわけがない!」

「調査不足ですねえ。あ、幻術で化かされていましたか?ずっとあの姿で街をうろついているはずもありませんし」


 呪術犯罪者はバレないようにそれくらい誰でもやっていそうですが。大天狗様の一件があったとはいえ、それでもがしゃどくろが来たこととかまいたち事件まで大きな事件なんてなかったはずですが。

 捜査だけやっているわけにはいかないとはいえ、本腰を入れなければいけない案件でしょうに。本気で日本のことを憂いているのなら必死にやると思うんですけど。だからわたしたちは呆れているのに。あの妖たちなら龍やがしゃどくろを除いて、探せば出てくる存在たちばかりなのに。


 だって妖たちは好きで隠居していたわけではないのだから。ただ時代が移ろってつまらなくなったから人目に付くことをやめただけ。本気で雲隠れをしようとも思っていないから時代のあちこちで目撃情報が残っている。討伐記録もそうだ。

 神隠しの過半数は妖が人を食べたくて攫ったとか、話がしたかったとかそういうことがたくさん。本当に神様がやっていたこともある。Aさんを調査したければ確実に四人組で泊まっている宿とか空き家を探せば見付かりそうですが。


「もうやめにしません?戦っても無駄に消費するだけですよ。あなたにしかできないこともありますし、手打ちといきませんか?」

「……それで貴様らは麒麟の間に侵入すると?」

「そうですね。欲しい資料がいくつかあるので、それを拝借しようかと」

「見逃せると思っているのか……!先祖代々賀茂と一緒に受け継いできた物を!」

「じゃあ断言しますが。一千年の歴史の中で最大の転換期が今ですよ?取り返しのつかないことになる前に、手を打つのが賢明だと思います。賊二人くらい見逃しておけば良かったと後から思わないようにという、一応老婆心からの助言ですが」


 実のところ、手詰まりです。ここに現れた時点で終わっています。呪術省の中に閉じこもっている時点で終わりなんです。その前に転換期という意味では、Aさんが日本に神気を満たしたことが転換期でしょうけど。あの時点で何もしなかったこの人たちは手遅れにすぎたんです。

 今言ったことをここに現れる前に伝えられれば良かったんですが。時間は巻き戻せませんからね。巻き戻せるのなら、色々な人が巻き戻して世界はしっちゃかめっちゃかになっているかもしれません。


 Aさんたちがやろうとしていることになんとなく予想がつきますが。結局外の騒ぎも陽動でしかないというのは酷い茶番です。外は外で何かしらの目的があってやっていることなのでしょうが、本命は姫さんでしょう。姫さんの侵入を許した時点で呪術省側はほぼ詰み。決着は随分と前に着いていましたね。


「呪術省には星見がいませんでしたか?賀茂という陰陽師の、しかも星見の大家。それと手を組んでいてこの事態を読めなかったのは、根回し不足ですね。頼りになる星見が身内にいなければ、雇えばいいだけでしょうに」

「星見は絶対ではない!特に未来視は外すことが大半だ。その的外れも込みで全てに準備をしろと?」

当たり前・・・・でしょう?いつ当たるかわからないから、備えておく。そんなの、政治家として国民を守る者としてやって当然の第一歩でしょう?任命手段が特殊すぎて忘れましたか?あなたは異能を司る省の長ですよ?」


 こんなこと十五の小娘に言わせないでほしいんですけどね。諸外国には知らされていないのかもしれませんけど、目の前の男性は間違いなく政治家で、他の国から秘匿するために存在が公表されていない大臣です。国会などで答弁をしていませんが、必要があれば政治に口出しができます。

 何のために政治に関われて、法案作成に関われるのか。ただ陰陽術のアドバイザーで良ければ専門家でいいはず。だけど新たな省庁を作って、大臣を名乗っているなら。専門家を超える権限と義務が発生するものです。


 まさか、それもわからずに呪術大臣を名乗っている、なんてことはないはず。日本は地震が多い国で他の国とは比べものにならないとか。それ用に災害支援の法や予算が予め組まれていることと同じく、呪術省には法案作成の権限と税金による予算が設けられています。こんなこと、中学の歴史の授業でやるのに。

 民を守るための気概が地方の陰陽大家当主より低いってどういうことですか。当主になろうとしているハルくんや、日本中を駆け巡っていたAさんがバカみたいじゃないですか。


「星見が信用ならない?なら大きく外す人からは意見を聞かなければいい。一人で足りないなら複数人雇う。数と質を整えたいのなら育成の場を整えたり育てる場を作る。社会的地位も与える。それだけのことでしょう?『婆や』でしたっけ?その人だけを頼りにするからこうなるのでは?」

「どこで『婆や』のことを……⁉︎」


 驚愕の表情をされましたが、そういえば「婆や」さんの存在を呪術省は隠しているんでしたっけ。未来しか視えない星見の方。星見の力としては康平様に並ぶかどうからしいです。わたしは星見じゃないのでよくわかりませんが。ハルくんが康平様には敵わないって言ってたので相当力のある陰陽師だと思います。

 ハルくんは未来視こそできませんが、過去視についてはかまいたちさんのことを読み取れるほどですし、千里眼もできることから星見としても結構上位にくると思うんですけどね。康平様が別格なだけです。


 そんな康平様と同等らしい「婆や」さん。その人が今回のこの襲撃を読めなかったというのは不自然だと思います。何か引っかかりますが、会ったこともないのでこれ以上考えても無駄でしょう。それに星見に対する策は同じ星見の姫さんとAさんが企てていると思いますし。

 あ、大百足消えましたね。ハルくんが倒したみたいです。結構建物が揺れていたのでだいぶ暴れていたみたいですけど、さすがハルくん。式神の皆様の力を借りないで倒すなんて。

 その事実を伝えましょうか。


「わたしの夫があなたの大百足を倒したみたいですね」

「竜に匹敵する式神だぞ⁉︎それを人間如きに──!」


 パン!乾いた音の後に呪術大臣は前のめりに倒れます。わたしが柏手のついでに霊気の波長を思いっきりぶつけて三半規管を揺らしたからですね。幻術はこうやってやるんです。あまりやりたくありませんが、息子が苦しむ幻覚を見ていてください。陰陽術を使えなくなって落ちこぼれる夢は悪夢でしょう。

 総代の座からはハルくんが落としたわけですし。現実味がないわけではありません。そういう自尊心がポッキリと折れて陰陽術が使えなくなるという事例はあります。四月と五月の事件でそういう方が一定数出ました。


 こんな強引な手に出たのは、言ってから恥ずかしくなったからです。婚約者ではありますけど、それを言ったら特定されかねます。彼氏と言うにはちょっと安っぽいかなと思って夫と言ったら途端に気恥ずかしさが込み上げてきました。まだ結婚したわけではないのに気が早いです。

 隣で実体化していない瑠姫様にニヨニヨという目線を向けられます。芝居染みて手で口を塞いで口端が上がっていることを隠そうとしているのでしょうけど、見えてます。隠れていません。あとでハルくんに言いそうです。そういうところは口が軽いんですよね、瑠姫様。

 ハルくんが来る前にゴン様と合流して麒麟の間に行ってみます。ハルくんが盛大に壊したので無事だといいんですけど。


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