2章 新入生歓迎オリエンテーション

第34話 プロローグ もし舞台に監督と演出家が立ってしまったら


 京都の朝は、わりかし遅い。

 その理由としては夜が支配している暗い時間は、魑魅魍魎の闊歩する闇の世界。その闇の世界を終わらせる太陽の光を浴びた「朝」くらいは、穏やかに迎えるべきだと。

 建物ごとに方陣が施されていようと、京都ほどの土地になると一夜に大鬼級の、一撃で一流の陰陽師が施した方陣をあっけなく壊せる存在が三体は現れるのが日常だ。そんな激戦を潜り抜けた後の朝くらいは、誰もがゆっくりと動き出す。

 だから、朝十時という時間帯は朝食を食べている人間も多く、建物の修復や喫茶店などが動き出す時間帯でもある。


 そんな京都の、五条大橋が視界に入るような鴨川のほとりにある喫茶店。テラス席もあることからこの周辺でも有名な店だ。そんなお店の開店直後に、一組の男女がやってきていた。その男女は常連客だったために店員も笑顔で出迎える。

 その男女は、なんというかバラバラだ。とても長身の男優だと言われても納得のできる藍色の切れ目と長髪のおそらく霊気で変色してしまった白髪が特徴な男性と、小柄で桃色と赤で彩られた着物を着た、綺麗な銀髪をお団子にしてまとめて、幻想の世界から飛び出してきたかのようなことを象徴するかのような大きな瞳に翡翠を宿した十代前半の少女。


 その少女は外国のお姫様と言われれば納得するような優美さを醸し出していて、その少女を黒いスーツを着た男性がエスコートしている。ここ数年見慣れた光景だったために、店員の女性は何の気もなしにいつもの席へ案内した。

 テラス席に着く二人組の姿は遠目から見れば時代劇の一幕のようだ。二人とも髪や瞳の色は日本風ではないが、顔立ちが日本人のものなので余計にそれが作り物のように思えてしまう。

 だが、そこにあるのは紛れもなく現実。女性の店員は失礼ながら何年も来ているために瞳や髪を凝視してしまったことが多々あった。その結果染めているわけでもカラーコンタクトを入れているわけでもないと知る。毛根の変色も瞳孔の色のズレも確認できなかったからだ。


 そんなミステリアスな雰囲気の二人組がいつものように朝を迎える。それだけで女性店員の心の中は幸せだった。日常を彩るものは、間違いなく二人だと。

 男性の方が手を上げる。注文を取ると、軽食とドリンクを二つ頼まれた。それもいつものこと。あと新聞を各種頼むのも。新聞を隅々まで読み、何回か飲み物をお代わりして、そしてお礼を言って帰られるのが二人が来店された時の日常。

 実は二人が新聞や雑誌が好きだということを知ってオーナーに色々と買い揃えてもらっている。そのお金も問題ないくらい二人はお代わりをしてくれるので問題はないらしい。


 二人に料理を運んだ際に「ありがとう」と言われただけで今週一週間頑張れそうなものだった。このお店では二人が来店した日はもうその話題で持ちきりだ。彼らの関係、男性の職業、お人形のような女の子の正体、どこに住んでいるのかなど。

 絵になるような二人組が数年通っているのに二人は自分のことをあまり話したがらない。唯一知っていることは男性の名前が「エイ」であり、少女の名前が「ヒメ」であること。あとは霊気の量がプロと遜色ないことくらい。

 少し前にプロの陰陽師なんですかと聞いた店員がいたが、資格は持ってないということだった。あとオーナーはもう少し知っているようだが、語ってはくれない。


 だからこそ、色々と妄想するのだ。禁断の関係だったり、公にはできないような秘密があるに違いないと。

 それがあながち外れていないことに、事情を知っているオーナーは脂汗をかいているのだが、話と接客に夢中な彼女たちには気付かれない。


「ふむ。やはり蟲毒についてはどこも情報を出さないな。呪術省め、握り潰したな?」

「それはそうでしょう。蟲毒を起こしたのが市に雇われているプロの陰陽師なんてバレたら一大スキャンダルやからねえ。しかもその裏には土御門家。まあ、爆弾を抱えさせるだけ抱えさせておけば景気良く燃えるんとちゃう?」

