第14話 2-2


「ん?てっきりあの契約で全部だと思ってたけど……」


 どうやらまだ過去視は続いているらしい。時期は変わらず秋。稲穂が黄金に輝いているのが証拠だ。

 時間帯は夜。空を見上げれば澄み切った夜空に幾星霜の星空と、まん丸に蒼白く光っている満月があった。

 あと、俺の知る霊脈じゃない。景色自体はかなり我が家に似ているが、場所は違う。辺りの霊気が濃く、何やら不穏だ。いくら魑魅魍魎が闊歩する夜でも、こんなに肌に粘りつくようなねちっこい霊気はそう感じたことはない。

 あっても何回か。その何回かはいづれも過去視で味わったもの。だからか半場確信をもって近くの屋敷に入り込む。

 現代風の家ではなく、昔の、それこそ千年前の貴族の屋敷だ。生け花や窓から庭や池が見えるような自然と調和したかのような寝殿造り。部屋数も多いが長い廊下も多く、部屋の仕切りはふすまではなく屏風やすだれ

 所々に見える繊細な趣。一つ一つから職人技が見て取れる、建物そのものが一種の芸術品になっている豪華さ。

 人がいそうな縁側へ向かうと、そこには当時の平安装束である狩衣かりぎぬに、立烏帽子《たてえぼし》をつけた中年に差し掛かった男性と、その傍に寄り添うような一匹の狐がいた。その狐は二尾。だが、どこか見覚えがある気がする。


(まさかゴンか……?)


 狐の見分けには自信がある。そこにいたのはいつも見ているゴンと寸分違わない。隣にいる男は式神契約はしていなかったが、縁のある人物なのだろう。


「クゥ。あと半日もすれば私は今生を終えるだろう。私が与えた霊気は扱えそうか?」

『フン。彼女ほどではなくても、オレにもそっちの才能があったんだろうよ。あとは天才様の霊気だから副作用とかはなさそうだ』

「それは良かった。君には辛い想いをさせるが、それでも生きていてくれれば彼女も喜ぶ。人間に君が殺されたなんて知れば、悲しみで辺りを焦土にしかねない」

『そこまで気性の荒いやつでもないだろう……』


 声からしてゴンで間違いないらしい。それにしてもからの呼び方がクゥだったなんて。いや、それよりも関係があった方が驚きか。


「それほどの悲しみで、世界に泪の大洪水を巻き起こしそうだよ。何でも西欧にはそんなことをしてしまった神様がいたとか。のあ、と言ったかな?」

『まあ、彼女なら日ノ本くらい覆いつくす大洪水は起こそうと思えば起こせるか……。お前の星詠みと千里眼には恐れ入る』

「そこまで万能でもない。たとえ少し先のことが視えても、この結末は少しも変えられなかった。良いことばかりでもないさ。様々なことが見渡せて、未来が詠めても。むしろ視野が広がりすぎて、見たくないものまで視えてしまう」


 そう言った彼は、万能ゆえに切なかった。自分の死期すらも視えてしまって、出来事の多くを予見していてもそれを変えるには手が足りなくて。知り得るからこそ悲しいなんて、周りの人間は思わないだろう。

 それほど彼は偉大だった。

 それほど彼には力があった。

 それほど彼には才があった。

 それほど彼には周りが期待した。

 それらを踏まえたうえで、彼は人間だった。少し特別な、ただの人間。


『……アイツはどうする?今も都相手に暴れているぞ?正義の味方として、都を救いに行かないのか?』

「ここから?霊脈を伝ったって無理さ。それに、私は正義の味方などではない。それはクゥもよく知っているだろうに。……それに、疲れたよ。もう人間のために働くのは」

『まあ、最後の一日だ。そこまで働かなくてもいいか。……オレはどの程度アイツを止めればいい?』

「法師のやりたいようにさせればいいさ。お前は手を出さず、戦いになっても俯瞰していればいい。たとえその結果都が落ちようが私には関係ないことだ。もうじき都に仕掛けた私の方陣も効力をなくす。土御門が練り直すとしても、魑魅魍魎を相手にしながらの並行作業ではすぐにできないだろう。……一人の人間に、今の世は期待しすぎなのさ」


 陰陽術はその術を仕掛けた本人が死んでしまえば効力をなくす。正確には、死が近くなれば今の世と術を繋ぐ要石が消えることになる。術は術者ありきのもの。術者がいなければ、術もなくなる。

 式神との契約が切れることと同じだ。

 縁側に座る彼は陰陽師として優秀すぎた。だからしばらく世は混乱するだろう。彼と同等の力を持った陰陽師は同じ時代に一人しかおらず、その一人はいわゆる正義の味方ではない。


金蘭きんらんぎんはどうするんだい?」

『私はかの地の守護を。殺生石がどのようになるのか、見届けます。見届けた後は、言わずもがなかと』


 ゴン以外もそこにいたことに驚いたが、その年齢を重ねた女性の声から聞こえてきた単語に、俺は顎が外れそうになった。

 発言の主はおそらく彼の式神。今世の中に伝わる歴史と難波家に伝わる歴史から関連があるとは思っていたが、その守護をしていたなんて。

 殺生石。それは都に混乱を招いた玉藻の前が都の部隊に討伐され、その遺体の元に残った近寄る者を死に至らしめるという猛毒の物体。これに触れたために安倍晴明は命を落としたという。

 安倍晴明はこの殺生石の処置をして本当に近くまで近寄らなければ人体に被害を及ばない程度まで封印したというのが彼の最後の偉業だ。その殺生石は一度、近くの農村を丸々呑み込んで崩壊させている。

