夜の魚

めらめら

夜の魚

「ねえシュン。暗いし、危ないからもう帰ろうよー」

「なんだよメイ。怖いんだったら先に帰れよ。俺は行く!」

 聖ヶ丘中学2年、秋尽あきづきメイが不安そうに、目の前の背中に向かって声を上げた。

 前を歩く幼馴染の如月きさらぎシュンは、メイの方を振り向きもせずにつれない返事。

 今二人が歩いているのは、人気のない真っ暗な回廊だった。

 シュンが手にした懐中電灯の頼りない明かりの先に見えるのは、落書きだらけのコンクリートの床。

 そして、二人の側面に聳えているのは、もう何年も前に放棄されているだろう透明なアクリル板の壁面、水の抜かれた巨大な水槽・・

 シュンとメイが居るのは、廃屋となった真夜中の水族館だったのだ。


「全く、お化けとか幽霊とか、どうしてこう子供っぽいものばかり……!」

 メイは頬をヒクつかせながら、シュンの周囲の闇を見回した。


  #


「知ってるかシュン? 御珠モートピアのあの・・噂!」

「ああ、知ってるぜコウ。マジかな、マジモノなのかな?」

 きっかけは、学校でのヨタ話だった。

 昼休み、2年C組の教室。

 シュンが親友の時河ときかわコウと、今学校で、まことしやかに囁かれているある噂・・・で盛り上がっていた。

 『御珠モートピア』。

 御珠みたま丘陵に広がる、もう10年以上も前に廃園となったそのテーマパークには、いつも奇妙な噂が絶えなかったが、中でも今話題なのは廃屋となった巨大な水族館『マリンサイト』にまつわるものだった。

 真夜中になると、空っぽになった水槽の中に何匹もの奇妙な生き物が闇間を泳ぎ始める。

 廃墟マニアの間では、そんな目撃談がSNSで何度も繰り返されているのだ。

 遊園地が閉園に追い込まれた時に処分された魚たちの幽霊ではないか。

 もっともらしくそう唱える者もいたが、そもそも魚の幽霊なんているのだろうか?


「やっぱり、俺たちが確かめるしかないな!」

「そうだなシュン。決行は明日の土曜日。時間は真夜中。聖ヶ丘駅で落ち合うぞ!」

「ああ。わかったぜコウ!」

 お化けや怪奇現象には目がないシュンとコウが、興奮した面持ちでそう声を交わしている。

 前の席で二人の話に耳をそばだてながら、秋尽メイは呆れ顔だった。

 どうやら明日の土曜日、二人で廃墟となった遊園地に忍び込むつもりらしい。

 危険だし、もちろん違法だ。


「本当にもう……何やってるのよシュン!」

 メイはショートレイヤ―の黒髪を揺らしながら、あからさまに大きな溜息をついた。


  #


 そんなわけで次の日の夜。


「シュンくぅん! 何処に行くつもり?」

「おわ! メイ?」

 十五夜の月の光も灰色の雲に遮られた住宅街の暗がり。

 リュックサックに懐中電灯を忍ばせてコッソリ家を出たシュンを、隣家から目を光らせていたメイがあっさり捕まえた。

 親友のコウは急な腹痛とかで、結局行けなくなったらしい。

 それでも一人で行って確かめる気マンマンのシュンは、メイの制止も聞かずに駅に向かって歩き出す。

 力づくで止めるのはメイには無理だし、かといって家族や警察に言いつけて、事を大きくしたくもないし。

 結局、シュンのことを放っておけない世話焼きのメイは、渋々シュンの『探索』に同行。

 人気の無い真夜中の廃屋でシュンの背中を追いながら、ビクビク周囲をうかがう羽目になっているのだった。


  #


「それにしても、何も出て・・こねーな……」

「ね、シュン。やっぱり噂は噂にすぎないって」

 周囲の水槽を懐中電灯の光で舐めまわしながら、つまらなそうに声を上げるシュンをメイは諭した。


「そもそも魚の幽霊なんて色々設定がおかしいって。魚が人を恨んで化けて出るなら、今日食べた鰻だって昨日食べた鯵だって、化けて出て来るはずじゃないの? そんなこと、今まであった? 無いでしょ? ねえシュン?」

「うーくそメイ。いつもいつもつまらない正論を吐きやがって……!」

 あたりの闇にも慣れたのか、特に何も出てくる・・・・様子がないに安心したのか。

 もっともな理屈で得意げに幼馴染をやりこめようとするメイに、シュンが恨みがましい声を上げた、その時だった。


「うん……?」

 シュンは訝しげな顏で、前方を見据えた。


「光……?」

 メイもまた、小さく驚きの声を上げる。

 二人の行くての水槽の闇の中から、チカチカと奇妙な紫色の光が瞬き始めたのだ。

 そして、怪異はそれだけでは終わらなかった。


「おわ……『魚』!」

「そんな、本当に……!?」

 シュンとメイは驚愕の声を上げた。

 真っ暗だった水槽の中を、緑や青のボンヤリとした光が漂い始めた。

 光に、はっきりとした輪郭が宿り始めた。

 今水槽の中をユラユラ漂っているのは、何匹ものイルカ、烏賊や蛸……そして名前もよくわからない奇怪な形状の深海魚たち……。

 水槽の中を、無数の不思議な魚群が泳ぎ始めた!