「しかし、景気が良すぎるのも問題だろう?勘違いに気付かず、自尊心を膨らませているのは滑稽だからいいとして。また第二次世界大戦のようなことになるのは勘弁だからな。日ノ本の原風景を壊すのはさすがに看過できないからな」


 頼んだコーヒーを口に含みながらAは新聞に目を通す。雑誌なども見ながら表の情報を確認しているが、大した収穫はなかった。


「しかし、この京都もずいぶん変わったものだ。やたらと外国かぶれになったな」

「そんな昔のことはわかりませんが、そんなに嘆くほどのことなん?」

「いや?別段昔の景色が残っていてほしいわけではない。むしろ壊したいほどさ。ここは日ノ本の中でも特に昔の文化とやらを重んじている。それを見るたびに思うよ。お前たちが玉藻の前を追い払ったクセに、その悪しき出来事を思い出させるような建物ばかり残すのかと。お前らが安倍晴明を死へ追いやったというのに、それに縋るような風景を手元に置いておきたいのかと。むしろこんな景色、跡形もなく消し去ってくれれば良かったのに」


 京都の街並みに風情を感じるという意見が多いだろう。景観を気にしてコンビニエンスストアやファストフードの店の看板の色さえ変えさせるほど。そこまで景色を守ろうとするのは文化の保護と、安倍晴明への無知な追従。

 むしろ安倍晴明は建物や橋などは全く気に留めていなかったというのに、それに気付かない愚か者たち。


「晴明様も、都が好きだったわけではありませんからねぇ。むしろ住む場所としていただけで、ほとんど家を空けて外を回っていましたし」

「あいつの放浪癖にも困ったものだ。ついていく式神たちも大変だっただろう。外の妖共もいきなり玉藻の前を連れて来られて困惑していた。すでに隠れたはずの神が現れたとなれば、それもいささか不思議ではないが」

「お二方には困ったもんやなぁ。……日ノ本の原風景を残そうとなさったのは、金蘭様でしたね」


 姫が過去視で視た風景を思い出しながら呟く。過去視は映像を見ているというよりは、絵を見ているような感覚だった。それだけ過去の出来事が、取って切られたようなものがあまりにも美しくて。もう彼女がその光景を見たのは自分の生前の年齢を超える程の年月。式神とはいえ、忘れ始めていることもある。

 Aもそのことを思い出しながら、嘆息交じりにうなずく。


「彼女も人間と戦い、どうにかして自然を残そうとした。だが、当代最強の陰陽師の式神であり、最強の盾と呼ばれた彼女でさえ何度も人間の戦争を食い止められるわけがない。そもそも攻めは不得手ということもあった。守るのはいいが、景色という物は広すぎる。こんなちっぽけな島国でさえ、一人には広すぎた。できることは限られている。晴明から貰った霊気も無尽蔵ではないからな」

「それに人間による開拓もありましょう。それを立場ある人間ではなく、式神では止められません。人は、自分たちの利益のために簡単にその他を切り捨てられる生き物ですから」

「まったく……。私もさすがにこれ以上日ノ本という場所が壊れるのは見たくなくて四百年前には江戸幕府に力添えして天海というまともな陰陽師を遣わせたのに。その末裔がなんたるザマか」

「それを言いましたら、土御門とか晴明様の血筋の方がマズイとちゃいます?そこの鴨川も、わたしなんていう死者に未だ『龍脈の支配権を奪われている』なんてことに気付いていないなんて」


