第46話 残り火

 静寂。

 双方から放たれた雪の刃はダージリンの体を貫通していた。


「あ、あ、あぁ……」


 胸から全身へ、激痛が走る。

 命に直結する様な気がした。

 刃がゆっくりと引き抜かれ、空いた箇所から粒子が上がる様に漏れていく。

 同時に全身が赤い光に包まれ、精霊の力が抜けていった。


 元の姿に戻って行くダージリン。

 貫かれた体は何故か治っていたが、今の彼に抵抗出来る力はない。

 ゴミを捨てる様に、床へ落ちた。


「見た事ないスピルシャンでしたね。他にもいたとは……」

「カメリアの王子様よ」

「え? 何故?」

「話を聞いていないのね。自分から王様の事を『父さん』って呼んでいたわよ」

「す、すみません……まさか王子がスピルシャンだったとは。躊躇している暇はありません。早く殺しましょう」

「ええ」


 周囲に広がった雪がミレッジの手元に集まった。

 白い絶景は消え、王座が元通りになっていく。

 痛みに震えるダージリンの元へ、凝縮された雪を浮かばせながらミレッジは少しずつ歩み寄った。


「お見事だったわ。その勇気と無謀さだけはね。でも残念。もう少し出来ると思っていたけど……期待し過ぎていたわ」


 掌の雪が次第に鋭く伸びていき、出来上がった氷柱がダージリンに向けられる。

 日の光に反射する氷柱。

 振り下ろされるミレッジの細い腕。


 その時、二人の前に灼熱の火炎が横切った。

 トドメを止め、ルークの腕を引っ張りながら後方へ下がるミレッジ。

 ルークは直前までわからなかった様だ。


 口を少し開けている。

 二人が向いた先には、左の瞼を閉ざしたスリランカが右手をこちらに向けながら火花を散らしていた。

 息が続かない。


 体のあちこちに空いた穴から命を漏れていく。

 左腕で体を持ち上げるのが精一杯だった。

 怒号を上げながら、ルークは拳銃をスリランカへ向けた。


「まだ生きていたのか!」

「やめなさい。もう致命傷を食らっている。放っておけばもう死ぬわ」


 確かにその通りだった。

 無理をして、火の幻想術を使ったスリランカは口から生々しい血を吐き出してしまった。

 それはもう赤黒く、脂が混じった様なぬめりがあった。

 血が出る度に、スリランカの顔は青白く変化していく。

 弱っていく王を無視して、ミレッジは改めて腕を上げ、氷柱を作った。


「……ウッ」


 痛みが走った。

 じわじわと熱くなっていた。

 腕を上げたまま固まるミレッジ。

 それを見て、ルークは眉を寄せながら首を傾げる。


「ルーク。彼、どこまで強くなれると思う?」

「……ミレッジさん?」


 ミレッジは氷柱を消滅し、ダージリンの元へ歩み寄ると、膝を下ろして視線をダージリンと合わせた。


「貴方を殺すつもりだったけど、やっぱりやめるわ」

「え?」

「聞かせて、貴方の名前」

「……ダージリン」

「ダージリン。素敵ね。私はミレッジ。悪人ヴィランよ」

「……何で、こんな事をした?」

「こんな事……私達は殺し屋だから。『MAD』っていう組織で働いている」

「MAD……」

「一度は聞いた事あるでしょ?」

「……ああ……どうして、殺さない?」

「貴方の事、少し好きになったから。それに『あの姉弟』の弟だし」

「……姉さん達を、知ってるの?」

「まあそれはさて置き。良い? これから貴方はきっと戦いに身を投じる。一睡も出来ない夜だって来るし、体の一部を失う事があるかもしれない。そして私は貴方の敵。味方になる事は一切ないし、『MAD』が『殺しに行け』という指示が出ればすぐに殺しに行く。これは最初で最後のチャンスになる」


 睨んでいたダージリンの顔は次第に曇り、いつの間にか視線を逸らしていた。

 その不安気な表情を見て、ミレッジは黒く微笑む。


「じゃあ私達は行くわ。早くしないと、お父さん死んじゃうわよ?」


 ミレッジは膝を持ち上げて、ガラスが割れた窓へ向かった。


「どうなっても知りませんよ」


 その後を追いながらルークは囁くが、ふとある事に気付いた。


「腕を抑えてどうかしたんですか?」

「……何でもない」


 左手を右腕に添えている。

 いや、掴んでいた。

 だが、ミレッジは特に言葉を返す事はなく、二人は静かに出て行った。

 静けさと共に命の安心感が蘇る。


「……父さん!」


 ダージリンは脚を引き摺りながら、倒れ込む様にスリランカの元へ向かった。

 自分の腕を枕にして、顔を覗き込む。

 僅かに開かれた瞼の隙間から放つ光は消えかけていた。

 左胸に空いた穴を手で抑え、止血する。

 だが、それは無意味な行動であった。


「ダージリン……」

「……死なないで。何処にもいかないで。一人にしないで」


 こんな真実、受け入れたくない。

 でも、抑えた手からは血が溢れ、真っ赤に染まっていく。

 止まらない血と共に涙が顔を濡らした。


「これから頑張って姉さん達みたいに頭良くて強い子になる。お父さんに怒られてもずっと我慢する。だから……だから……」


 濡れた顔から父の温もりが走った。

 大きな掌は幼い頃と変わっていない。

 久しぶりな、感情だった。


「お前は……良い子だ。その優しさはお母さん譲りだ……今まで…………すまなかった」

「……もういいよ。何も言わなくていいから。だから」

「聞くんだ。ダージリン」

「……嫌だよ!」

「聞くんだ!」


 首を強く振るダージリンの腕を掴み、スリランカは怒鳴った。

 息を飲んで、ダージリンは目を開く。

 父の最後の眼差し。


「今は凄く辛い筈だ。これから沢山の悲劇を経験するかもしれない。乗り越えろとか、耐え忍べとも言わない。ただ自分らしい生き方や信念を見つけなさい。必ずお前を必要としてくれる人間が現れる。ましてや姉達がいる。皆に支えられながら生き抜くんだ」


 すると、スリランカは手元に落ちていた長いものをダージリンの前に出した。

 赤い縁取りはまるで炎。

 窓からの光が反りの無い刃を輝かせた。


「そうだ。これをやろう。お守りだ。きっとお前を強くしてくれる」


 刀身が火と化し、柄の中へ吸い込まれていく。

 刃が無くなった刀をダージリンが握ると、スリランカの手はゆっくりと落ちた。


 ――愛しているぞ、ダージリン。

 エアーシャもシュガートも。みんな、お父さんの宝だ。

 この先も、これからも、ずっと――


 気が付いた頃には、スリランカの炎は燃え尽きていた。

 体は氷みたいで、眼は乾いている様に見えた。


 スリランカの体を起こし、強く抱き締める。

 王座に響くのはダージリンの叫び。

 後から来た者達はその真実を前に立ち尽くす。


 ルーファスは絶句した。

 セバスティアンは眉を寄せ、目を強く瞑る。

 ルピアは膝を砕き、口元を抑えながら泣き崩れた。


 どんなに悲しくて、涙を流し、叫んでも待っているのは静かな残酷。

 カメリア王国は、邪悪に負けたのだ。

 スリランカ・アールグレイ。

 永久なる眠りに着く。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る