第22話「侵される心」

「いやーいつも悪いな、今日も図書館まで付き合ってもらってさ」


 何冊も本を入れている鞄を脇に抱えているのでずっしりくる。


「おかげで、色々新しい本も見つけて、借りられたし」 

「い、いや、いいんだよ。真琴。いつでも言ってくれよ」

「そうか? また頼むよ」


 清久と共に市の図書館の分館を訪問した。そこに地元の民話伝承本があるという清久からの情報がきっかけだ。

 その情報は正しかった。

 ここしばらく新しい資料も無く『異変』研究の行き詰まりを限界を感じていたので、オレはほくほくだ。

 何を探しているか、どんなものが欲しいかを清久はわかっているので一緒だと本当に助かるのだ。もちろん迷わず借りた。

(今日はこれを家に持ち帰ってじっくり読んで見よう)


「しかし、本当に研究熱心だな。真琴は。研究家に向いてるかもなあ」

「そんな大袈裟にいうなって」


 オレはおだてにのりやすいからな。よくマミ姉の奸計に引っかかったりする。


「いや、僕は飽きっぽいから……」

「あ、そうだ。清久。この間、言ってた『異変の日』の前日にいた祠の女の話……今度詳しく」


 清久は少し俯いている。


「どうした? 腹の調子でも悪いか?」


 清久の顔を覗き込む。

 別に辛そうな顔じゃない。

 だが。終始もぞもぞ、時折オレの様子を伺いながら、ポケットに手を突っ込んで、もぞもぞしている。

 やがて意を決したように口を開いた。


「そうだ、真琴。来週の日曜にさ……もし良かったら、これ見に行かないか?」


 ズボンのポケットから何か取り出した。

 二枚の映画チケットだった。


「あ! これ、今映画館でやってるやつじゃん」


 チケットは、今話題の『全米ナンバー1』と最近テレビCMなどで盛んに宣伝しているアクション映画の最新作だ。


「これ見たかったんだよなあ。でもオレが見てもいいのかよ?」

「い、いや、なんか親父が会社で余ってるとかいうから、もらっちゃってさ。だから来週の日曜……。図書館の帰りでもいいよ? 研究が終わった後とかさ」

「あ……来週は……」

「ん?」


 大事なことを思い出した。

(オレ……来週は……アレだ。二、三日は静かに過ごしてないと駄目なんだよなあ)


「悪い……ちょっと別の用事が……あった」

「そ、そうか、じゃあ、また都合が良くなったら言ってくれよ」


 清久も、そそくさと話題を打ち切った。


   ☆   ☆   ☆


(いよいよ今日だ)

 純は教室の時計を眺めつつ心の中でつぶやいた。

 いつもは放課後になれば『純ちゃん、純ちゃん』とすっ飛んでくる、皆川も今日は来ない。

 先に秘密計画の準備を始めているのだ。

 生徒会役員だけあって、空き教室の確保も抜かりない。

 純が頼んでおいた人も用意してくれた。

 人の繋がりも知り合いも大したものだと感心した。

 無理なお願いだったが、タマキは『純ちゃんの為ならなんでもするわよ』と二つ返事で受けてくれた。

 場所を確保した上に、他に誰も来ないように必要な手配をしている。

 準備は滞りなく進んでいるが、本当はやるかどうか純の中ではまだ迷っていた。

 この切り札は吉と出るか凶とでるかわからない劇薬でもある。

 今日、自分たちに秘められた能力を使う。

 その能力とは、純たちTS高校の生徒たちが異変によって得た力だ。

 TS高校の生徒たちはただ少女になっただけではなく、相手を魅了する力があるのだ。

 周囲の人々と接し色んなことを試すうちに、異様なくらいに相手を魅惑、心を虜にするこの能力に気付いた。

 ただ相手の瞳をじっと見つめるだけ――。可愛らしく声を出す。わざとらしい仕草さえも相手を狂わせ興奮させ、簡単に我を失わせる。

 これは、魔法で言う、チャームのような力と純はみなしている。

 普段はごく小さいものけど、その力を少しずつ集められれば、奇跡を起こすことができる。

 魅了して、心を自分たちの思うように染められる――。

 この力を使えば、清久を思い通りにするという純の願いが叶うはずだ。

 しかし、どうなるかはやってみないとわからない。

(弱気になっちゃだめ)

