第121話 2ー6

 あの旅行から二年が経った。京都の龍脈の把握も終わり、術式の構築も終わった。もうすぐであの男が朱雀になるので、麒麟の辞めどきだ。弟子もそこそこに育ったので、彼女に任せてもいいだろう。影を出せばある程度は戦えることと、一応あの家系だ。未来を視て難波くんたちの護衛を彼女がやっていたので、任せよう。

 そういうわけで呪術大臣と話し合う。というよりは辞表を出すともいう。こんなこと続けられないと。

 呪術大臣の部屋に行ってそう伝えると、明らかに嫌な顔をされた。


「そんな無責任なこと、認められると思うのか?」

「二年間、相当数の妖を倒してきたという自負があるのですが。全国を回って霊脈の調整もしましたし、いくつかの呪具製作も行いました。仕事は全うしました。後継もいます。私よりもよっぽど優秀な瑞穂が。辞める理由としては十分でしょう」

「君は引退して何をするつもりだ?」

「全国の調査を。麒麟という役職は基本的に京都に縛られるので、やりたいことができません。それに私は、先人たちのように地下で監禁される予定はありませんよ」


 その言葉で呪術大臣、土御門晴道は目を見開く。まさかバレていないと思ったのだろうか。あんな、陰陽術で何も対策がされていない地下のことを。千里眼が使えれば簡単にわかってしまう闇を。

 あんな醜悪な場所で、囚われた人たちが何に利用されているのか。それを知って呪術省で五神であり続けるなど、正気の沙汰ではない。皆知らないから、ずっと続けていられる。これを知って続けていたらその人物は聖人でも狂人でもない。もう、人ではなくなっているのだろう。


「他の人には一切話していませんので、ご安心ください。ええ、尻拭いはしませんから」

「どうやって知った?」

「隠し事なんてバレますよ。科学者の動きを全部隠すことはできません。それにあそこの霊気は歪んでいます。何かあるんだなとわかりますよ」

「地下のアレらは必要経費だ。海外にも妖はいる。それにな。人間は誰もが、君や私のように強くはない。弱い人間は、強い人間が守る義務がある」


 義務であんなことをされたら溜まったものではない。それに力は力だ。それ以上でもそれ以下でもない。使うか使わないか、それすら自由でなくてはならない。能力があるから使わなくてはならないなんて馬鹿げた話はないのだから。

 そうなると私の母は御魂持ちとして能力を使うために数多くの子どもを産まなければならなかった。数多くの血を陰陽師に提供しなければならなかった。その魂を、当時最強の陰陽師に渡さなければならなかった。そういうことになってしまう。


 ふざけるなと。そんなことを強要する理由なんてないではないか。

 そういう意味では露美さんも、天竜会に保護されている異能者も力を貸す必要性はない。その力を嫌がって保護されている子どもだっている。その人たちに力があるのだから寄越せなどと、ヤクザよりも質が悪い。こんな横暴があってたまるものか。


「では、陰陽師の才能がある人間は全員陰陽師になれと?プロという階級を作っておいて、それは罷り通らないでしょう。才能はあっても、戦うことが嫌いな人だっている。その人たちにも魑魅魍魎と戦うことを強いるのですか?知性もあり、能力も強大な妖と戦うことを強いるのですか?才能があるだけで強い人間だとしたら、才能なんてもはや呪いです」

「呪術師としては相応しいじゃないか」


 ああ、そうだ。この人たちは陰陽寮という名前を捨てた愚か者たちだった。理念は相当変質している。これでは陰陽師として正しくあろうとすればするほど認識がズレていく。思想は離れていく。

 これを最古の呪術師たるあの方が知れば、呪術師を舐めるなと言いそうだ。今この人たちが使っている呪術師という言葉は、呪術師として正しくないのだから。

 やはり話し合いではどうしようもできない。だから伝家の宝刀を抜く。もうわかりきっていることだが、このことを呪術省は反故にはできないのだから。


「これでは平行線ですね。では、私は母を殺した存在を探します。これは正当な復讐です。呪術省がいつまでも犯人を特定できないのですから、私個人で動きます。どこにいるのかわからない以上、麒麟という肩書きは邪魔ですので」

