【1980年代 (6)】『AKIRA』の衝撃とサイバーパンク・ムーブメント

 1980年代、SFの世界ではサイバーパンクと呼ばれるジャンルが生まれました。サイバーパンクとは何かというのを説明するのは結構難しいんですが、1982年公開のリドリー・スコット監督の映画『ブレードランナー』や、1984年に刊行されたウィリアム・ギブスンのSF長編小説『ニューロマンサー』が代表的な作品であり、またジャンルの祖とされることが多いようです。


 現代社会の延長線上にある近未来(『ブレードランナー』も『AKIRA』も2019年の設定)。大きな戦争や邪悪な統治者のようなはっきりした悪ではなく、自然環境の破壊、大企業や社会的なシステムによる抑圧、治安の悪化などで、ジワジワと荒廃しつつある世界。ドラッグや反体制的・反社会的なカルチャーの描写。人体の機械化や、コンピュータ・ネットワークと脳の接続などの技術による人間の心身と機械(人造物)との境界の侵犯。サイバーパンク作品では、以上の要素を(すべてではなくても)含んでいることが普通です。


 それからもう一つ。『ブレードランナー』と『ニューロマンサー』には共通して、“日本”という要素が含まれています。

 『ブレードランナー』で言えば、屋台の主人との日本語でのやり取り(「二つで十分ですよ」)や、街のあちこちにある「強力わかもと」など日本語/日本的イメージの広告や看板。『ニューロマンサー』では、危険な未来都市となった千葉市チバ・シティで、戦闘用の身体改造をしたサムライと称する女モリイと主人公が出会うことから物語が始まります。(ウィリアム・ギブスンはその後の作品で、日本のオタクとかアイドルなども取り入れています。)

 当時の日本経済が強かったことが原因だと思いますが、未来社会のイメージにアジア的なもの、あるいは西洋社会から見た異文化を混ぜるのもサイバーパンクの典型的な手法となっています。

 そして、1989年に米国で公開されたアニメ『AKIRA』(日本公開88年)もサイバーパンクの文脈で受け止められました。


 実はアニメ版より早く、1988年にマーベル・コミックス(マーベル傘下のエピック・コミックス)から漫画版の『AKIRA』が刊行開始されています。80年代に白黒のコミックのブームがあったとはいえアメコミはカラーなのが普通ですので、米国のコミック・ファンの感覚に合わせてマーベル版の『AKIRA』は着色されました。大友克洋のリアルで精細な絵柄が米国人の好みに合っていたこと、マーベルという大手から刊行されたこと、日本での高い評価が伝わっていたことから、英語版コミック『AKIRA』は外国産コミックとしては成功したようです。そしてその後、アニメ版が公開されて評判を呼んだことで「米国で出版された日本製マンガとして最大のヒット作」になりました。[1]


 アニメ版の『AKIRA』ですが、講談社は米国での配給のためにパラマウント、フォックス、ユニバーサルなどに当たったのですが、それら大手からはすべて断られてしまいます。[2]

 『AKIRA』を観た「ハリウッドのお偉方」は暴力全開なこのアニメにとても興奮していたというのですが、当時の米国のアニメーションの常識からかけ離れたこの作品を取り扱う気にはなれなかったようです。[3]

 結局、『ロボテック』のカール・メイセックの設立したストリームライン・ピクチャーズ社が配給を行うことになりました。すでに触れましたが、上映用のフィルムを8本用意するのが精一杯というまったく小規模な興行で、全米のあちこちのアートシアターに売り込みをかけました。[2]


 ですから『AKIRA』が米国で評判を呼んだと言っても、一般の観客が劇場に詰めかけて興業的に大成功したということではありません。このときアートシアターで観ていたのは、マニアックな作品をわざわざ観るような映画ファン、SFファン、コミックファン、そして当時まだ数少ない日本アニメファンといったところでしょう。


 しかし『AKIRA』は狭いマニアの世界だけの成功では終わらず、その外側に浸透していく力を持っていました。

 例えば、日本文学の研究者スーザン・ネイピアは学生に勧められて観た『AKIRA』に驚き、日本のポップカルチャーについての学会で『AKIRA』に関する発表をしました。そこでの参加者の反応もよかったため、彼女は本格的な(ファン活動としてではなくアカデミックな)日本アニメ研究に取り組むことになります。[4]

 1997年、サラエボのカフェに『AKIRA』のパネルが飾られていたこともありました。95年まで続いたボスニア紛争の戦火を被った土地で、「So, it's begun! (もう、始まっているからね)」という台詞と荒廃した街を描いたパネルが社会的なメッセージとして使われていたのです。


 限定された層にしか受けない作品を「閉じコン」と言ったりしますが、『AKIRA』は一般受けしたとは言えないまでも「閉じコン」というわけでもなく、それまで日本アニメに縁がなかった層にも訴えかける「閉じてない」作品だったと言えます。

