トライボール

「やった!」

 ソーマは声を上げる。

 ナナオが真っ白な指揮棒タクトを、自分の触媒マテリアを振って風魔法を発動させたのだ。

 魔法は数秒の精神集中と、触媒マテリアにインプットした簡単な呪文ワードの詠唱で発動する。

 ナナオが得意の風魔法で、スカイを先取した。


 ソーマも得意の足で相手チームより先にミドルボールをかかえ上げた。

 魔法はダメでも足の速さはクラスで誰にも負けなかった。

 だがその時だった。


「なっ!」

 ソーマは目の前で起きた異変に唖然とした。

 地面に残った最後の1つ、アースボールが動き出したのだ。

 人間の手では重くて動かせないはずの球が、滑るように競技場を走って、自陣のサークルめがけてつっこんでいく。

 

無摩擦ゼロフリクション!」

 ソーマはアースボールに仕掛けられた魔法に気付いた。

 

 相手チームの山桜ハル。

 アースボールを指で小突いて微笑んでいたのは彼女だった。

 変性魔法の得意なハルはボールの摩擦係数を0に変えて、重い陶器の球を指1本で簡単に動かしたのだ。

 

「キリトくん、よけて!」

 後ろの方から、ナナオの悲鳴が聞こえた。

 アースボールは自陣のサークルに、そしてサークルの前でどっしり構えたキリトに向かって一直線に走っていた。

 重いボールが直撃したら、軽い怪我どころでは済まないだろう。


「フン……」

 だがキリトは動かなかった。

 唇の片端を吊り上げて不敵に笑う。

 キリトは右手で拳を作った。

 中指にはめた金色の指輪をボールに向けた。

 そして……


失せろビートイット!」

 鋭い声で響いたキリトの詠唱。

 ボールが、キリトの脚先に触れた。


「「あ!」」

 みんなが、驚きの声を上げた。

 キリトの蹴り上げたアースボールが、まるでサッカーボールみたいに軽々と空中に跳ね上がった。

 重量級の陶器の球が、今度は風船みたいにフワフワ空を舞っている!


「ナナオ! あれも頼むぜ!」

「わ、わかった!」

 キリトの号令でナナオの風がアースボールを捉えた。


重量制御ウェイトコントロール!」

 ソーマは走りながら、キリトの得意属性を思い出していた。

 アースボールはキリトの魔法でその重量を元の数千分の1まで軽くされていたのだ。

 いまやボールは、ナナオの風でもやすやす運べる羽毛みたいなものだ。


 いま3つのボールは、すべてソーマたちの手に在った。


「よし、俺も……!」

 ソーマは目の前に迫った敵陣のサークルに意識を集中した。

 風魔法が得意なナナオから、相手チームの選手がボールを奪取するのはもう無理だろう。

 だから、ここで、ソーマがゴールを決めてしまえば。

 勝利はソーマのチームのものだった。


 サークルまで、あと10メートル、5メートル。

 いけるか……ゴールだ!


 だがその時だった。

 