「……なるほど。そうやって脅すわけだ」

「身から出た錆でしょう?あなた方が有能なら、もうすでに犯人は捕まっていてもおかしくはない。妖だったのなら私が滅しますよ」

「ではこちらも君を脅そう。最近仲の良いこの女性。天竜会で保護されているらしいな。そして降霊を引き起こす異能持ちだと。彼女の身柄を保障しよう。決して様々な実験に用いないと。これだけの異能は勿体無いが、仕方がないだろう」


 机の上に露美さんの資料が置かれる。こういうことには力を割くのに、本当に大事なことを見落とす。

 見ている視線が違いすぎる。一千年前から、彼らのまなこは濁ったままだ。陰陽を見ることも叶わなくなった瞳では、世界の本質に気付かない。この世界を覆うテクスチャを知り得ない。だから危ない橋を知らずに走って、あの方々が急いで石橋へと変えているというのに。


「それを信用するとでも?あなたの息子が降霊で様々な実験をしているのに。しかも一般人たる彼女を何かに利用しないのは当たり前のことでしょう?それをまさか、呪術省の長たる貴方が破ると?政府にも関与している人間が、人権を蔑ろにすると?もう少し発言に気をつけた方が良いですよ」


 何故土御門も賀茂も、こうも無用心な言動が多いのだろうか。そのせいで先代も離反したというのに。この人たちは一千年前から一歩たりとも成長していない。呪いを改善しただけで、行い自体は何も悔い改めていないのだ。

 星見を敵にすることの意味をきちんと把握していないから何度も間違える。「婆や」の能力を過信しているからもっと強大な力に気付かない。発言を残してしまえば、星見はいくらでも事情を読み解ける。バカな息子が未来で何をやらかそうとしているのかもわかるから事前に対策ができる。

 星見に、素性を隠すことなどできやしない。口に出したことを、星は覚えているのだから。行動を母たる星が全て記録しているのだから。


「なるほど。教訓とさせていただこう。だからこちらからも、一つ述べさせてもらおうか。──大人を舐めるなよ?ウン!」


 机の上に乗っていた呪符を用いて風で吹き飛ばされた。この状況を詠んでいたので問題なく吹っ飛ばされる。私はそのままドアや窓を貫通して外へ放り投げられる。ように、偽装した。無詠唱で防壁を張っていたので無傷のまま呪術省の外へ降りる。

 唐突に人が上から降ってきたために、地上にいた周りの人たちは驚いていたが、目撃者を増やすわけにはいかないので弱い術式で意識を刈り取る。


 本当に彼らは未来が、人が視えていない。私のことも燃料としか思っていないのだろう。それは、私を倒せてこそなのだが。先代のように死ぬ未来は視ていない。死んでやる義務もない。だから先代の時のような奇跡なんて起きはしない。あれはAさんの式神になるという過程が必要だったからこその出来事。

 私は露美さんとこの後の人生も歩んでいく。だから死ぬことはできない。彼らが思い浮かべているシナリオがどれだけ破綻しているのか、わかっていない。


 私たち星見が、裏側の住人がそうなるようにレールを敷いているからこそ成り立っているシナリオだとわかっていない。そのしっぺ返しを受けるのはあと数年。それまでの見せかけの繁栄を楽しんでいればいい。この見せかけのバベルの塔はもう長くないのだから。

 天竜会の本部には麒麟を向かわせておく。何かあった時のために、保険だ。麒麟がいれば何があっても大丈夫だろう。


 呪術省をこのまま去ってもいいが、持っている近似点を弟子に渡さなければならない。そうしないと京都の方陣が崩れてしまう。父や天竜会の方々が傷付くのは見たくありませんから。

 そう思っていると、まだ高校生の少女が呪術省から出てくる。待っていた少女、そして私の唯一の弟子。まだまだ伸び盛りで、私には全く届かない、小柄な少女。


「麒麟。呪術省を裏切ったって本当?」

「そうですね、瑞穂。この場合呪術省に裏切られたという方が正しいのですが」

「何やったのよ……?あなたほどの実力者を、呪術省が裏切る?」

「忠告をしたら脅されまして。良い機会なので呪術省から離れます。麒麟はあなたがやってください」

「……ハァ⁉︎」


 おや、怒られてしまいました。現状、彼女以外に任せるわけにはいかないのだけど。実力的にも。香炉星斗さんは五神になってくれないでしょうし。でも彼女くらいの人が方陣を維持しなければ、難波くんたちが困る。最悪私が遠隔で維持すれば良いんですけど。龍脈もあるので可能でしょう。


