キテェちゃんの口
めらめら
キテェちゃんの口
「ねえママ。キテェちゃんに口がついてない理由、知ってる?」
僕がママにそう訊くと、
「うーん。知ってるけれど、一応聞いておこうかなァ……」
ママが首をひねりながら僕に答える。
なんだ、知ってたのか。
今日学校で友達から『理由』を教えてもらって、すごいナルホドーって思ったのに。
「キテェちゃんはね、お友達の気持ちに合わせて、泣いたり、笑ったり、怒ったり、表情を変えることができるように、わざと口をつけてないんだって!」
僕はクラスメートのるっちゃんから仕入れてきた情報をママに話してあげた。
それなのに……
「カーーーッ! やっぱりそうきたかーーー!」
ママが、思わせぶりに眉を寄せて残念そう首を振った。
そして……
「それはね。ヨンリオの広報さんが言っている、『表向き』の理由なの……」
真面目な顔で僕を見ると、ヒソヒソ声でそう言ってきた。
「お、『表向き』?」
何を言っているのか、よくわからない僕。
「本当はね、別の理由があるのよ。ヨンリオの『上層部』が必死で隠している、もっと恐ろしい『本当の理由』がね!!!!!」
本当の理由? どういうことだろう。
「1975年に初めてグッズが発売された頃にはね、実はキテェちゃんにも口がついていたの。ω←こんな感じの、『ひこにゃん』みたいな可愛い口だったわ。でもね……」
ママが得意げに、僕に話し始めた。
「最初のグッズ、『プチパース』が売りだされてからしばらくして、ヨンリオにクレームが殺到するようになったのよ。『子供が怖がって、ガマ口を捨ててしまう』ってね……」
「捨てる……? どうして?」
首を傾げる僕に、ママが顔をよせて真剣な顔で続ける。
「さすがにおかしいと思ったヨンリオの担当者は、ガマ口を買った子供たちに直接話を聞くことにしたの。そうしたらね、その子供たちは口をそろえて、こう言ったんだって。『夜になると、キテェちゃんが……
「喋る?」
「そう、それもただ喋るだけじゃない。『お前をさらって、
「ウッソだあ……」
「本当よ、たかし(←僕の名前)。当時ヨンリオの総務部にいた、加藤佐和子さんという人から直接聞いた話だもの。間違いないわ!」
ママが自信たっぷりな様子で胸を張った。
「事態を重く見たヨンリオの製品担当者は、当時発売されていたキテェちゃんグッズを、全部自分の家に持って帰って、何かおかしなことが起きないか、夜通し見張ったの。でもキテェちゃんが喋りだす様子はなかったわ。いや、もしかしたら? 担当者は考えたのね。ひょっとして、大人には聞こえない声なのではないか? 子供がいるときだけ、何かおかしな事が起こって、キテェちゃんが喋り始めるんじゃないか? ってね……」
そこまで話して、ママは悲しそうに首を振った。
「それでね、彼女は恐ろしい事をしてしまったの。当時小学生だった自分の娘の子供部屋に、ヨンリオから発売されたあらんかぎりのキテェちゃんグッズを持ちこんで、その子に言ったのよ。夜寝ていて、何かおかしい事がおきたら自分を呼ぶようにってね……」
「それで、どうなったの?」
恐る恐る、僕がママにそう訊くと、
「次の朝、その担当者は会社に来なかった。いえ、その次の日も、次の次の日も、永遠に。彼女は、自分のマンションの七階から飛び降りてしまったのよ……」
「ど、どうして……!?」
震える僕。
「わからないわ。でも多分、自分の子どもが、どこかに消えてしまったから。警察が彼女のマンションを調べた時、彼女の子供の姿はどこにも無かったんだって。学校にも来ていない、朝食をとった様子もない。永遠に行方不明……。そしてね……」
ママが恐ろしい顔で僕に答えた。
「子供部屋に残された、たくさんのキテェちゃんの口許は全て、マジックでグチャグチャに塗りつぶされていたり、鋏でそこだけ切り取られていたんだって、まるでそこにいた誰かが、必死でキテェちゃんの口を、
ママが僕の顔を覗き込む。
「その事件以来ね、それまで発売されていたキテェちゃんは、全部ヨンリオに回収されたの。新しく売り出されたキテェちゃんの顔には、口がついていなかった。デザインを変更したのね。ただし……」
ママがダメ押し。
「今でもね、そのへんにあるキテェちゃんの顔にマジックで口を描くとね、夜になると、喋り出すって言われてるのよぉ……」
その夜……僕は、怖さと異様な興奮で、布団の中で震えながら一睡もできなかった。
いつも戸棚の中にママが買い置きしてあるキテェちゃんドロップの缶のラベルに、
#
この話が全部、お袋の
一体、何を考えていたのだろう。
当時小学生だったこの俺に。
お袋は自分の頭の中から、それこそ湯水のように湧いてくるのであろうデマカセや
『しま次郎』のお兄さんの出生にまつわる、身も凍るような秘密の話。
二千円札が世の中から消えてしまった本当の理由。紫式部の呪い事件。
東日本大震災のあの日の朝、幾人もの人間が目撃した怪異。
丸々と太った体を滑空させながら、まるで
お袋の法螺が始末に悪いのは、「当時○○会社にいた○○さんから直接話を聞いた」とか、「永山図書館においてある○○という作者が書いた○○という本には当時の記録が残っている」とか、虚実入り混じった会社や人物や文献の名前を話に織り交ぜ、デタラメ極まる設定に、妙なリアリティを加味しているところだった。