 スルン。


「えっ!?」

 ソーマは一瞬、何が起きたか理解できなかった。

 地面を蹴るはずのソーマの足が、空振りしていた。

 視界がグルリと1回転していた。


「しまった!」

 ソーマは空中で、自分に起こったことを理解して唇を噛んだ。

 無摩擦ゼロフリクションだ。

 山桜ハルがソーマの足元か、あるいは靴に変性魔法を仕掛けたのだ。


 どうする。どうする。

 地面に落ちるまでの数瞬。

 ソーマは必死で考えを巡らせる。

 ミドルボールを地面に落としたら負けになる。

 逆に言えば体でかばって、地面に触れさせなければ。

 まだチャンスはある。


 そう思ったソーマがボールを抱え込もうとした、だが次の瞬間。


 グン。


「うおわ!」

 ソーマは悲鳴を上げた。

 ソーマの手の内で、ボールが急に重みを増した。

 突然の出来事でたえられなかった。


 ボールはソーマの手を離れた。


 そして。

 ドサリ。

 ソーマの体とボールが、同時に地面に転がっていた。


「試合終了!」

 ゲームの勝敗を告げるホイッスルが校庭に鳴り響いた。


「ううう……」

 ソーマは頭を振りながら地面から立ち上がった。

 ボールはソーマのそばに転がっていた。


「御崎くん。大丈夫?」

 そう声をかけてくる者がいた。

 ほっそりとした長身。

 キラリと光る眼鏡。

 穏やかな笑みを浮かべた整った顏。

 相手チームのリーダー格、氷室マサムネ。

 

 勉強も魔法も運動も、とにかく優秀。

 いつも穏やかに笑っているけど、いまいち何を考えているかわからない。

 ソーマはちょっと苦手だった。


「あ、ああ。さっきのはマサムネが?」

「そうだよ御崎くん。頑張ったし、惜しかったね。けど味方の動きだけじゃなくて相手のことも良く見ていないと……」

 ソーマにそう答えて、マサムネはボールを拾い上げた。

 重量制御ウェイトコントロールだ。


 ソーマの手の内のボールにしかけられて、ソーマからボールを奪ったのはマサムネだった。

 魔法ならなんでも得意のマサムネが仕掛けた変性魔法が、試合の勝敗を決めたのだ。


「でもけっこう驚いたよ。まさか3つのボールを全部先取されるなんて。御崎くんの頑張りには、いつか結果がついてくる。僕はそう信じてるよ」

「…………」

 ソーマにそう言うと、マサムネは背中を向けて教師の羽柴の方へ何かを言いにいった。

 ソーマは、何も言えなかった。


「ソーマくん。大丈夫? 怪我してない?」

 ナナオが心配そうな顔でソーマの方にかけて来る。


「御崎ソーマぁあああああ!」

 黒川キリトが、ものすごい顔でソーマの方に歩いてきた。

 額には血管が浮き上がっている。


「このクズ! 無能!」

「わ、悪かったよキリト」

 キリトがソーマの襟首をつかんだ。

 ソーマも小さく謝る。

 キリトの態度は大嫌いだが、ソーマのせいで負けたのは事実だ。

 そして、突然。


 ゴッ!


「エグゥ……!!」

 ソーマのミゾオチに、何かが叩き込まれていた。


 キリトの握りこぶしだった。

 息をすることも出来ずに、ソーマは呻いた。

 キリトの拳は、重くて固い、鉄の塊みたいだった。


「…………!」

 ソーマは気付いた。

 キリトは自分の拳に、変性魔法をかけているのだ。

 誰にも気付けれないようにひっそりと。

 そして魔法を使えないソーマにむかって……!


「自分のクズさがわかったんなら、2度と試合なんか出るんじゃねーぞ! 今度おなじマネしたら100発ブチかます!」

 ソーマを地面に放りだすと。キリトはそう言い放った。

 そしてソーマとナナオに背を向けて、昇降口の方まで行ってしまった。


「ソーマくん! ソーマくん!」

「う、ぐ、ぐ……」

 オロオロするナナオ。

 ソーマは地面に膝をついたまま、しばらくの間苦しい息を吐くしかなかった。


  #


「そうションボリすんなよソーマ。キリトがああなのは、いつもの事だろ?」

「そーだよ。元気だしなってソーマくん!」

 放課後。

 夕暮れ時の通学路を、ソーマとコウとナナオの3人が歩いていた。


「ああ。わるい2人とも……」

 ソーマはそう答えるが、まだ心は浮かないままだ。


「そうだソーマ。今日はさ、アソコに行ってみようぜ?」

「アソコ?」

 話題を変えようとして、コウが話を切り出した。

 ソーマは首をかしげる。


御霊みたま山だよ。御霊山!」

「御霊山って……例の山火事のあった……!」

 コウの言葉に、ソーマの目が見開かれた。

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