光より生まれし子どもたち ~ Children born from Lights ~

青居月祈

序章

虹の子たち

 虹が出ていた。


 青灰色の雨上がりに、夕暮れの茜色がカーテンのように淡くひだを作って広がっている。そんな空に、天へ登る橋のように大きな虹が掛かっていた。黄金のコンソメスープみたいな匂いが漂ってきた。

 虹なんてこれまで何回も見ている。それでも見上げてしまうのは、それだけ珍しいことでもあって、同時に幸せな気分になるからだと愛衣あいは思う。 

「あ、見てみて、虹ー!」

 中学校舎の昇降口から、風夏ふうかがとんとんと靴を履きながら空を指す。

「うわーっ! 大っきーい!」

 大きな水たまりを軽やかに飛び越えると、制服のプリーツスカートが夕暮れに翻り、風夏の癖毛だらけのポニーテールがぴょんと跳ねた。こんなふうに、虹を見ると胸が躍る人だっている。

 どこからか虹の色を数える声が聞こえてきた。

「あはは、虹って見ると、ついやっちゃうよね」

 からからと風夏が笑うと、二年生用の昇降口からやってきた夜鷹よたかが恥ずかしそうに肩をすくめて微笑む。夕暮れに照らされた顔は、空と同じように晴れやかだ。

「ふしぎですね。ちゃんと七色あるか、確かめたくなっちゃうんですよ」

 夜鷹が言うと、同じ出口から出てきた小柄な音莉ねりが水たまりをぴょんっと飛び越えた。

「つまり、太陽光線のスペクトルですね。理科の授業でやったばかりです!」

「えぇ~、よく覚えてるね、音莉」

「情報収集は完ぺきです。音莉を舐めないでください」

 再び空を見上げると、さっきまで鮮やかだった虹は、今はもう黄金色の光の中に呑み込まれそうになっていた。赤、橙、黄、緑、青、藍、紫。色の変化を目で追っていると、一年生用の昇降口から飛び出してきた文乃あやのも「先輩先輩! 虹! 虹ですよ! 虹!」とはしゃいでいた。

 同じく一年生の鐘花しょうかは、虹よりも長く編まれた三つ編みが地面につかないように両手で抱えて見向きもしない。

「でも欧米だと、虹もスペクトルも六色って話らしいぞ」

 図書室の鍵を返しに行っていた悠馬ゆうまも、空を見上げ言うと「そうなんですか?」と夜鷹が呆けた声を出した。

「向こうには“藍色”がないからな」

「へぇ、不思議ですねぇ。でもどうして日本だと七色なんですか?」

「どこで一色増えたんでしょう?」

「この手の話は、花鶏あとりが得意だろう」

 いきなり話を振られた花鶏は、何事かと目を細めたが、虹のスペクトルの話だと教えられると「あー」と顎を摘まんだ。

「元々ニュートンが七色って言ったんだってさ。増えたんじゃなくて、元から七色だったんだ」

 艶黒子のある口元に指を持って行きながら、花鶏も空を見上げる。

「ニュートンは光に色が付いているんじゃなくて、人間の目が色を識別するって、理科で言ってなかったっけ?」と悠馬が聞く。

「でも光に波長があるってことには違いない。色にしろ音にしろ、波長という違いがあるってわけだ」

「となると、識別する物体、存在が必要ってことになるな。他の動物は色を認識しないものもいるって言うだろう?」

「じゃあ……色ってどうして付いたんだ……?」

 悠馬と花鶏は、時々ちょっとした事柄から突拍子もないところまで話を飛躍させる。愛衣は聞いていて面白いと思うのだが、話しについて行けてない他の文芸部員たちは、いつもぽかんとしたり、呆然と置いてけぼりになったりする。部長の風夏に至っては「やれやれ、また始まったよ小理屈たちめ」と吐息を漏らすのだった。

 そんな討論をしているうちに、虹はすっかり消えてしまった。

「ところで」夜鷹が口を開いた。「どうしてきっぱり色が分かれているんですか?」

 青い雲から零れ出す黄金色の光に照らされた夜鷹の横顔が、愛衣の目の端に写った。虹があった場所をじっと見つめる視線が寂しそうに見えたのは、光の加減のせいだろうか。

「どういうこと?」と愛衣が聞くと、夜鷹は神妙な顔になって答えた。

「だって、虹って一つ一つの色が分かれているじゃないですか。赤、橙、黄色って。色の境目には、名前は無いのかなぁって思って……」

 名前のない色。微かに異なっていく色の変化は、名前を持ってはいないけれど確かにそこにあるものだ。

「もしそうだったのなら、名前のない色が、かわいそうだなぁって……あ、なんかすみません、偉そうなことを」

 ぱっと頬を赤らめて夜鷹が申し訳なさそうに肩をすくめる。 

 風夏は持っていた傘をくるくる回しながら「そんなことないよー 夜鷹面白いこと言うね」と言った。

 傘の先に付いた水滴が、ぱんっ、と弾け飛ぶ。

「そーだ!」と文乃が叫んだ。「先輩、今度の部誌のテーマ、【色】にしてみませんか? みんなばらばらの色で作品を書くんです!」

 文乃の提案に文芸部他七名、全員がそれに賛同した。

「それは楽しそうですね」と夜鷹が手を叩いた。

「和色とかでも面白そう! 桜色とか、唐紅とか」

「あ、ちょっと待って、私もう降りてきた! ねぇねぇ悠馬~ ちょーっと居残りしてかない?」

 風夏がおねだり声を出すと「あ?」と若干怒りを含んだ悠馬の声が発せられた。それはそうだろう。さっき鍵を返してきたばかりなのだから。

「部長のおまえが今日は終わりって言ったんだろうが」

「いいじゃん~ 運動部はまだやってるのよ? それにまだ五時でしょ? 運動部は最大で六時までやってるんだよ? 魔女先生に言えば少しくらいの居残りは見逃してくれるって~」

「おまえなぁ」

 この文芸部、風夏が部長で悠馬が副部長を務めているが、その役割が反転していた。

 がしがしと頭を掻いていた悠馬だったが、他の部員たちの表情を横目で見た。それから「はあああああ……」と盛大なため息をついた。

「わーったよ、全員図書室戻れ!」

 悠馬は投げやりに傘を振り回すと、風夏はよっしゃ! とガッツポーズをして、文乃と夜鷹がハイタッチを交わした。愛衣と鐘花も顔を見合わせて笑い合った。

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