第49話 地獄へ行くな

 さて、ステュアートの街は昨日と変わらない様子で、商人はじめとする人々で賑わっていた。

 ダージリンは帽子の様な煙突を深く被り、辺りを伺いながら歩いて行く。

 昨日の少年は大丈夫だろうか。

 どうしてこんなに気になるんだろう。

 いや、紅茶だ。


「あれ?」


 やっと、『トーマス』が見えて来るとお店の前でハルタとユミが不安そうに顔を合わせていた。

 ダージリンは話しかけると、先に気付いたのはユミだった。


「……どうしたんですか?」

「あ、昨日の王子様!」

「……あの、声大きいです」

「あ、すみません。今日はどうなされたのですか? その、素敵な帽子を被って……」

「……いや、これは別に変装用の……」


 何処が素敵なのか。

 苦い笑顔で言われても、正直嬉しくなかった。


「……そんな事より、どうして慌てているんですか? 何かあったんですか?」

「それが、今朝起きたらユータが……」


 ハルタから事情を聞いて、ダージリンは立ち尽くした。

 ユータが失踪したらしい。

 今朝起きたらいなかった様だ。

 原因は多分、昨日起きた親子喧嘩らしい。

 というより、ユミが一方的にユータに怒った様だ。


「ユミが昨日、訳も聞かずに怒鳴ったのがいけないんだろう!」

「何よ。訳なんて、ユータは何も喋る気なかったじゃない! 口すら聞いてくれなかった私の気持ち、貴方はわかってないのよ!」

「無視されたんじゃなくて、怯えてたんじゃないのか!」

「ふざけないで! 放ったらかしにしてる貴方よりは私はユータ向き合っているつもりよ!」

「放ったらかしにしてるんじゃない! ユータの意思に任せているだけだ!」


 余裕が無くなって、ハルタとユミの夫婦喧嘩が始まる。

 ダージリンは二人の間に入り、引き離した。


「……喧嘩しても、ユータ君は戻って来ません」

「じゃあ、どうしろというんだ……」

「……僕も一緒に探します。何か心当たりとかありますか?」

「いえ、何も……」

「……わかりました。向こうを探して来ます」


 ダージリンは帽子を落とさない様に走り出した。

 果物、魚、肉等のお店の並びに気配はない。

 剣や槍を扱うお店なら尚更だ。

 辺りを見ながら走っている内に、群衆に遭遇した。


 そこはステュアートの中央広場だった。


 中心に建てられた噴水は、光を浴びて虹を照らしている。

 アールグレイ王家の初代国王の銅像もある。

 だが、ご先祖様どころではない。

 群衆は上に注目していた。


「おい、危ないぞ」

「あんな高い所までどうやって……」

「騎士団は何をしているんだ……」


 ダージリンも視線を上げた。

 皆が見ていたものは巨大な時計塔。

 クレア・タワーと呼ばれている。

 カメリア王国で最も高い建造物だ。

 そのクレア・タワーの時計盤の上、丁度人が出入りする柵の外側に子供らしき姿があった。

 ダージリンは子供に見覚えがあった。

 ユータ君だ。

 飛び降りるつもりだ。

 ダージリンは急いでクレア・タワーの下まで走り、入口を潜った。

 とにかく上に行こうと、階段を駆け上がっていく。

 扉を開けて潜る度に帽子が直撃し、足元がフラついた。


「痛って……もう帽子いいよ」


 帽子を脱ぎ捨て、再び走り出す。

 そして、最後の扉が外へと繋がった。


「……ゆ、ユータくん?」


 目の前にはユータが柵の外側、それもギリギリ端の上で立っている。

 一歩踏み外せば確実に落ちるだろう。


「……来ないで」

「そんな所にいたら危ないよ。一緒に帰ろう? お父さんたちが心配してる」

「来んな!」

 ユータの叫びにダージリンは足を止めた。

 それでも口だけは動かし、ユータの心に訴えかけた。

「何があったの? 話してみて」

