続 セント・オブ・ザ・ウーマン 

ジム・ツカゴシ

第1話

 中畑とサラがシカゴ郊外の借家に入居してから四年が経った。中畑はエルク・ブローブを拠点にして全米の販売に頻繁に出張する日々を送っている。自宅がシカゴ空港から十五分の地にあり出張には好都合だ。

 サービスマーチャンダイズに就職したサラは、三年後に近くに進出した工作機械を輸入販売する日系企業に転職した。前職での人事考課がよかったことから、新人よりも一段上のランクで採用された。職場は入荷と出荷を記録する係りだ。その職場では日々経理部とデータを交換する。そのたびに、在庫額や在庫調整額、あるいは先入れ先出しなどの専門用語が飛び交う。その理解を深める必要があり、サラはしばらく前から簿記の中級の通信教育を受講していた。

 年末が迫り、入社して二度目の棚卸しを迎えた。今年はサラが監査法人から派遣される会計士を補佐することになっている。一年前は入社して日が浅く棚卸しの目的も理解していなかったが、一年後の今は事前に送られてきた会計士からの手順書も理解できるようになっていた。


 「サラ、一年前と違い、在庫管理が一段と向上しましたね」

 作業に先立って倉庫内を一巡した会計士がサラに向かって笑顔で告げる。一年前には同じ商品が別々の棚に保管されていたり、不良品が混じったまま放置されている例が多く、監査法人から改善するように勧告が出されていた。

 サラは棚に番号を振り当てて、商品ごとのロケーション管理を導入した。これには前の職場だったサービスマーチャンダイズでの経験が役立った。ロケーション管理だけでなく、四半期末には仮棚卸しも実施して破損品や返品、不良品を別に管理することも始めていた。


 中畑とサラの関係は地元では知られていた。中畑もその関係を隠すことなく、毎年一月下旬に近くのホテルで開催される日本人会の新年会にはサラを同伴していた。

 その新年会の会場でふたりが座るテーブルに中年の男が歩み寄った。

 気付いた中畑が立ち上がって、「やあ、辻本社長、本年もよろしくお願いします」そして、隣に座るサラを指して、「いつもお世話になっています」

 サラも立ち上がって頭を下げる。サラは日本語の響きでそのニュアンスを理解するまでになっていた。

 「中畑さん、お世話になっているのはこちらですよ。他の社員には見本にするようにと常に話しているのですよ。サラが作成する社内資料はたくさんの数値を集計しているにもかかわらず間違いがなく、その上、作成に以前の数分の一の時間しか要しないのはどうしてか、と疑問に思いましてね。それを尋ねたら、最近発売されたパソコンで操作する計算ソフトのためだそうで、その場で操作をサラから教えてもらいましてね。本社への報告書に利用していますが、経営管理にも役立っています。発売されて間もないあのソフトを使いこなす役員はまだ本社にはいないそうで、おかげで私の株があがりましたよ。ひと言お礼を申し上げたくてね」と、サラの肩をたたく。

 サラが勤める工作機械の販売会社の社長だ。本社の役員を兼務したやり手社長として知られている。めったに人を褒めないそうだから、わざわざ足を運ぶのは珍しいことなのだろう。その会社の社員たちが興味あり気に見守っている。社長が立ち去ると、中畑はサラに社長の言を伝えた。思わず頬を赤くしたサラが、あれはエクセルのことだと告げる。商社でもエクセルが普及するのは数年後のことであった。

 その工作機械会社では、それまでの完成品の輸入販売に加えて、簡単な組立て作業を始めようとしていた。工作機械は使用目的やサイズごとに多数の商品モデルからなりたっていた。しかし、モデル名は異なっても、多くは限られた数の基本になるベースを共有していた。そのためベースとその他の付属品を別々に輸入し、販売動向の推移に応じて出荷前に付属品と組み合わせると効率よい在庫管理が可能になる。

 この組立てが軌道に乗った後は、もっとも汎用性に富む販売の大半を占める人気機種のベースを米国内で生産することも計画に乗っていた。

 この情報を耳にしたサラが、「在庫管理や原価管理の知識を身につける必要がありそう。カズ、どうすればよい?」と中畑に尋ねた。

 「先日僕の事務所を訪れた地元のコミュニティー・カレッジの関係者が社会人向けのコースを紹介してくれた。夜間のコースで、機械加工や溶接などの製造関係に混じって工業簿記のコースがある。中級簿記の知識を持つ君には製品の原価計算や仕掛品の在庫管理も理解し易いはずだ。受講したらどうかね」

 「そうするわ。それに簿記だけでなく会計も知って置く必要がありそう。今は日本の経理部から派遣された駐在員に丸投げだけど、いずれは米人に移管される時期がくると思うの。パソコンを利用した会計の講座も探してみよう」