「では、最後のレッスンです。教えたことのなかった分野で締めましょうか」


 事前に用意していた銀の筒を投げ渡す。腰のポーチからもう一つ、自分の分を出す。なんて事のないおもちゃだけど、彼女には教えてなかったので必要なことでしょう。

 麒麟は最高峰の陰陽師でなければならないのだから。接近戦くらいできるようになってほしい。できる陰陽師はいることと、妖を相手にするのなら生存率を上げるためにも必要なことだ。あの鬼たちと戦うのなら、式神まかせでは限度がある。不意に主人たる陰陽師を狙ってくるかわからないのだから。

 銀の筒を受け取りつつ、それが何かわからないのか筒を見ながら首を傾げる瑞穂。


「これ、何?」

「霊気を通して刃を実体化させるだけの、護身用の呪具です。あなたには接近戦を仕掛けてくる陰陽師対策を教えていなかった。もしも白虎が私のように離反したら、あなたが止めるしかない。彼は武芸百般ですからね。対策は立てておくべきだ」

「あなたが離反したのだから、その可能性は頭に入れておかないとダメってことね……」


 おや。彼が妖だと気付いていないのですか。彼の擬態もなかなか優秀ですね。せめて麒麟になるのだから、彼女くらい気付いて欲しかったのですが。他の人たちは仕方がないでしょう。眼が違う。もし彼の擬態がマユ先輩の眼すら上回っていれば、彼が凄すぎたと言う話になるのですが。

 彼はいわゆるスパイですから。いつかは呪術省を離反しますよ。いつかの話ではありますが、絶対です。その時止めるとしたら他の五神になるでしょう。だからこの訓練は彼女のためにもなるはず。


 でも瑞穂は姫さんと同じく、あの裏・天海家で曲がりなりにも当主の座を引き継いだのだから、見破って欲しかったですね。

 それだけ瑞穂という名前は大きいのだから。

 このおもちゃの使い方がわからないようなので、実践する。難しいことはなく、ただ霊気を込めるだけ。それだけで白い粒子のようなものが刀身として現れる。込める霊気によって刀身の長さや太さ、強度も変わってくるがそれは自分で感じ取ってほしい。

 瑞穂も刀身を生み出していた。結構。私が彼女にしてあげられることなんてこの程度ですからね。


「ではそれで私を倒してください。別にその刀に拘らなくていいですよ?できるなら他の術式を使うことも、式神を呼ぶこともしてどうぞ。最後の教練ですので、悔いが残らないように」

「なんでそんな穏やかに笑ってんのよ⁉︎呪術省に裏切られて、あなたは今や日本の敵になったのよ!それでボクと戦ったら、あなたは少なからず傷付く。その後他の四神や先鋭たちがやってきて、生き残れるはずないじゃない!」

「心配してくれるので?」

「ちゃんと理由を言ってくれれば、あなたの弁護に回るって言ってるの。一応、師匠なんだから」

「必要ありませんよ。もうお互いの道は定まりましたから。あなたの道と私の道は、根本的なところで交わりません」


 これから裏方に徹する私と、表側に居続ける瑞穂では変革するその時まで交わらないでしょう。裏・天海家としての瑞穂としての仕事も姫さんやあの里の人たちが行っているのでしょうし。そうすると、彼女との関係はもうないも同然でしょう。師弟関係も終わり。そうなると関係性はただの麒麟の前任と当代。それぐらいの距離感が適切でしょう。

 私は京都からも居なくなりますし。

 形成した刃を突き立てて瑞穂に襲いかかる。以前に過去視で経験したことを見様見真似で再現した動き。骨格も身長も腕の長さも筋力も得物も違うので完全に同じようにはいかないが、距離の詰め方などは参考になった。

 まずは袈裟斬りを。瑞穂は両手で持った剣で防ぐ。


「いきなりね!」

「これ以上話すこともありませんし。私は私の識る未来のために動くだけです」

「これだから星見って存在は!そうやって未来ばかりに目を向けて!」

「そういう人種ですから」


 吟様の動きを再現する。私も別段剣技の覚えがあるというわけではないのでそこまで脅威ではないだろうが、初めて剣を持つ瑞穂では辛いことのようだった。その証拠に防戦一方になっている。