「すごい……『マリンサイトの幽霊』……本当にいたのか!」

 脂汗をたらしながら、シュンが戦慄した表情でそう呻いた、だがその時だった。


「いいえ、シュン。トリックよ」

 メイが冷静な……というより少し冷たいとも言える声でシュンを否定した。


「トリック?」

「そうだよシュン。よく見てみなって……」

 メイの声に我に返ったシュンが、再び水槽に目を凝らした。


「あ……絵!?」

 シュンは再び驚きの声を上げた。

 水槽の中に浮き上がったように見える光の魚群は、よく見れば実体ではなかった。

 水槽のこちら側と向こう側のアクリル板に描かれた、精巧な絵だったのだ。


「そう。蛍光塗料で描かれたスプレー画。アクリル板のこっち側と向こう側の距離の違い……いわゆる『視差』。そしてタイマー式で点灯する紫外線ブラックライトの回転灯の効果。加えて水槽自体が波状の曲面であることを活かした、夜になるとあたかも本当に魚が泳いでいるように錯覚させる、とても手の込んだ悪戯イタズラ……とゆうか凄まじくレベルの高い騙し絵トリックアートね……!」

 回廊の前方で紫色の光を瞬かす電池式回転灯を指さして、メイは感嘆の面持ちでそう呟いていた。


「す……すげーなメイ。たった数秒でよくそこまで!」

「シュン。大事なのは観察すること。観察するというのはただ見るんじゃあなくて観ること、そして察することよ!」

 祖母のユウコ譲りの理路整然とした口調で、メイは少し得意げにシュンにそう答えた。


「それにしても……この絵、どこかで……あ、やっぱり!」

 水槽の魚の絵柄が気になったのかスマホを取り出し、しきりに何かを調べ始めたシュンが、大きな声を上げた。


「間違いない……MANAさんの絵だ!」

「知っているの、シュン?」

「ああ、京皇線とかの架線で有名だろメイ。御珠を代表するストリートアーティスト……だったんだ……」

 不思議そうに首を傾げるメイに、シュンは神妙な顏でそう答えた。

 『MANA』。本名不詳。性別、多分女性。年齢はたしか17歳……だった・・・はずだ。


 日本ではまだ珍しいストリートアーティスト。

 主に御珠地区の特定の沿線を中心に活躍していた。

 魚やイルカ。海生生物のモチーフを愛し、線路の架橋やトンネルの壁面に描いた(←もちろん違法です)精巧なタッチの魚群画で、周囲の光景を独特の世界に変えてしまう。

 世界的にも有名な天才アーティストだった。

 今年の4月に、高架での作業・・中に過って地上に転落してまだ若い命を散らした時には、世界中から哀悼の声が寄せられたものだった。


「こんな場所にまで作品を残していたなんて……いやひょっとして、これが遺作だったのかも……」

 アクリル板にスプレーで描かれた「2017」の数字に気付いて、シュンは何かに感じ入ったように、大きく息を吐いた。


「そうだったんだ。だったら、あのライトもファンの手向けなのかもね……」

 メイも何かが納得いったように、静かにそう呟いた。


「さ、シュン。もう気が済んだでしょ。帰ろう?」

「ああ、そうだなメイ。また……見に来ます。今度はコウも連れて……」

 メイの声にそう答えると、シュンは闇を泳ぐ魚たちに数秒手を合わせると、顔を上げて水槽から踵を返した。


 そして……


  #


「「うおわ!」」

 マリンサイトから抜け出して夜の廃園を出口向かって歩き出したシュンとメイは辺りを見回し驚愕の叫びを上げた。

 雲間から顔をのぞかせた満月の光に照らされて、廃園全体が不思議な海底の景色へと変貌していたのだ。

 眼前に聳えた巨大な観覧車の骨格やゴンドラに描かれているのは、夜の空を悠然と泳ぐ大きなクジラだった。

 朽ち果てたメリーゴーラウンドの丸屋根や馬身に瞬いているのは大小無数の色とりどりのヒトデ。

 曲がりくねったジェットコースターの架線に添う様にして空を舞っているのは銀色をしたトビウオの魚群。

 だが、いくら天才といっても、一人の人間・・・・・の手で、こんな事が可能なのだろうか……?


「いや、違う……」「この絵は……」

 シュンとメイは、聳える観覧車を見上げて、呆然とした表情でつぶやく。

 この遊園地は「遺作」なんかじゃない。まだ作成中・・・なのだ。


 二人は見たのだ。

 観覧車のクジラと向き合いながら、腰から下げた幾本も夜光塗料のスプレーを交互に持ち替えて矢継ぎ早に振るい続ける、宙に浮かんだ人影を。

 銀色の月光に透かされて、自身の身体もボンヤリと白く輝かせながら一心不乱に絵を描き続ける、一人の少女の姿を!

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夜の魚 めらめら @meramera

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