黒衣の魔女

「人間に任せるだって?」

 しわがれた声が空から響いた。


 ガサリ……ガサリ……


 竜のような怪物が、地上に降りて来た。

 あたりの木の枝や幹をバリバリとヘシ折りながら。

 竜は翼をたたみ、ソーマたち3人の目の前に着陸する。


「な、なにが……!」

 ソーマもコウもナナオも、その場に尻もちを着いたまま竜を見上げていた。

 あまりにとんでもない出来事に、体がすくんで動かなかった。

 

「まったくお前さんの考えてることは、よくわからんなあ……メイローゼ?」

 しわがれ声でそう言いながら、着陸した竜の背中から地上に飛び降りた者がいた。


 地上からはよく見えなかったが、竜の長い顎は手綱のようなものでつながれていた。

 背中に乗ったそいつが、竜を駆り空を飛んでいたのだ。


「わ……わっ!」

 竜から降り立ったそいつの顏を見て、3人は一斉に悲鳴を上げた。

 革製のジャケットのようなモノをまとったそいつの服装は、どことなく人間の飛行服みたいだった。


 背丈も人間の大人とそう変わらないだろう。

 だがその首から上は、およそどんな人間とも似ても似つかなかった。


 そいつの頭は2つあった。

 顔全体は、テラテラ光る鱗に覆われていた。

 その口は耳元まで裂けていた。

 キロキロと動く金色をした4つの目が、値踏みするようにソーマたちを見ていた。

 そいつの顏は、トカゲそのものだった。


蜥蜴男リザードマン……!?」

 目の前に立った双頭の怪物を見上げて、ソーマは思わずそう呟いていた。

 その時だった。


「に……に……逃げないと!」

 ソーマの横で、跳ね上がるようにその場から立ちあがった者がいた。

 信じられないような光景から我に返ったのだ。


 真っ先に体の自由を取り戻して行動をおこしたのは、ナナオだった。

 ナナオが隣にいるコウの手を引っぱって、雑木林の中を駆けだした。


「ナナオ!」

「わ、待って!」

 つられて駆け出すコウ。

 ソーマも我に返って、2人の後を追う。

 木の枝をかき分けて、必死で怪物から距離をとる。


 なんか知らないけどマズイ。

 逃げないと。

 逃げないと……!


 だがその時だった。


 チリン……チリン……チリン……


 微かな音が、木々の間に響いた。

 それは鈴の音色だった。


「ん……? 鈴?」

 ソーマが心の中でそう思ったとき、もう全ては終わっていた。

 

 ドサリ。ドサリ。

 目の前を走っていたナナオとコウの体が、いきなり地面に倒れ込んだ。

 まるで糸の切れた操り人形マリオネットみたいに、全身の力が抜けたみたいだった。


「……! ナナオ! コ……」

 異変に気づいて2人の名前を呼ぼうとするソーマだったが、その声が途中から声にならなくなった。

 ソーマの体もまた、その場に倒れこんでいた。

 

 チリン……チリン……チリン……


 耳の奥で、何度も何度も鈴の音が響く。

 手足に力が入らない。

 頭の中が痺れるみたいだった。

 この場から逃げないといけないのに、体の自由がきかない!


「逃がすことはしない……」

 雑木林の闇の奥から、低くてよく通る女の声がした。


 ガサリ。ガサリ。

 落ち葉を踏む音とともに、ソーマたちの方に近づいて来る者がいた。


 あいつは……!?

 ソーマはボンヤリとした意識の中で、どうにか頭を上げてそいつを見上げる。

 