まだ親を疑うことを知らない素直な子供だった俺は、それこそコロッと騙されてはクラスの友人にその話を吹聴してまわったものだ。
今でも世の中に出回っている「本当にあった怖い話」や「都市伝説の真実」系の本をパラパラめくってみると、当時お袋が吹いて回った法螺話が1つか2つ必ず混ざっていて、呆れかえることがある。
彼女は、ちょっとした都市伝説のタチの悪い捏造者であり、確信犯的な伝道師だったと思う。
以降お袋の、この妙な性癖は俺が中学校を上がる頃まで続いて、ある時を境にピタリと途絶えた。
その頃には、もう俺も分っていた。
お袋の嘘が暴走するのは決まって親父の帰りが遅い時期。
泊まり仕事の多い時期。
そして電話で、時には居間で親父をきつくなじる事のあった時期と丁度重なっていたのだ。
「ねえたかし。秘密を知った人が全て死んでしまうという、禁断の『お百度様』のお話、まだしていなかったよね?」
いつもの調子で俺に話しかけてきたお袋に、
「知らねーって! そんなの!」
生意気盛りで、常に何かにイライラしていた当時の俺は、きつい口調でそう答えた。
「どーせ、いつもの出任せだろ! 母さんの駄法螺は、いいかげん聞き飽きたんだよ!」
俺はイラつくような、情けないような、いたたまれないような、どうしようもない気分になって、ついお袋にそう言ってしまった。
「父さんが外でいろいろヤってるのは知ってるけどさ! なんでそんな回りくどいやり方で自分の気持ち誤魔化そうとしてんだよ! 俺だって迷惑だっつーの! もう、少しは黙っててくれよ!」
思わず口を突いて出た言葉に。
次の瞬間、俺もハッと気まずくなって言葉をのんだ。
「あら……そう……」
お袋も気まずい様子だった。
「ごめんなさいね、たかし……」
俺から顔をそらして、おちつかない目線で床の方を眺めながら……。
「それでもね、私には、時々、どうしようもなく『本当の理由』や、『秘密』の
少し取り乱した様子で、悲しそうに首を振りながらお袋はそう言った。
#
いま思い返しても、キリキリと胸が痛くなってくる。
俺はどうして、あんなキツイことを言ってしまったのだろう。
そのあと半年もしないうちに、お袋は胸に強い痛みをうったえて入院した。
診断は余命3ヵ月。末期のがんだった。
「本当、心配かけちゃってごめんなさいね、たかし……」
最後に病室を訪れた時。
もう流動食も喉を通らなくなって点滴に繋がれたお袋は、俺の顔を見ながら力ない声で、それでもニッコリ笑ってそう言った。
「そんな……こっちこそごめん……俺……母さんにあんなヒドイことを……!」
俺はお袋の手を取って、声を震わせる。
「あと心配なのは、あなたと、お父さんのことだけよ。お願い、どうか2人で、仲よくね……」
そう言った、お袋の目からも涙。
「ああ……」
俺は言葉に詰まった。
自信が無かった。
病室の外、廊下の待合室の椅子に腰かけて。
今ではすっかり小さくなってしまった肩を震わせている俺の親父。
小さい頃から苦手だった。
家を空けがちで、外ではやり手と評判の経営者で、でも家では大雑把で、浮気性で、さんざんお袋を泣かせてきた。
親父自身が、まるで大きな子供みたいなところがあった。
「大丈夫! たかしは私の子供だもの。大事なのは
自分の胸をチョコンと指で押さえながら。
お袋が語気を強めて、俺に笑いかける。
その言葉は嘘でないと信じたかった。
俺は無性に情けなくて悲しい気持ちになって、両目からポロポロ涙が零れてきた。
「そんなに泣かないで。私だって
お袋が俺の手をギュッと握り返して、優しい目で笑っていた。
#
あれから7年が過ぎた。
「母さん……」
東京に発つ前夜。
今でもキッチンの戸棚にチョコンと残っているキテェちゃんドロップの缶を眺めながら、俺はお袋のことを思い出していた。
アレ以来すっかり気弱になってしまった親父を、お袋の言葉を胸にして何とか支えながら。
俺は苦学しながらどうにか地元の国立大学を卒業して、東京の企業に就職が決まっていた。
今では親父とも、けっこう上手くやっている。
お袋が最後に口にしたあの言葉を、俺は嘘にはしなかったのだ。
親父のもとを……生まれ育った家を後にして東京に発つ最後の夜。
胸に湧き上がって来る熱いモノを、ぐっと右手で押さえつけながら、俺は今の今まで試してこなかった最後の
――私だって
あの日のお袋の言葉が胸に蘇って来る。
くだらない、何の意味もない行為だとわかっていても。
それでも最後に俺は……!
俺はキテェちゃんのドロップ缶を手に取って、油性のマジックでその顔に口を描きこんだ!
次の瞬間……
「アハハハ! ウソだよ~ん!」
「おわあああああっ!」
突然キテェちゃんのドロップ缶から響いた、勝ち誇ったような
俺は悲鳴を上げて、キッチンに尻もちをついた。
「あ……あんの
やっぱりウソだったのか!
俺はプルプル震えながら、床に転がったキテェちゃんのドロップ缶をにらみつけた。
#
それ以来。
東京から帰郷するたびに。
夜になると、俺はお袋が残した最後の法螺……口がついたキテェちゃんのドロップ缶をしげしげとキッチンで眺めまわす。
あれからもうドロップ缶が
どこか心の片隅で。
俺はもう1回くらい、お袋の法螺吹きを待っているのかもしれない。
キテェちゃんの口 めらめら @meramera
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