第4話 花火
「月がきれいね、朧月夜。晴れてよかったー。海から見上げる花火なんて初めて。芭蕉も見たのよね、月明りの松島。ホントは心配していたの。鷹志さん、テルテルのこと、雨男だって言ってたでしょ」
「あれはさ…」
「盛った話なのよね。てるてる坊主なのに、ご利益がないって」
優理子と輝輝は松島湾のクルーズ船に乗っていた。芝生の会場も雰囲気はあるが、せっかく海の上から花火を楽しめる松島ならではの趣向なので、優理子を喜ばせようと輝輝が予約した。
「さすが日本三景よね」
「京都の天橋立、広島の宮島は行ったことある?」
「ないの。函館とか神戸とかは行ったことあるんだけどね」
「もしかして、夜景マニア?」
「そんな自覚はないんだけど。そう言われれば、長崎の稲佐山や香港のヴィクトリアピークも行ったわね」
「そういうの、夜景マニアって言うんだよ」
「でも、東京スカイツリーは登ってないわ。テルテルは?」
「夜景? 日本三景?」
「どっちでも?」
「宮島は中学の時、家族旅行で。天橋立は、大学の時だったな」
「やった? 股のぞき」
「もちろん。天橋立ったら当然、股のぞきっしょ。顔嵌め看板と同じで、やんないって選択肢はない。松島みたいにちょくちょく来るわけにはいかないからね。そうそう、鷹志も一緒だったんだ」
月明りに浮かび上がる湾内の島影を眺めていた2人の目の前で小さな光の帯がヒュ~と音を立てて上空へ。一瞬、消えた光は真っ赤な大きな球を描いて広がった。まさに夜空に咲いた“大輪の花”だ。
「花火って、光の伝わる速さが音の伝わる速さより速いって子供に教えるのに一番適した教材よね」
「確かに。こんな近くの距離なのに、花火が上がってからドーンって音が聞こえるまで随分とタイムラグがある。下手すると、花火が消えかかってから腹に響くような感じだね」
今度は、海の上のスターマインだ。優理子の横顔が花火に照らされる。連続する光の芸術を笑顔で楽しんでいる優理子を独り占めしている贅沢な時間。輝輝は、彼女の瞳に写る花火を見てみたい衝動にかられたが、欲望は心に納めた。まだ、そんな仲じゃない。
「誰の言葉だったかな。花火は束の間だから美しいって…」
「オレ、文学弱いからな」
「ほら、見て海の上。花火は一瞬だけど、灯籠は一瞬じゃないわ。今日は17日。お盆を故郷に迎えた先祖や震災で亡くなった家族と別れの送り火よ。あんなにたくさん」
輝輝は視線を下げた。さまざまな灯籠が静かな波にゆらゆら浮いている。引き潮に乗って沖に向かうもの、名残惜しそうに湾内に漂っているもの様々だ。感傷的になって言葉に詰まった輝輝が口を開いた。
「豪華絢爛な花火は、さしずめ供花かな。それとも来年のお盆のための道標かな」
「あら、文学的なことも言えるんじゃん。永遠の“小6男子”」
輝輝に振り返ることなく、デッキから身を乗り出すように灯籠を見送っていた優理子。小さく口元が動いているのが見えた。
「何千何万の魂が毎年、何の心配もなく故郷に戻って来られるように津波対策考えなきゃな」
「そうね」
たった一言だったが、優理子の確かな決意が伝わってきた。
花火大会や人気アーティストのライブ会場は、祭りの後が大変だ。駐車場のことだ。夥(おびただ)しい数の車。日中ならともかく、夜の場合は自分のクルマ探しにも一苦労する。その上、数少ない出口から1秒でも早く脱出したいと割り込むドライバーのエゴにも辟易する。幸いなことに、今晩は隣に優理子がいる。いつも感じるイライラより、満足感の方が勝っていた。
「ねえ、『未来予想図Ⅱ』知ってる?」
「ドリカムだろ。もちろん知ってるさ。ブレーキランプ5回点滅させるヤツ、だよね」
「さては、やったことあるな。何人?、ねえ何人?」
「な、ないよ。そんなベタなこと」
「ま、いいわ。あれね、開けたサンルーフから星を眺めているの」
「へー、そうなんだ。今のシチュエーションと同じだ」
「そう。仙台から来る時に思ってたの。雨降らなきゃいいけどって。前の車、ブレーキ5回踏まないかな」
優理子は出口に向かって並んでいる直前の車を指差した。
「そんな遊び心あるわけないだろ。イライラ、マックスだよ。仮に心の余裕があったとして、真後ろの車1台だけだぜ、観客は。しかも、気づくかどうかも分からない」
「じゃあさ、私たちがやるって、どう? 後ろの車が気づくかどうか」
優理子が振り向くと、後続のヘッドライトに照らされた2つのシルエットが見えた。
「後ろもカップルみたい。もしかしてドリカム聞いてたりして」
車列が少しだけ進む。輝輝はハザードランプを点滅させて、後ろのカップルの注意をひく。ブレーキを断続的に踏んでも車体が動かないようにSUVのギアをパーキングに入れた。車列はしばらく動く気配もない。
「行くよ」
そう宣言して、輝輝はブレーキペダルを5回踏んだ。後ろを見ていた優理子が後ろの車のフロントガラスに反射するブレーキランプの点滅を5回分確認した。
「どうかしら? 気づいたかな?」
2秒、3秒…。後ろで人影が動くのが見えた。ハザードランプが5回点滅。そしてハイビームのパッシングが2回と軽いクラクションが1回。
「ねぇねぇ、ほら。気づいたわよ」
肩を揺さぶられた輝輝もルームミラーで確認していた。ハザードランプを5回点滅させて応えた。
「ほら、退屈でウザったかった駐車場が一瞬だけでも楽しくなったじゃない。はい、チョコ」
「犬か、オレは」
「何か、おまぬけかな」
「バカップルだな、完全に」
「ねぇ、私たち“婚パ”でぶつかってなかったら、どうなっていたかな」
「駐車場の前後の車の関係だったりして」
シートベルトを外した優理子が自分の頭を3回輝輝の頭に軽くぶつける。
「何だよ、急に。危ないだろ」
「未来予想図。ホントは5回なんだけど、きょうは3回で許してあげる」
「何のサインだよ」
優理子は運転席の輝輝の反対側の窓ガラスに向かって無言で口を動かした。
「ア・イ・シ・テ・ル、テル。えー、嫌だぁ」
オムニバス小説 ラブオールⅡ 30-0 鷹香 一歩 @takaga_ippu
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