 そいつの全身は、あたりの闇と同じ真っ黒なローブに覆われていた。

 右手には小さな銀色の鈴をいくつもあしらった、小さな壺みたいな物を携えていた。

 ソーマはなぜだか、すぐに分かった。

 ソーマの頭を痺れさせて自由を奪ったのは、女の鳴らしたその鈴の音だった。


 声や背丈から、女であるらしいのは分かったが分かるのはそれだけだった。

 目深にかぶったフードのせいで、顔つきもまったく分からない。

 いや、1つだけ分かることがあった。

 それは刺すようにソーマを見つめる、そいつの眼光だった。

 ローブの奥で冷たく輝いたそいつの瞳は、エメラルドみたいな緑色だった。


  #


「グリザルド。抜かりはないね?」

「当たり前だろ。見なよコイツを!」

 ローブの女が、双頭のリザードマンにそう声をかけた。

 グリザルドと呼ばれたリザードマンが女に近寄ると、腰から下げた一振りの剣を女に手渡した。


 白銀の鞘と柄に、金色のレリーフが施された優美な剣だった。

 女は剣を受け取ると、その柄を鞘を、舐めるように見回す。


「フフ間違いない……これこそインゼクトリア帝国の至宝『ルーナマリカの剣』。よくやったグリザルド!」

「フン。礼なら言葉じゃなくブツで示してくれ」

 満足げな笑いを漏らす女の言葉に、グリザルドは肩をすくめてそう答えた。


「約束通り礼はするよ。こいつをあいつら・・・・に引き渡したらね。そろそろ来る頃だ」

 女はグリザルドにそう答えて、夜空を見上げた。


  #


 なんだ?

 なにが起きている?


 ソーマは地面に顔を伏せながら、必死であたりの様子をうかがっていた。

 ローブの女と双頭の怪物が、ソーマのすぐそばで、何かを話している。

 怪物が剣みたいなものを女に渡した。

 女は何かを待っているみたいだった。


 ……あ!

 そしてソーマは気づいた。

 ソーマの手足に、少しずつ力が戻って来るのを感じた。

 頭の中の痺れが取れて来た。

 自由のきかなかった体が……だんだん元に戻っていく。


「コウ……ナナオ! コウ……ナナオ!」

 女と怪物に気づかれないくらい囁く声で、前方で倒れているコウとナナオに呼びかけた。

 でも駄目みたいだった。

 コウとナナオの体は、その場からピクリともしない。

 ソーマと違って、まだ意識が戻らないのだろうか?


 その時だった。

 

 バラバラバラバラ……

 空から轟音が聞こえた。

 

 何だ……!

 ソーマは戸惑う。

 地面にうつぶせのソーマの背中を、突風が叩いた。

 あたりを強烈なライトの光が照らした。

 空から何か……大きなものが近づいてくる!


  #


「ほら来た。あいつら・・・・だ!」

「向こうから出向いてくるのかい? 随分とマメなことだな?」

 地表に近づいてくる銀色の輸送用ヘリコプターを見上げて、ローブの女が笑った。

 地上を照らすライトから顔を背けながら、双頭のリザードマンは呆れたようにそう呟いていた。


  #


「ルシオン様、しっかりしてください! 死なないでー!」

 わたしの耳元で、コゼットの声が聞こえる。

 小さな青いチョウが、わたしの顏のまわりをハサハサ飛び回っていた。


「ううう……」

 わたしは我に返った。

 地上に落ちて、しばらく気を失っていたらしい。


 わたしは立ち上がろうとして、自分の体に力を込める。

 でも駄目だった。


 わたしの手足に、わたしのお腹に食い込んでいるのは、忌まわしい黒い氷。

 わたしの体はズタズタだった。


 わたしは傷を回復させようと、自分の体に意識を集中する。

 あたりを漂う魔素エメリオをわたしの体に取り込んでいく。

 でも無駄だった。


 魔素エメリオが希薄すぎる。薄すぎる!

 わたしの故郷、インゼクトリアでは有り余っている魔素エメリオ

 でもこの世界の魔素エメリオは余りにも……少なすぎる!


「ああ……」

 わたしは絶望の声を上げる。

 この世界では、深手を負ったらそれまでなのだ。

 そこでわたしの命は尽きてしまうのだ。


 そんなことも考えずに、盗賊に誘われるがまま、むざむざとやられてしまうなんて。

 帰りたい。故郷に。わたしのインゼクトリアに……!


 わたしの頬を、後悔の涙が伝っていった。

 でも、その時だった。


魔素エメリオ……!?」

 わたしは、ある気配・・に気づいた。

 それは、強烈な魔素エメリオの塊が放つ波動だった。


 私が倒れたこの場所から、ほんの数へクス先。

 インゼクトリアでも出会った事のないような、強烈なパワーを感じる!


 わたしは意識を集中する。

 魔素エメリオの塊の正確な場所を探る。


「え……!?」

 そしてわたしは息を飲んだ。

 魔素エメリオの塊が、生きて、動いている!


 強烈な波動を放ったソイツ・・・

 パワーの爆発みたいなソイツ・・・


 ソイツ・・・は小さな、ヒトの子の姿をしていた。

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