 この殺生石を置き土産とした玉藻の前。彼女が狐であったことが、今の世の中で狐が嫌われる要因になっている。


『俺はお前たちの子どもを見届けてやる。こうやって分割した方がお前の気も少しは揉まれるってもんだろ』

「そうか……。それは助かる。私は、良い式神をもったよ」


 壮年の男性の声も聴いて、彼は安心したかのように満月を見ていた。最後に見る夜空としては申し分ないだろう。霊気からして何か嫌な感じはするが、それでも縁側から見える景色は尊厳で、穏やかだった。

 微かに聞こえる鈴虫の音、満月が照らす悲し気な淡い灯り。それを受けて白くも黄金にも輝く一面の穂。それを薙ぐ風を見て、この土地そのものが彼の死を受け入れているようだった。


「二つの術式は問題なく起動した。殺生石の方は都でも関わりたくないと降参状態。おまけに法師が全国で一斉蜂起。この混乱に乗じて、我々は次代のための平穏を築こう。……ああ、たしかに私は公人としても職務を全うせず、正義の味方でもないな。むしろ日ノ本など滅びてしまえばいいのに」

『それではあの御方が悲しみましょう。あの御方は貴方様と、この自然溢れかえる日ノ本を愛したのですから』

「国という日ノ本だよ、消えてほしいのは。土地としての日ノ本は、かくあらんとばかりに眩いのに」


 苦笑しつつも、とんでも発言をする彼。これを見た他の過去視適合者は何を思っただろうか。

 そして彼がここまで今の日本を恨む理由も違う過去視で知っているから、何も言えない。


「私はね。ただ母と彼女に裕福な暮らしをしてほしかっただけなのだ。そのために宮中に入り、貴族の名も手に入れた。陰陽術を広めたのだって、母を物の怪呼ばわりするこの国に呆れたからだ。人の感情こそ、何にも及ばぬ物の怪であろうに」

『その母君の墓は、どうなさいますか?あれは都の近くにございます』

「魂はすでにこちらに移したよ。稲荷は母に寛大だったが、いつまで都に楯突けるかもわからぬ。クゥ、お前に母の供養を頼みたい」

『……わかったよ。陰陽師、安倍晴明が一番弟子として請け負う。汝が母、葛の葉君の供養を、安倍晴明看取りし後執り行おう』

「私なんて後でいいのだが……」

『それではオレがあの御方に怒られてしまうのでな。なにせ、泪で日ノ本を滅ぼす女だぞ?』

「本人はそんな気ない茶目っ気ある可愛い奴だったのに……。どうしてこうなった……」


 ゴンの皮肉に、陰陽師の祖として名高い安倍晴明は雫を瞳から零す。

 その様子を見て、確信した。彼はただの人間だ。今の世の中でどれだけ神聖視されていようとも、心はただの、人間だと。

 その美しくも儚げで端正な顔付きが、弱々しく藍色の瞳を濡らすまで、そしてその瞳に狂気を映すまで時間はかからなかった。


みな、私はここに誓おう。いつの日か、必ず彼女の汚名をそそいでみせると。そして人間に、地獄の業火も生温い本物の恐怖を与えてみせると。この身は端から清廉潔白ではない。ならばただただ、怒りに身を任せる復讐鬼になろう。……とはいえ、私にできることは限られている。吟、ここにある私の荷物は全て法師へ。継がせるべき物は、もう全て与えてある」

『仰せのままに』

「……法師はこの世を、地獄へと変えてくれるだろうか」

『それが貴方様の望みなら必ずや。法師は世を創り直し、我々はあの御方の愛した日ノ本を守りましょう』


 その宣言を聞いて、柔らかく安倍晴明は微笑む。

 あの安倍晴明が、地獄になることを望むなんて。そこまで人間を恨んでいたなんて。怨み辛み、それらが魑魅魍魎を産むという。そういう意味では、法師はきちんとこの世を地獄へ変えてくれた。

 そして法師。この称号を持つ男は安倍晴明の宿敵と言われた道摩法師しか有り得ない。安倍晴明の亡き後、この世に災厄を撒き散らした呪術師として有名だったが、それまでも事実だったなんて。

 彼が呪術師を名乗ったことで、今では陰陽師の名称が一般のものとなっている。だが、それでも陰陽術という名称ではなく呪術という名称を使うのは、今習っているものが陰陽術と呪術を混ぜ合わせたものだということと、呪いから身を守るための術、という意味で呪術と称している。

 意訳しすぎだ。


「君たちになら安心して任せられる。――それに我が末裔は、きちんとその責を為したようだ」


 そう言ってこちらを向く安倍晴明。……は?


「俺が、見えて……?」

「音までは拾えないが。過去視、それか占星術か。何にせよ、遠い未来でも我が末裔が成し遂げたのであれば、それは皆の努力あってこそだろう」


 何を成し遂げたのか。

 世を地獄へ変えること?これをやったのは法師だ。俺たちには関係ないはず。

 次代のための平穏?たしかに平穏だし、世では嫌われている狐を崇拝している。ゴンも保護下に置けた。だが、これが彼の目的かと言われたら違う気がする。

 殺生石の無力化?おそらくこれだ。俺たちの土地には昔、殺生石があったとされている。その沈静化を受け持ったというのならわかる。血筋に任せるような事案でもある。

 それにしても規格外だ。過去視は過去にあった出来事を俯瞰する能力であって、土地などに記録された物を読み取る術。それをその場にいただけで感じ取るなんて。

 霊脈に乱れがあったのか、それとも何かの要因があったのか。どちらにせよ、こんなことができるのは安倍晴明くらいのものだ。


「あとはその時代の者に任せよう。どうか彼女の魂が、救われるように」


 その言葉で、俺の意識は途切れた。過去視はいつ途切れるかわからない。キリが良い時もあれば、悪い時もある。

 今回は――良かった部類だろう。



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