 その年の夏は、海を見たいというサラの希望で、メキシコ湾に面したフロリダ州のペンサコラビーチで一週間の夏休みを過ごした。シカゴからインターステートのルート六五を真っ直ぐ南に下ると目的地に着く。早朝に自宅を出て夕刻遅くになってメキシコ湾を一望するホテルにチェックインした。

 このペンサコーラ一帯のメキシコ湾岸は純白の砂浜で知られている。翌朝にベランダに出ると、ホテルの前に広がる白い砂浜は雪が積もったのかと錯覚するほどだ。

 朝食を済ませてブルーのビーチパラソルが並ぶ浜辺に出た。サラはビキニの水着スタイルだ。手術跡は水着に覆われて外からは見えない。

 膝の深さに立つと小魚が足に纏いつく。最初は驚いていたジミーが魚を追って走り回っている。泳ぎのできないサラを腰の深さで抱いて水に浮かべる。当初は身を固くして浮かぶことができなかったが、午後には中畑が手を離してもその場で浮かぶまでになった。

 サラは十代にはダコタ州では人気のロデオ大会に参加していたそうだ。馬に跨り三つのドラム缶のバレルを回ってゴールするバレル・レースでは、高校生の時に州のチャンピオンになったという。カウボーイ・ハットから長髪がたなびき、ジーンズにチャップと呼ばれるローハイドを着けた女性の騎手が駆け抜ける。荒馬乗りや巨大な雄牛乗りの男たちによるロデオ競技会では、唯一女性によるこのバレル競技に衆目が集る。

 そのバレル競技で優勝するほど運動神経に秀でているからだろう、数日で十メートルほど犬掻きができるまでになった。

 メキシコ湾の太陽が浜辺に降り注ぐ。純白の砂に陽が照り返し、広い砂浜はキラキラと輝いている。大きなビーチパラソルの下に置かれたベンチに三人が川の字に横になる。夏休み中のために周囲も同じような家族連れでいっぱいだ。

 近くに米海軍の基地があり、曲芸飛行で知られるブルー・エンジェルスがその基地をベースにしている。訓練のためか五機の編隊が低空で飛来した。ジミーが将来はパイロットになるんだと叫ぶ。

 

 ある日、支店の食品部長から中畑に電話があった。

 「君はノースダコタ州に出張することがあるそうだね」

 「あそこには優秀な販売店がありましてね。年に数度は訪れます」

 「実は、来月日本からビート、あの砂糖大根の甜菜のことだけど、その長期輸入計画の下調べのために調査団が訪れることになっている。生憎その時期にカリフォルニアで食品博覧会があって、うちの部員は全員が出かけねばならない。そこで機械部長に相談したら、君がピンチヒッターには最適だと薦められて、それで電話したのだが、請負ってくれるかね?」

 中畑は入社すると葉山にあった会社のヨット部に加わった。その年のキャプテンが、大学時代からヨット界では知られたヨットマンだったこの食品部長であった。

 「いいですよ。同じ支店ですからね。私でお役に立てれば幸いです」

 「いやー、君ならば引き受けてくれるとは思っていたけど、快く受けてもらってありがたい。調査団のメンバーと日程を記したコピーをそちらに送るからよろしくたのむ」といって部長が電話を終えた。

 送られてきた日程表によれば、ノースダコタ州の州都であるビスマークにあるビート農家の組合を表敬訪問し、最近稼動を始めた粗糖の加工工場と近辺の農家を数軒視察することになっている。日本でも清涼飲料の消費量が伸びて使用する砂糖の需要が増える一方で、砂糖の安定的な輸入が懸案になっているそうだ。サトウキビからの砂糖だけでなくビートからの砂糖も日本では注目されていた。

 ビートの最大の産地であるカリフォルニア州からだけでは不足する恐れが出てきたために、近年栽培量が拡大しているノースダコタ州を安定供給先に加える可能性を探るのが今回の來米目的である。

 粗糖を買うのではなく収穫に先立って農家の畑の作物を買い取る構想であった。丸の内に勤務中に中畑は当時はユーゴスラビアと呼ばれていたバルカン半島に出張したことがある。その時に同じ商社の酒類を扱う部から出張中のワインの担当者といっしょになった。ワイン会社に代わって商社が収穫する前のブドウ畑をそっくり買い取るために出張していたのだ。今回のビート取引も同じ構想から出たものであった。

 同じ会社でも商品ごとに商取引の条件が異なる。中畑の場合は輸入機械を売り込む側だ。客を接待することはあっても、客から接待を受けることはない。ところが、長期買い付けのための調査団ということで、二泊三日の間の食事はすべて先方持ちになっている。州都であることから二日目の昼食には州知事も同席するとある。買う立場と売り込む立場の違いが出ている。


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