第21話「行き違うもの」

「お、清久。悪い、待たせたな」


 ハンカチで洗った手についた水の雫を拭きながらドアの外で待っていた清久に声をかけた。


「あ、真琴。終わったか」


 腕を組んで廊下の壁に寄りかかっていた。

 前の休み時間に飲んだジュースが効いたか、急に催してトイレに駆け込んだが、二、三人順番待ちだった。


「結構かかっちまった」

「いや、気にすんなって。それより、僕も行ってこようかな。先に教室に帰ってくれよ」


 清久は学生服を翻す。


「おい、清久。どこに行くんだ?」

「どこって、職員室の隣のトイレだよ」


 清久が行こうとしている所は、今この学校で唯一の男子トイレがある、職員室脇の来客用トイレだ。

 今いる2‐A教室の辺りから一番遠い場所で、使うには不便だ。戻ってくるのに時間がかかってしまう。


「あそこは遠いぞ。ここのトイレ使っちまえよ」


 今出てきた場所に視線をやる。指し示した。

 生徒用のトイレだ。


「いいよ、入ると煩いから」


 清久は笑ったが、少し寂しそうだった。

 この目の前のトイレは、いつの間にか女子トイレ、ということになっている。

 つまり、男子の清久は、使えない、という理屈だ。

 そもそも天聖館高は、男子校だったため、普段生徒が使うトイレは男子用のトイレしか無かった。

 それが、あの異変で、今度は生徒が全員(清久を除く)女子になってしまった。そしてその時に起った混乱の一つが、トイレの問題だ。

 男子用の小便器を使う生徒がまったくいなくなり皆が小用でも個室を必ず使うようになった。

 そしてトイレ不足の問題が起きた。

 休み時間は行列がずらりと並び、皆我慢しながら順番を待った。

 時には休み時間内に全員の用足しが終わらず、授業に遅刻するものもいた。

 あるいは、順番が間に合わず、漏らしてしまった生徒も、いたとかいないとか噂も流れた。

 何にせよ真新しく穿きなれないスカートを押さえて必死に我慢する様は、当時の風物詩だった。

 ついには学校も動いて、緊急に工事が行われた。

 校舎の全てのトイレで男子用の小便器が取り払われ、変わりに個室が新たに増設された。

 つまりは女子便と同じ構造になったわけだ。

 これで、多くの女子となったオレたちの用足しに対応できるようになったのだが……清久のことは、ここでもやはり忘れ去られた。

 正確なことを言うと、明確に女子トイレという決まりは無く、ここはあくまでも生徒用のトイレなので、清久も使えるはずだ。

 だが……。

『おいおい、清久、ここは女子便だぞ』

『男子は男子トイレ使えよ。使いたかったら、お前も女子になるんだな』

 使うと必ずといっていいほど冷やかされる。


「ちょっとおー、清久。あんたはここに入らないでくれる?」

「また、清久が女子トイレ使ってるよお。もう少しは気を使ってくれない?」


 などと本気で清久に抗議してくるのも中にはいたらしい。

 いつの間にか生徒用トイレは女子トイレという既成事実が出来、清久も冷やかしに嫌気がして自ら遠くて不便な来客用トイレを使うようになった。

 オレは、そういう排除する扱いはおかしい、と思っているのだ。

(勝手に変わったのはオレたちなのに、何も変わっていない清久が、なんで不便、疎外されるんだよ?)

 このことは考えるほど理不尽にオレには思えた。


「待て。清久、オレも行くよ」


 背を向けて、廊下を歩き出した清久を追いかけた。

 その背中から言いようの無い寂しさと悲しさが吹き出ているようにオレには見えた。

(オレが、オレが一緒にいないと)


「いいよ、真琴。戻るのに時間かかるし、もうそろそろチャイム鳴るだろ。教室に戻れよ」

「まあ、そういうなって」


 追いかけた背中がピタっと立ち止まった。

 廊下を突きあたった階段の前だ。

 何かに気付いたようで、清久が何かを見つめている。

 