 純は首を振って自らを奮い立たせる。

 純は、今日の儀式の主役を呼ぶために椅子から立ち上がった。

 一番要の役目は、まさに純だ。

(これだけはわたしでやらないと)

 天聖館、通称TS高校の最後の過ちを直す。

(ただ一人残った男の子の清久をわたしの手で――。わたしの使命)


 キーンコーンというチャイムの音が校内に響き渡った。

 きっと開校以来ずっと変わらない音色だ。

 たとえそこの生徒が男であろうが女であろうが休み時間の合間、そして一日の授業が終わった時に、鳴り響く音。

 純は足を踏み出した。








 純は二年A組の教室を覗き込んだ。

(いた……)

 すっと近寄る。


「清久、どこ行くの?」


 清久は鞄を抱えて、教室を出ようとしたところだった。

 呼び止められると、背中が明らかにぎょっとするように震えた。


「な、なんだ……純か」


 だが、安心した様子は無い。

 明らかに警戒しているような雰囲気が出ている。


「なにをそんなに急いでるの?」

「ど、どこって帰るだけだよ」

「そう、じゃあ、この後、なんにもないんだ。じゃあ……ちょっと一緒に来てくれない?」

「この後か? だ、だったら、真琴がいるときにでも……また明日にしてくれないか」


 純の申し出に従うことを清久は嫌がる。

(これまでだったら、普通に従ってくれたのに……)

 清久と自分の間にできた溝の大きさに改めて気付かされる。


「今日じゃないと駄目」


 即答する。


「う……」


 清久は言いよどんだ。

 今日は真琴がいない。

 清久は気づいていないことだが、純はしっている。

 今日は、真琴が月に一度休む日なのだ。女子の月に一度やってくる日。

 だからいないのだった。


「でもさ、真琴がなんていうかな……、一人の時は勝手な行動はするなって釘刺されてるからさ……」


 その科白から清久が真琴のことを凄く信頼していることが容易に察せられる。


「ねえ、清久。別にあたしは姫宮さんの話はしてないよ? なんでさっきから、姫宮さんが出てくるの?」

「そ、それは……あ、ま、待て……って」


 純は清久の意志に関わらず、強引に清久の手を引っ張った。

 こうされると清久は断れなくなるのを昔から知っている。渋々従うのだ。


「まったく……なんなんだよ」


 案の定、清久は渋々ながらついてくる。

 どうせ、もう純がどうしようと、何かを変えることなんてないと多寡をくくっていた。

(まさか、それが甘い見通しだと清久は思わないでしょうね)