 もちろん剣だけで戦うわけもなく、足払いをかけた。それに意識がいってなかったのか、あっさり倒れる瑞穂。


「ほらほら。集中。剣だけに意識を向けない。妖なんて足は当たり前、手や頭まで使って攻撃してくるでしょう?」

「こんな時までいつもの調子なのね……!」

「だって、私という存在が変わったわけではないのだから」

「はああああぁ!」


 何回か切り結んだ後、今度は掌底を放つと、それは防がれた。無詠唱で肉体強化をかけていたら腕が吹っ飛んでいたかもしれないのに、ただの手で防ぎましたね。やはりまだまだ接近戦は認定をあげられなさそうです。妖の筋力とか、見た目はそうでもなくてもおかしいですからね。人間の腕なんて簡単に消し飛びます。

 身体能力が違いすぎるので妖と接近戦をするのは青竜とその一派くらいになってしまいましたが。それが常識として定着しましたが、一千年前は平然と武士が接近戦をしていたという事実もあるんですよね。吟様と同等の力があれば不可能ではなかったんでしょうけど。


 今度は間に陰陽術を挟みます。それもどうにか相殺。学習能力があって結構。やはり教え甲斐はありますね。唯一の弟子ですし、こうも模範的な生徒だったらこの当たり前がなくなるのは残念ではありますが。

 いつかは終わりが来るものです。それに、弟子よりも大切な人がいますので。


────


「ということで、瑞穂は今頃幻影と戦っていますね。呪術大臣も来ましたし、一般陰陽師も目撃者として何人か来ました。彼らに幻術をかければ証拠としては十分でしょう」


 私は一歩引いたところで倒れた数人を眺めていた。呪術大臣に外へ弾き飛ばされたのと同時に、幻術の結界を展開。入り込んだ人はもれなく私の管理下に置かれたわけですが。悪趣味ですね。こんなこと二度とはしたくありません。

 瑞穂への訓練は接近戦はもちろん、幻術対策でもあったのですが、こちらは気付いてもらえなかったようで。まあこれは後になって自分で対策をしてもらいましょう。呪術大臣も情けなく倒れこんでいますし。


「……覚悟していたとはいえ、いざやるとなると怖いですね。精霊」


 式神とは違う、契約した存在。性質としては土地神と似て非なるもの。しかし力は土地神に匹敵する、そんな存在。緑色に発光しながら私の側に佇んでいる。

 自分で持っていた銀の筒から刃を形成して、左肩に刃を乗せる。こればっかりは未熟な自分を恨むだけだ。


「姫さんのように離れていても龍脈を維持出来れば良かったのですが。やはりあの人も天才ですね。私は戦うことばかりで、陰陽師としては本質を欠いています。現代の陰陽師らしいのかもしれませんが。……露美さんに、怒られそうです」


 一気に刃を落とす。壮絶な痛みと共に左腕が地面を転がり、切り口から血が溢れる。すぐに精霊が止血をしてくれて、私も神気で応急処置をしていく。痛み止めもして、意識をしっかりと保った。最後で失敗するわけにはいかないのだから。

 左腕も機能するように神気を込めて行く。龍脈の維持に、土地から離れるためには自分の肉体の一部が必要だった。これ以上京都で面倒が起きないように。彼らのためにも父のためにも天竜会の人たちのためにも、神様に天罰を受けるその日まで私がやらなければならない。姫さんでも二つの龍脈の維持は無理で、呪術省の地下に溜め込んだアレが暴発するのを防ぐためにも龍脈はコントロールしておかなければならない。

 本当に、悪魔の塔だ。目の前のこれは。


「瑞穂と呪術大臣の二人掛かりで襲われて、私は左腕を損失。そのまま逃走。そのように記憶を弄ればいいですかね。いつか違和感に気付いて、真相に気付くのでしょうけど。今を誤魔化せればそれでいい」


 数人の記憶をそのように弄っていく。こんな禁術を使いたくなかったが、使わなければ神様に怒られてしまう。それで京都が更地になるのは避けたい。幾千万の命と私の左腕一本。安い買い物でしょう。

 ここまで詠んで呪術大全を世に残したのなら。あの人は本当に最高峰の陰陽師だったのだろう。


「一応蜂谷先生に見せに行きましょうか。さようなら、呪術省。次は左腕を返してもらいますので。その時まで愚行を重ねてください。この一千年間積み上げて来たのですから、今更三年程度積み上げても大差ないのかもしれませんけど」

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