 川というのも冥界への境界だという言い伝えがあり、さらには龍脈の上を通っているものという説もある。龍脈は霊脈よりも上位の様々な物の流れの行き着く先、という表現が正しい。

 霊脈はその土地に広がる霊的な物の行き着く先。呪術や陰陽術の陰に当たる部分の大元となっている物が主に流れている場所だ。ここから力を借りるのが呪術師だったり魑魅魍魎や妖。霊気も流れているので、陰陽師にとっては守るべき物という認識で良いものだ。


 翻って龍脈は、「全て」の流れの行き着く先。五行に代表されるような陰陽どちらも流れている場所であり、霊気も自然に影響を与える生気も多分に含んだ場所。

 これがあるから京都という場所は様々な生き物や魑魅魍魎、妖が活発に動けるのであって、この龍脈が機能を停止すればたちまち街は目に見えないナニカが変わって全ての存在に多大な影響が出るだろう。


 生きているのに何もしたくなくなるような、何のために生きているのか。それもわからなくなるほどに困惑する。今までがその生きる糧だったナニカに溢れていたために。

 陰陽術もまともに機能しなくなるだろう。魑魅魍魎や妖ですら活動をしなくなるので、生活にそこまで大きな影響を与えなさそうだが、見た目は一気に変わるだろう。


 そんな龍脈の在り処は京都に二つ。関東に二つ。北海道に一つ。九州に一つ。他にも少々。京都は二つもあり集中しているからこそ、人間もそれ以外の存在もここに集まってくる。本能的にこの場所は良い場所だと認識するからだ。

 もっとも、龍脈の位置など呪術省も正確に把握しておらず、まともに知っている人間はほぼいない。そんな中でも生前辿り着いた姫はたしかな鬼才であった。その上で龍脈を掌握したことにはAでさえ感嘆したほどだ。


「龍脈なんて知っている者の方が少ないだろう。歴代の麒麟と、時の権力者くらいだ。私も把握していた人間を全員は知らんが、織田信長は理解していたぞ?難波の家にも訪ねてきたらしいしな」

「そら初耳ですわ。援軍要請でもしたん?」

「いや?お前たちの力は強大に過ぎるから、戦国の世に出てくるなって言われたらしい。あの地に引きこもることが難波の連中も本望だったから快く受け入れたとか。たしか本家の蔵にその証書があったはずだぞ?」

「は~。知らないことを知れました。ありがとうございます」


 素直に姫は頭を下げる。知識量では絶対Aには勝てない。真実に辿り着いた者と十二歳の時に自称していたが、今ではそれも真実の一端に過ぎないと自覚している。そして、当時のわたしバカっぽい、とも。

 だがそれでも。その真実にさえ辿り着けていない人間のいかに多いほどか。だからこそ、その一部の真実だけで己惚れてしまうのも仕方のないこと。


「でも、難波の方たちは引きこもっていたわけではなくて、あの土地の保護のために動けなかったんでしょう?五百年前というと、まだ折り返し。あの周辺は呪詛が蔓延っていたのでしょう?」

「まあな。それをものともせずに本家に辿り着いたらしい。陰陽師でもないただの人間が、だぞ?」

「そりゃ、第六天魔王なんて名乗れるわけやなぁ。規格外っていうのはどこにでもいるものですね」

「江戸の終わりにはそういう偉人も多かったな。世が世だったというのもあるだろうが。……さて、そろそろ行くか」

「そんな時間?ほな、行きましょ」


 お店にあるアンティークの柱時計の時刻を確認して二人は席を立つ。入ってきた時のようにAが姫をエスコートしながら。

 もちろん支払いはAが。女性に支払いをさせるような男ではない。支払っている間に姫は大きな日傘を用意していた。その色彩は柑橘類を思い浮かべるような、花柄の物。それがまた見た目に合っているのだから絵になるというものだ。