 そして黙々と校舎を移動した。


「純、どこに行くんだよ」

「……」


 ようやく空き教室の前に到着した。

 特に用途は無く、学園祭や体育に使う用具などが漫然と置かれている。

 人気のない場所だった。


「ここがどうしたってのか?」


 清久は、なんとなく入るのを躊躇っていた。


「ここに入ってほしいの」


「え? ちょっと、待て。なんでここに……」


 流石の清久も徐々に嫌な空気が流れ始めていることに気付いたようだ。

 何か、罠にかかる動物が直感するような嫌な空気。

 キョロキョロ理由もないのに辺りを見回している。


「ほら、入ってよ」


 面倒とばかりに、純が清久の背中を押した。


「えいっ」

「わ、こら!」


 ドアを開けて、清久を押し込んだ。そして後ろ手でドアの鍵を閉めた。

 もう清久はここから、二度と出ることは出来なくなった。


「な、なんのつもりなんだ?」


 清久は頭を振った。そして薄暗い部屋を見渡した。

 何もない。使用していない机や、故障したテレビが置かれている。

 予備のチョークや画びょう。


「ここがどうしたんだよ」

「清久……」


 急に声色が変わった。そのなまめかしい声に、清久はぎょっとした。

 目の前に服をはだけさせた少女が立ってた。


「純!?」


 少女は純だ。脱ぎかけの制服を立って静かに清久を見つめていた。


「お前、何やってんだよ」


 まだ呆気に取られて事態を飲み込めていない。


「私、清久に謝らないといけない。清久を一人置き去りにしてしまったこと……」


 純は思いを綴る。

 ずっとずっと思っていた。

 清久だけ、一人男子だったこと。

 それはたまたまあの日、清久が休みだっただけで起こってしまったこと。

 清久には何の罪も無い。

 だから自分たちが力を合わせて清久をこっちへ来られるようにするべきだ。

 それが、この天聖館高校のあるべき未来。

 この世界では一人も除け者にしてはいけない。

 『母さん』の元でみんな平等の『娘』なのだから。

 今日ここで清久にも『母さん』の力の恩恵を受け取れるようにしてあげよう――。


「ここにはね、清久にもいないといけないはずだった……。だから今から間違いを正すのよ」

「何を言ってるんだよ! わけがわからない。別にお前らが女だろうがなんだろうが僕は知らない。僕はこのままでいい。そう言ったはずだろ、なんで今更蒸し返すんだ!?」

「駄目だよ、清久」


 純は首を振った。


「こんなので残りの高校生活を過ごすなんて、ただ学校来て帰るだけなんて――」


 ただいるだけじゃ駄目。清久も私たちと共にこの天聖館高校での生活を、楽しく過ごさないと駄目――。

 それが純の願いだった。

 だが、清久にその気持ちが通じていないのは明らかだった。

 幼馴染として、純が清久とここまで言い争いをしたことは今まで無い。


「もう、いい加減にしてくれ。僕はこれでいいんだよ」


 声もわなわな震えていた。清久の声は怒り声だった。


「一体、何のつもりなんだよ、こんなとこに連れてきて」


 清久は、目を逸らした。


「清久、旅立とう――」

「な、何言ってるんだ? 純」

「清久も今から夢の世界に旅立つのよ」


 そこで清久の顔が歪んだ。体の変異に気づいたのだ。


「あ……、あか、体が……」


 歩き出そうとしたが、清久は、痺れたように動かなくなった。


「もう、いいころかな?」


 長い時間フェロモンに当てられた清久は体の自由を失った。

 チャームが発動したのだ。


「……純、お前、何をやったんだ」

「さあ、清久。始めるわよ」


 純は制服のブラウスのボタンに手をかける。


「じゅ、純! お前何やってるんだ!」 


 脱いで、床にパサッと置いた。

 スカートも脱ぎ捨てた。無造作に床に広がる。


「ひっ!」


 清久は、悲鳴を上げた。

 純は、既に下着姿となって、美しい肢体を晒している。

 靴下も脱いだ。右足と左足、それぞれやはり脱ぎ棄てた。

 そして、裸足で、清久に近づく。

 ペタペタと床を踏む音が響いた。


「あ……あ……」


 清久は口を開けたままわなわなと唇を振るわせる。

 純は、清久から視線を逸らさない。


「そして――これがわたしの現実。いい? 清久。現実を見て」


 服を脱ぎ捨てて下着だけの姿を清久に見せた。


「綺麗? 初めて見るでしょ? 女の子になったわたしの体――」


 純にとって、女となった体を男子にここまでみせたのは初めてだ。

(これはわたしの決意)


「や、やめろ。見たくない――」

「駄目。わたしを見て」


 清久はブルブル震えていた。


「わたしと清久、お互い全てを曝け出して、そうすれば心は繋がるの」


(裸と裸。男も女も忘れて)


「さ、清久もわたしに全てを晒して」

「いやだ、やめてくれ、純」


 清久は泣き出してしまった。


「うう……」


 ポタン、ポタンと涙が落ちた。少し純の心に躊躇する気持ちが起こる。

(でも……これが、一番の方法)

 純は確信している。

 清久も、こっちへ来てもらうことが、みんなの、自分自身の、そして清久の幸せなのだと。

 清久を抱き起した。そして見つめる。


「真琴! 真琴!」


 純は気に入らない。

(なんでさっきから、清久はその子の名前を呼ぶんだろう? こんなに清久のことを思っているのは私なのに――)


「真琴、助けてくれ――」


 清久は女の子の甘い匂いに充てられて、痺れたように身動きが出来なくなっている。


「体が……なんで……」


 清久は必死に逃れようともがく。


「やめろ、やめろって」

「やめないよ」

「じゅ、純!」


 しかし、純は見逃さなかった。清久のある部分だけは、純の身体を求めていることに――。

(やっぱり……悲しいけど男の子の性なのよね、これって)


