日本の漫画・アニメをめぐる議論
日本スゴイ/ダメ論、日本特殊論になってはいけない
今週アップしようと思っていた記事ですが、書いている途中でこの論は成立しないと自分で気づいてしまったので没にしました。代わりに前から書こうかと思っていたことを書きます。ちょっとめんどくさい話なんですけど。
日本のアニメや漫画が語られるときにどうかと思うのが、「アニメや漫画は世界中で人気であり、そんな作品を生み出せる日本は凄い」という“日本スゴイ論”と、「日本のアニメや漫画なんて暴力表現とオタク向けの気持ち悪い作品ばかりで、そんな作品を生み出している日本は駄目だ」というような“日本ダメ論”です。正反対の主張ですが、どっちもよくないですよね。
もちろん、良いものは良い、悪いものは悪いと評価するのは間違っていませんが、スゴイ論とかダメ論の場合は大体どちらもあらかじめ結論が決まっていて、自説に都合のいい事例だけを拾っていることになりがちです。
それに、主張する本人は恣意的な操作はしていないつもりでも確証バイアス(信念に合致した情報には注目するが、合致しない情報は見過ごすという誰もが持つ心理的傾向)の影響を受けている可能性があります。
(確証バイアスを含む認知バイアスは人間なら誰でも持っているので、認知バイアスの影響を受けるのはバカだというような見方はすべきではありません。教養と知性を備えた人物でも影響を受けます。)
そして、こういうスゴイ論やダメ論は、日本の特殊性を強調しすぎる日本特殊論になりがちです。「海外と違って日本は〜だ。だから日本はスゴイ/ダメだ」と言われて、調べてみたら別に日本だけじゃなかったということもよくあります。
日本の特殊性を過大に見積もることは日本の側にも海外の側にもあります。日本の側には自分たちを特別な存在と思いたい願望があり、海外の側には日本がいかに異質であるかにばかり着目するエキゾチシズムがあるのが原因です。もちろん、自分たちを特別と思いたい感覚はどの国民・民族にもあるし、日本人が海外を見る視線にもエキゾチシズムは存在します。
ただ、そこは気をつけておかないと日本とか日本のアニメや漫画というものが歪んだ形で理解されることになってしまいます。
論理的に言って、どんな国や地域にもそれぞれの特殊性というものはあるのですから、日本にもそれなりの特殊性はあるはずです。しかし、それを特定するには日本と海外についてきちんと調べた上でなければなりません。
そこで手抜きをして日本特殊論を展開するときに、あやふやな「日本らしさ」だとか「日本文化の本質」がしばしば持ち出されます。しかし、そうした「文化の本質」を安易に前提にする議論は文化本質主義と呼ばれ、批判があります。
また、日本特殊論を批判するのであれば、同じようにアジア特殊論や西洋特殊論だって批判の対象にならなければいけません。
ちょっと抽象的な話になってしまいましたが、今後、具体的な話をする際の土台として書いておきます。
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