「……放っといてよ! どっか行ってよ!」

「ユータ君がこっちに戻るまで、僕は何処にも行かない」

「……誰なの?」

「自己紹介、まだだったね。僕はダージリン。ダージリン・アールグレイ」


 ユータの顔が少しだけ動いた。

 それもその筈。

 アールグレイはこのカメリアを治める王家の名字。

 それを持つ者が今、目の前にいる。

 少しの動揺もおかしくはない。

 ダージリンの目は柔らかそうに輝いていた。

 それは光。

 真っ暗だった未来に、僅かな明かりが付いた。


「……お母さんと何かあったの?」

「あんな鬼みたいなの、僕のお母さんなんかじゃない! 僕の話を聞いてくれないクセに! 僕の悪い所ばかり言う! 助けてくれない!」

「……昨日会ったばかりだから、ユータ君のお家の事情は全部わからないけど、少なくとも僕はユミさんの事、素敵な人だと思うよ」

「嘘だ! 怒鳴るばかりで、僕をわかってくれない最低最悪な奴だ!」

「……お父さんは、どうなの? やっぱりユータ君に冷たいの?」

「お父さんなんて、信じられない! いつもお母さんの味方ばかりして、いつもお母さんやお客さんにヘコヘコして! 僕の事なんてどうでもいいんだ!」


 ユータはしゃがみ込み、小さくなって震えた。


「お願いだから、もうどっかに行ってよ。生きたくないんだよ。もう全部終わりにしたい。僕がいない方が皆幸せなんだ」

「……ユータ君、ユータ君が思っている程、命は軽いものじゃないよ」


 ダージリンは首下のボタンを開き、肌を出した。


「これを見て」


 ユータは顔を上げると、絶句した。

 ダージリンの喉に浮かぶドス黒い痣。


「僕は以前、ここにナイフを突き刺そうとしたんだ。死にたかったから。生きる意味が無かったから」


 過去。

 それは永遠に付き纏うもの。

 命を捨てようとした過去は、今となっては非常に不味い。

 だが、決して無意味だったわけではない。

 過去は時に、人を救う気持ちにしてくれる。


 ――だけどね、惨めだった僕を止めてくれる人がいたんだ。その人はナイフの刃を握って、血塗れになりながら必死に叫んだ。『死んじゃダメだよ!!』って。


 ――僕なんかの為に、涙を流しながら怒鳴ってくれたんだ。


 ――その後に、僕は命の重さを理解したんだ。もうその人には会えない。会いたくても会えない存在になってしまった。一ヶ月くらい前に、悪い奴らが王様を殺した事件があったでしょ? その日、僕はスダップ先生を亡くして、お父さんも亡くした。お父さんは苦手だったけど、大好きだったから凄く苦しかった。


 ――みんな……みんな……大好きだった。大好きな人達がどんどん死んでいく。友達も、家族も、いつ死ぬかわからない。だから、もう誰かが死ぬのは見たくないんだ!


 ――もう失いたくないんだ! ユータ君は昨日、手を振ってくれた。少なくとも僕はユータ君と、ちょっとだけ友達になれた気がした。友達だから! 見捨てる事は出来ない!


 ――ユータ君を必要としてくれる人間は必ずいる。だから死ぬなんてやめるんだ! 自分の命を捨てる奴は絶対に地獄へ行く! それだけ悪い事なんだよ!


 ダージリンは怒鳴った。

 霞んだ瞳から溢れる涙が、顔を濡らしていく。

 限界に達した感情。

 怒り、悲しみ、心を燃やした。

 ユータも同じ様に泣いている。

 どうやら伝わったみたいだ。


 ――生きたい。


 ユータの中に、もう一度その気持ちが芽生えていた。

 顔を拭いて、手を伸ばすダージリン。


「一緒に……帰ろう」


 その時、絶望が訪れた。

 ユータの一歩が踏み外れ、体が真下へと落ちた。

 様子を見守っていた群衆が声を上げる。

 ダージリンは駆け出した。

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