「う……あ……」

「清久! さあ行こう! あたしたちの世界へ、行くよ!」


 純は清久の顔を両手で抱き寄せる。

 次の瞬間、純は、清久の唇に自分の唇を重ねた。

 とろけそうなくらい、甘い、甘いキスをした。

 流し込むように、とっておきのキス。

 それは禁断の味。純は妖精のキスと名付けている。

 男の子が知ってはいけない味だ。

 その味を無防備な清久の本能にぶつけた。

 離さない。

 何度も何度も唇を重ね合わせ、時に、舌を口内にいれ、絡ませる。

 甘美な、そして淫秘な――。

 清久の体がガクン、と力が抜けるように崩れた。

 気を失ったのだ。

 そして、清久の自我が崩れる確かな手ごたえを純は感じた。


   ☆   ☆   ☆


「ん? どうしたの? 真琴」

「今、誰かオレを呼んだような――」


 部屋にマミ姉が入ってきたので、オレは布団から身を起こした。

 パジャマ姿で少々寝くたびれていた――。

 欠伸をしたところで、誰かの声が聞こえた気がした。でも部屋にはオレと姉貴の二人。


「気のせいかな……」

「それより、ほら真琴、果物切ったわ。朝から何も食べてないでしょ?」

「あ、ありがとう」


 目の前に差し出された皿にはカットされたリンゴとフォーク。


「どう? 良くなった?」

「まだ痛いよ……」


 下腹部を触った。

 朝から強く続く鈍痛は、まだ収まっていないが心なし楽になった。

 一日静かにしていたからだろう。

 やっぱり今日は休んでよかったと思った。


「マミ姉、どうにかしてくれよ、だるいし、痛いし」

「もう、毎月この日は大騒ぎね。真琴も、もうちょっと冷静にならないと」


 下腹部の痛みも全身のダルさもやや治まった。

 女にしかわからないこの痛み。

 一日学校を休んでようやくよくなった。


「もし痛いなら鎮痛剤、使えばいいのに、お姉ちゃんが使ってるの貸してあげるよ?」

「いいよ、いいよ、もう薬は。病気でもないのに使うのは嫌だよ」


 薬は好かなかった。なんでもないなら飲みたくないのがオレのポリシーだ。


「ほら、時間が来たからそろそろ、ナプキン、取り替えないと」

「あーあ、面倒だな」


 差し出された皿のリンゴをほおばった。シャクシャクと噛み砕く。

 ダルイ体に冷たい果物が染みた。


「ったく女って不便なことありすぎだ」


 ずっと続く下腹部の痛みと気だるさにため息を吐いた。

 今日は、月に一度嫌でも自分が女であることを実感する日。自身の腹の中に子宮があり、それが息づいていてオレの中で燈々と灯っている証。

(まったく、これだけは、勘弁願いたいものだよ)

 股間にアレが無いこととか、胸に乳房があるとかケツが大きいとか、そんなのとは比べ物にならないくらいの変化だ。

(なんてもんだ、女の体ってのは……)


「それより、ほら、駅前のデパートで下着セールやってたから、買ってきたんだけど」

「ま、またかよ! もう下着は十分だって!」


 マミ姉の手には、駅前の百貨店の洋服コーナーで買ったと思われる、特価商品のショーツがあった。

 相変わらずスケスケ、フリル、マチの装飾が派手で、精彩な模様が刺繍されたもの。


「だーめ、体が落ち着いたら試着してみなさいよ」


 頼みに抗しきれない。渋々承諾した。

(そういえば、清久と接するきっかけになったのも、下着の一件からだったな。あいつの目の前で、ケツ丸出しにしちまって、姉貴の買ってきた下着を見られて)

 まったく何がきっかけで、人と出会うなんてわからないもんだ。


「ふふ、真琴。最近楽しそう。良かったわ」

「嬉しいんだ」

「へえー、そうなの? 何が?」

「誰かの力になれたというか、支えてやれたってことがさ」


 きっとオレが明日登校すると、安心したような表情を清久は浮かべるのだ。

 たった一日休んだだけで、もう真琴(オレ)が来ないかもしれない、会えないかもしれないという恐怖に清久は駆られるらしい。

(だがオレはどこにも行かない。心配はいらないさ。ずっと、清久もオレもこのまま――)

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