 会計は女性店員がしてくれたのだが、Aはオーナーに用事があったので呼んでもらう。オーナーは裏にいたようですぐに来てくれたが如何せん顔色が良くない。お腹を押さえている四十代の男性という絵柄は、十人中十人が美形と賞するAの脇には相応しくなかった。


「また厄介ごとですかい?Aさん」

「いや?簡単な頼みと忠告を一つずつ。そこまで難解ではないはずだ」

「……はあ。それでどういった内容で?」

「頼みというのはメニューを増やしてほしいことだ。抹茶を使った食べ物と飲み物を。あとは油揚げを使ったメニューも一つ頼む。で、忠告の方はしばらくの間夜は出歩かない方が良いということだけだ」


 言い終わると、オーナーはもう一度お腹を押さえて擦ったあと、顔を上げて問い質す。


「抹茶系の物は喫茶店なんでわかります。でも油揚げ?もしかしてそっち系のお客さんを招待するので?」

「その通り。察しが良くて助かる。難波の次期当主だ」

「……康平殿以来ですなぁ。そう、難波家が……。康平殿の息子?」

「それと婚約者と式神三体。おまけも増えているかもしれんな。期間は短く見積もって二週間というところか」

「やっぱり面倒事かよチクショウ……。アンタが関わると面倒ばっかりだ。二週間で新しいメニューを三つ以上だと……?」


 オーナーは頭の中で計算する。仕入れ先に必要な食材の追加注文。そこから試作と原価計算。メニュー表作りにレシピの作成と命名。やることなんてたくさんある。

 だが、それでもなんとなく行き着く先が見えているというのは彼が優秀な証拠だ。伊達に四十代で鴨川という絶好の観光スポットに出店して成功を収めているオーナーを務めているわけではない。


「それで、忠告の方は?大きな騒ぎがあると?」

「ああ。百鬼夜行か、それ以上だ。鬼も出るからな。どこまで被害が大きくなるか、視えなかった」

「視えなかったんじゃなくて、視てないからでしょうが!」


 オーナーは小声で叫ぶという絶技をかました。こんな内容、一般人の店員やお客に聞かせられない。その様子に当の本人たちは微笑むばかり。


「姫さんが視えなくなったのは知ってましたけど。……それで?二匹とも出すんですか?」

「ああ。どんなことを任せるかわからないが。それに楽しみを視てしまうのはもったいないだろう?どうせなら当日臨場感あふれる中で体験したいではないか」

「……まあ、ほどほどにしてあげてください。あとウチのお店には被害が出ないようにしてくださいよ?」

「それは大丈夫だろう。姫がこの辺りの土地神と言って差し障りない存在だからな」

「……おねがいしますね?姫さん」

「ええてええて。いつも美味しいお茶とお菓子、それと可愛らしいお嬢さん方にお世話になってますから。なんなら式神一匹置いとく?」

「そこまでは大丈夫です」


 どんな式神を置いていかれるかわかったものじゃないので丁重にお断りした。そして先程の発言は店内によく響いたのでこれまた姫への崇拝の視線が向けられることだろう。

 大きな災害の予兆と護衛。種まきは流石と言えるがこの二人、そこまで考えていない。


 Aはこのお店をあるラーメン屋と同等に扱っているだけで、暇つぶしと情報収集で使わせてもらってるから保護するのは当然という考え。だがやるのは姫任せ。

 一方姫は純粋に味と雰囲気、そして従業員のきちんと成長している、自分とは異なる道を歩んでいる一般人の女の子というのが羨ましいことと、ちょっとした夢を抱かせてもらえるから保護するだけ。龍脈に接続すればそこまで手間でもないという理由もある。


「ではそろそろ行こうか。準備も必要だからな」

「ほな、オーナー。また来ます」


 Aは姫の手を取って歩き始める。姫の履く下駄の音がカランコロンと情緒ある街並みに溶けていく。そしてその姿もまた、痕跡を消すかのように沈んでいく。

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