風の吹く先に
筑前防人
1 始発の風
玄界灘の冬は、白波が多く、大陸から吹く北風が福岡の街を一層冷たくした。
私は、久方ぶりに地元の地を踏んだ。こんなに離れるのは、初めてだったが、相変わらず、朝から漂う博多駅のパンの香りは、私の帰省を歓迎しているようだった。
「また帰ってきたんやね、ここに」
ふとつぶやいてしまった。前回福岡に戻ってきたときは、こんなこと言わなかったのになあと思いつつ、群馬の土産を大量に詰めたキャリーバックを引き釣りながら、私は、タクシー乗り場に急いだ。
昨日から降り続いた雨は、今朝早く止んだと小柄のタクシードライバーは言った。
「お客さん、福岡の人やろ」
「そうです。よくわかりましたね」
「お客さんほど、福岡のニオイのしよんしゃあ人はおらんばい。がははは・・・」
福岡のニオイかあ、、、。
確かにどんなに九州から離れても、訛りは取れなかったし、関東の醤油をそのまま煮込んだような色をしたうどんを食えば、アゴの効いた透き通ったスープを欲したこともあった。しかし、それを僕は前面に出そうとは思わなかった。どちらかといえば、九州が地元であることをひた隠しにしたい気持ちも少なからずあった。
「どげんですか、久しぶりの福岡は?ま、どげん言われてもなんも変わっとらんですがねえ」
タクシードライバーは、ハンドルを握りなおして、住吉通りを美野島方面へ左折した。ど派手な中華料理店の赤壁が懐かしい。
そう、景色という景色はほとんど変わっていない。路地裏に入れば、昔あった居酒屋がコインパーキングになっていたり、公園の前にあったバス停が無かったりとするのであろうが。
私が見つめてきた福岡の街並み、脳裏に焼き付いた福岡の街並みと全く相違なく今私の眼前にある。
そう、私は帰っていたのだった。
私が、福岡を嫌いになったのは、言うまでもなく家族が原因だった。
私は、3人兄弟の長男として生まれ、1つ下に妹、3つ下に弟がいた。そして、父母。父と母は、10歳年の離れた者同士だった。よく父が「母さんが0歳の時、父さんは10歳。今考えれば、10歳の子が0歳の赤ちゃんと結婚するとか想像もつかん」と麦焼酎を片手に言っていた。
母は、佐賀の港町生まれということもあり、やや癖のある性格の人だった。妙なところで怒ってみたり、泣いてみたり、喜怒哀楽の激しいこともあった。
しかしながら、よく働く人であった。介護福祉士に数年かけてなり、今では老人ホームで50歳手前ながら、夜勤もバリバリやっている。
こういうと、父が大変な怠け者のように聞こえてしまうので、ここは「弁明」というわけではないが、父の話もしておく。
父は、昔美容師をしていた。息子から言われるとなんだかこっぱずかしいかと思うが、私の目から見てもモテる側の部類だったと思う。
そんな父も、よく働いて、3人兄弟(それに、父方の祖父母もいたので、狭い賃貸マンションの一室ながら、7人暮らしだった)を養ってくれた。
そんな両親に育てられ、大学生まで福岡で育った私は両親を比較的困らせることはなかったと自負する。
両親から言わせてみれば「高校2年の不登校まがい」や「小学1年のエレベーターでの粗相」など、今度はこちらが赤面してしまうような話を引き出されるので、ここは穏便に話をすすめることにする。
まだ、兄弟のことを話していなかった。1つ下の妹は、高校卒業後すぐに、地元の釣り具店に就職した。そこで、知り合った同僚と意気投合、付き合いもままならずして、結婚。旦那の実家である鹿児島へ嫁いでしまった。
妹とは、年子ということもあり、お互いが思春期を迎えるまでは、無邪気に遊ぶ仲だった。妹は、自転車にしても、公園の遊具にしても、ましてや、大人でも怖気づいてしまうような海水浴場の飛び込みでも、私が手足が震える横をいとも簡単にやってしまうような度胸があるやつだった。だからこそ、今や2児の母となり、慣れない土地でも弱音を吐かずにやれているのだろう。
3つ下の弟の現況は、露ほど知らない。元来、弟は自宅にいることが少なかった。外で遊んでいるか、働いているかだった。そして、兄弟で一番目に見えてやんちゃだった。加えて言えば、私が分かちえなかった分の最先端のファッションや流行を先取りしていた。妹が嫁いだ部屋に弟が移ることになり、こっそりと覗いてみると、私が当時大学入学時に買ってもらった革靴と、古いスニーカーしかもっていなかったのにもかかわらず、ショーウィンドーごとく部屋にはいくつもの靴が並べてあったことには、幾分か驚いた。
祖父母については、ここで話すには筆舌しがたい。過激な内容というわけではなく、ただ一つの単行本が完成するぐらい思い出深いことが多いのである。
だから、またの機会があれば、それは述べていくいくことにしたい。
そんな家族が、私は嫌いになった。だから、福岡を離れたのだった。
「嫌い」という言葉を何度も多用しているが、本来の私は「嫌い」という二文字を使うことを控えていた。「嫌い」といえば、どことなく一切の筋道を断ち、金輪際触れ合うことさえも避けるような意味のように感じ、実際、そのように対応してしまうからである。
私の好きな映画に、水田伸生監督の「なくもんか」(2009年)の作品がある。阿部サダヲ演じる祐太と幼いころに離れ離れなった弟大介の喜劇のような悲劇のような淡い空気感を持った心惹かれる作風なのだが、その中で、八方美人でおせっかい妬きの祐太が、作中で放つ一セリフが私のこれまでの、そして、これからの「人生訓」としてある。
「嫌いな人をすきになる。好きな人をもっとすきになる」
強いて自分色を出すとすれば、「嫌い」という言葉を控えて、「苦手」という言葉に置き換えることが私の中でのルーティンでもある。
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