 当時、アニメはまだ多くの人に子供向けのものだと思われていましたから、大人向けの題材を高度な技術で描いた『AKIRA』は驚きをもって迎えられました。

 また、『AKIRA』は日本の作品だということが米国の観客にも認識されています。先に述べたように、サイバーパンクと“日本”の組み合わせが文脈としてうまく合っていたことも人気に影響を与えたのかもしれません。『AKIRA』は、日本では欧米とは異質のアニメが作られているということを米国の観客に知らしめました。


 批評家の評価も上々で、例えば1990年10月19日付のニューヨーク・タイムズ紙は、「ファンたちの間で即座に名作の列に押し上げられるであろう特質をすべて備えた、並外れたアニメーション作品」、「ポスト黙示録的なトーン、ハイ-テクなセットアップ、刺激的な技巧、不可思議な魅力をもつ数々のキャラクター、そういったものすべてが、SFコミックの伝統の神殿への仲間入りを保証するものとなっている」と称賛しています。

 とはいえ、すべてが称賛ということはありません。ボストン・グローブ紙やロサンジェルス・タイムズ紙は酷評しており、当惑や反発もあったようです。それでも、どちらも長文の評となっていたそうで、無視できない作品だったことが伺えます。[5]


 『AKIRA』が成功すると、ストリームライン・ピクチャーズの後を追うように、日本製アニメを扱うビジネスに参入する企業が次々と現れました。

 『AKIRA』公開の翌年の89年には、ゲーム『ウィザードリィ』の開発者ロバート・ウッドヘッドがアニメイゴ社を設立。90年にはセントラルパーク・メディアとUSレンディションズが登場。91年には、イギリスのレコード大手のIWCが『AKIRA』のビデオを発売。93年には、IWCから日本アニメ専門の別会社マンガ・エンターテインメントが分離して、米国シカゴに拠点を置きました。また同じく93年から、日本の漫画の英訳版を米国で出版していたビズ・コミュニケーションズがビデオの販売も開始しています。[2]


 アニメーション史を専門にする研究者、津堅信之によると、「ジャパニメーション」という言葉ができたのは日本製アニメのビデオ販売が本格的に始まってきた1991〜92年だと言います。ファンの間で自然に生まれてきた言葉ではなく、業界の側が日本製アニメーションを売るために作った造語ではないかということです。

 熱心なファンたちは、ジャパニメーションという言葉が生まれる前から日本製アニメーションのことをANIMEと呼んでいたので、ジャパニメーションという言葉は使いませんでした。そのためか、ジャパニメーションという言葉は、早くから日本アニメのファンが多かった西海岸より、東海岸でよく使われました。

 ジャパニメーションを Jap Animationと区切ると差別語の Jap が現れるのですが、別に差別的な意味が込められているというわけではないようです。[6]


 こうして『AKIRA』以後の米国では、日本製アニメのビデオが次々と発売されました。ラインナップを見ると、当時のファン層の好みを反映してSFものが多いようです。またオリジナルを求めるファンの要望に応えて、吹き替えではなく字幕のアニメビデオも販売されるようになりました(『AKIRA』は吹き替えでした)。吹き替えが好まれる米国では異例のことです。[2]

 90年代になると、各地のレンタルビデオ店には日本製アニメのコーナーが作られるようになり、アニメオタクになるためのハードルもだいぶ低くなりました。96年のボストン・グローブ紙では、古くからの東部の街でもアニメ関連の店が繁盛している様子を伝えています。[5]


 そうした流れのひとつの頂点が、1996年に、アニメ『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』(日本公開95年)が、「ビルボード」誌のヒットチャートでビデオ部門の週間売り上げ第1位にランクされたことでしょう。『攻殻機動隊』もジャンルはサイバーパンクですね。

 ただし、この『攻殻機動隊』も映画の公開規模は小さく、観客を劇場に大量に動員できたわけではありませんでした。[7]

 ビデオソフトを購入するオタク的な層に支えられての人気だったのですが、90年代の半ばにはそれだけ日本アニメオタクの数が増えていたということでもあります。そして、90年代にはOTAKUという日本語も米国に伝わっています。



[1]フレデリック・L・ショット[著]、樋口あやこ[訳]『ニッポンマンガ論 日本マンガにはまったアメリカ人の熱血マンガ論』マール社、1998年(原著1996年)

[2]草薙聡志『アメリカで日本のアニメは、どう見られてきたか?』徳間書店、2003年

[3]フレッド・ラッド/ハーヴィー・デネロフ著、久美薫訳『アニメが「ANIME」になるまで 鉄腕アトム、アメリカを行く』NTT出版、2010年(原著2009年)

[4]スーザン・J・ネイピア[著]、神山京子[訳]『現代日本のアニメ 『AKIRA』から『千と千尋の神隠し』まで』中央公論新社、2002年(原著は2000年)

[5]北野圭介『日本映画はアメリカでどう観られてきたか』平凡社新書、2005年

[6]津堅信之『日本のアニメは何がすごいのか 世界が惹かれた理由』祥伝社新書、2014年

[7]大塚英志/大澤信亮『「ジャパニメーション」はなぜ敗れるのか」角川書店、2005年

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