「ん?」


 オレも清久の見ているものに目を落とす。


「あっ!」


 階段の踊り場に蹲っている生徒が一人。赤と白のリボンで纏められたお下げの髪も、萎れているように見えた。

 手すりに手をかけて、ぐったりと階段にへたり込むように座っていた。


「おい! 大丈夫か!?」


 清久がその生徒に駆け寄り、声をかける。


「う……」


 清久の呼びかけに顔をあげて、呟いた。

 目は虚ろで、顔も気だるそうだ。


「だ、だいじょう……ぶ」


 そいつは、よろめくように、立ち上がろうとしたら、またへたり込んだ。


「大丈夫じゃないだろ!」


 清久は、抱え起こした。


「真琴も、そっちを頼む。保健室に行こう!」

「ああ!」


 オレも肩を抱え、清久と一緒にその生徒を運んだ。

 保健室に運び、運よく在室だった校医に状況を説明した。

 すぐにベッドに寝かされ、処置が始められた。

 あなたたちお疲れ様、ありがとう、と労いと共に心配いらないから、と校医から授業に戻れ、と言われたので保健室から出た。


「あいつ、大丈夫かな」


 保健室を出ると、清久は心配そうに、呟いた。


「大丈夫さ」

「なんでだ? あんなに苦しそうだったのに……なんで真琴はわかるんだ?」


 意外そうに、清久は呟いた。実は、運んでいるときに既にオレは原因に気がついていた。


「あの日なんだよ」

「え!?」

「あいつ、女の日だったんだよ」


 清久は目を丸くしたが、すぐに理解した。


「女……の日。そうか、お前らってもう来てるんだっけ」


 清久はその言葉をかみ締めるように遠目になった。


「無理して学校に来る奴がいるんだ。まだ自分の体のことを、きちんと把握してない奴もいてさ。さっきのも、女の体を甘くみてたんだろう」

「そうかあ、まだお前らも女になりきれてないことがあるんだな」

「そりゃそうだ、あれ月一だから、まだ何度も経験してないし……それにあれは慣れるってことは絶対にないと思うぜ。『あの日』だけは普段女を謳歌してるような奴らも『男に戻りてえ』って神様にお祈りするんだぜ」


 女になりきっていても、まだほんの数ヶ月。

 生徒だけでなく教師も、自習が結構連発したりする。皆かなり苦労しているのは確かだ。

 清久には、秘密にしてしゃべってないが、実はオレもかなりキツイ体質だった。これまで四回、あの日に学校を休んでいる。

 その日は体がだるくて、まったく動かなくなる。清久には、このことを知られたくなかった。


「そうするとさ、生理がくるってことは真琴、おまえらって、その……」

「どうした?」

「産めるってことだよな?」

「は!?」

「い、いや、今のは何でもない。聞かなかったことにしてくれ」


 清久は、顔を背けた。

 それにしても……教室に戻る時にオレは少し考えた。

 清久の新しい一面が見られた。弱ってる奴を見つけたとき、オレよりも早く咄嗟に助けようとした。

 清久に優しくて強い一面があることに感心し見直した。

 今までいろんな理不尽なめに沢山あっているのに他の生徒らを心配し気遣うことが出来る余力があることに舌を巻いた。







 そして放課後。

 窓から差し込む夕日で室内は真っ赤だ。

 図書館にはオレ以外は誰もいなかった。

 外でカラスの声が時折聞こえる。


「うわ! なんだこれ……女が抱き合ってる」


 放課後、図書館で本棚から取り出した本を見て言葉を失った。

 この町の伝統工芸、美術史を纏めた資料本だ。

 その中から、一枚。二人の女が布団の中で裸で抱き合っている図があった。

(まるで今のこの学校の生徒みたいだ)


「なになに……『美少女図』」


(もろ直球だな)

 その他に綺麗な和服の少女の絵とか、水遊びしている絵とか。

 やたらと少女の絵が多い。

 絵の解説には『少女たちは神様の使いを象徴している』とある。


「あ!?」


 思わず叫んでしまったのは……一枚の絵だった。


「か、『母さん』……」


 忘れることは無い。

 あの日、あの時、あの場所。

 オレやみんなを、今のこの姿に変えた存在。

 それに似ている。間違いない。

 絵には神社の境内で少女が遊んでいる様子が描かれている。

 神の使いである少女たちが戯れている図だ。

 その少女たちの絵の一人が、『母さん』にそっくりだったのだ。


「あ、くそ。解説は何もなしか」


 だが体が震えた。

 やはり、オレの目算に狂いは無かった。

 この街の歴史を紐解いていくと『母さん』の正体、異変の正体につきあたる。

 もっともっと調べる必要があると思われた。


 帰り道、清久と途中のファミレスで休憩した。

 ついでに学校の宿題に取り組んだ。

 中途半端に進学率の高い学校なので、かえって勉強は厳しいのだ。宿題がたんまりでる。進学校のような自由放任とはまた違う。


「ちがうちがう、この微分の問題の解き方は……」

「ああ……そうだったか」


 自慢じゃないが全方位で成績の良いオレには、清久にわからない部分を聞かれてもすぐに答えられる自信があった。ま、自慢か。

 数学が苦手で、宿題やテストを苦戦する清久は、よく頼ってくる。


「ありがとう、真琴。助かったよ」


 アイスコーヒーに口をつけて礼を述べる。


「礼を言われるほどじゃないって。それに……赤点でも取ったら夏休みが補習でパアだからな」

「じゃ、じゃあ、ここも……わからないんだ」


 清久は教科書の問題の箇所を指さした。


「どれどれ」


 身を乗り出し、ノートをのぞき込む。

 お互いの髪の匂い、吐息が伝わってくる距離だった。

 清久がその感覚を頭に焼き付けるように目を閉じていた。


「あ、これか。これは、このXをこっちにもってくるんだ」


 オレはその時は気が付かず、説明に没頭していた。

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