1980年代の展開
【1980年代 (1)】玩具とゲームの時代、ボルトロン(ゴライオン)の成功
1980年6月4日、米国の映画業界紙「ヴァラエティ」に「日本のアニメーション、十億ドル規模に近づく」という見出しの記事が載りました。そこには以下のような記述があります。[1]
>>日本のアニメーションは、基本的に国内に留まっているといえるのだが、そこでの頂点を迎えようとしている。さらには、極東や、いくつかのヨーロッパ諸国、さらには世界各地の点在するマーケットにおいても、強い市場要因になりつつあるようだ。<<
日本のアニメがこの時期、東アジアやヨーロッパの一部(フランスやイタリアなど)で好評だったことを伝えています。しかしこの時期、『ガッチャマン』を皮切りに日本アニメの輸入が再開されていたとはいえ、多くの米国人にはまだピンとこない話だったかもしれません。
日本製アニメというわけではありませんが、まず、80年代の前半に米国で放映された二つのアニメについて触れておこうと思います。ひとつは82年にABCで放映された『ザ・パックマン・ショー(The Pac-Man Show)』。もうひとつは83年からCBSで放映された『ダンジョンズ・アンド・ドラゴンズ(Dungeons & Dragons)』です。
『ザ・パックマン・ショー』は米国のハンナ・バーベラの製作ですが、米国でもブームを巻き起こしたナムコのビデオゲーム「パックマン」(1980年)の人気を背景にした企画です。ゴールデンタイムに放映され、最高視聴率は56%にもなりました。[2]
米国ではアタリ社が、1977年に家庭用ゲーム機 Atari VCS(Atari 2600)を発売しています。当初の売上は振るわなかったものの、サードパーティによるゲームソフトの開発・販売を認めたことで大ヒット商品となりました。「パックマン」やタイトーの「スペースインベーダー」(業務用は78年)も移植されています。
ところが、完成度の低い製品、いわゆる「クソゲー」が濫造されて市場に溢れたため、消費者は家庭用ゲーム機から離れてしました。82年のクリスマス・シーズンから85年にかけて、北米の家庭用ゲーム機市場(アタリ社以外も)は崩壊します。いわゆる「アタリショック」です。(ただしアタリショックは「クソゲー乱発」だけが原因ではないともいわれています。)
ただし北米以外ではアタリショックの影響はほとんどなく、日本では任天堂の「ファミリーコンピュータ」が83年に発売されて大ブームを巻き起こします。米国では、1985年に「ニンテンドー・エンタテインメント・システム(NES)」という名で発売されて大人気となり、北米の家庭用ゲーム機市場を再び活性化させました。
米国ではファミコン自体を、ニンテンドー(Nintendo)と呼んでいました。耳慣れない日本の固有名詞だったはずですが、興味深いことに「ニンテンドー」の呼称が定着します。
1980年代はビデオゲームが一般化していく時代でした。そして日本はビデオゲームの生産国として知られることになっていきます。しかし『パックマン』のような例は散発的にはあるものの、日本製ゲームとアニメの強固な連携はまだありませんでした。
テレビアニメ『ダンジョンズ・アンド・ドラゴンズ』は、1974年にTSR社から発売された世界初のロールプレイング・ゲーム(テーブルトークRPG、ゲーム機を使わない“非電源ゲーム”)が原作です。
ゲーム「Dungeons & Dragons」は、ロバート・E・ハワードの「キンメリアのコナン」シリーズや、J・R・R・トールキンの『指輪物語』などのファンタジー小説を下敷きにしたファンタジー世界を舞台にしたもので、各種のゲームはもちろん、メディアを問わず以後のファンタジー作品に多大な影響を与えています。
アニメ化された『ダンジョンズ・アンド・ドラゴンズ』は、遊園地で楽しんでいた六人の少年少女がファンタジーの世界に飛ばされてしまい、元の世界に戻るために冒険するというストーリーでした。つまり“異世界転移もの”だったわけですね。
元になったゲームの「Dungeons & Dragons」も、暴力的だとか、悪魔や魔法が登場するので反宗教的だとか叩かれた経緯があるのですが、テレビアニメ『ダンジョンズ・アンド・ドラゴンズ』も暴力的だと市民団体から批判を受けることになりました。しかし、CBSは3年にわたってこの番組を放映し続けました。[3]
暴力表現が過ぎるという理由で長らく日本のアニメの輸入を止め、『ガッチャマン』の放映にも大幅な改変が必要だった米国のテレビの世界ですが、この時期に変化が訪れていたのです。
ジミー・カーター政権の時代には、市民団体が「連邦議会と連邦通信委員会(FCC)に圧力をかけて、子ども番組から暴力描写を取り除かないテレビ局は放送免許を取り上げよと主張を続けて」おり、そのため「どのテレビ局も暴力過剰と叩かれかねないコンテンツを流すのに非常に慎重」になっていました。
それが80年代に入ると、ロナルド・レーガン政権が誕生します。レーガンは「政府はあれこれ介入するな」という方針で、連邦通信委員会(FCC)は放送局に対し厳しい監視は行わないと示唆しました。[4]
こうしてテレビの暴力表現規制は緩和されました。市民団体からのクレームに対して、テレビ局はかつてほど神経質にならなくてもよくなったようです。これは日本製アニメの輸出にとっては有利に働きました。
それにしても、過去の事例を見ていくと、日本製アニメを特に意識したわけではない政策の変更などが、アニメの“生息環境”を大きく変化させ、結果として日本のアニメに少なからぬ影響を与えることがしばしばあることに気付かされます。
さて、日本ではテレビアニメが「玩具を売るための三十分CM」になっていったという話をしましたが、米国でもテレビアニメが玩具やゲームの宣伝の役目を果たすようになってきます。
米国ハズブロ社が60年代から販売している「G. I. ジョー」は、男児向けの兵士の人形です。1985年に始まったアニメ『G. I. ジョー(G. I. Joe)』(先行するミニシリーズ『G. I. Joe: A Real American Hero』は83年から)は、この「G. I. ジョー」をもとにしたアニメです。「G. I. ジョー」は日本でもタカラが輸入していました。[3]
逆にハズブロ社は、タカラの「ミクロマン」と「ダイアクロン」という玩具シリーズの中から一部を選び出して「トランスフォーマー(Transformers)」というシリーズ名をつけて、1984年から販売しました。そして、様々な機械からロボットに変形するこの日本の玩具に、宇宙からやってきた機械生命体という設定を与えます。
同じく84年にはマーベル・プロダクションの製作で、アニメ『トランスフォーマー(Transformers)』が放映開始し、さらにはコミックブックもマーベルから刊行するというメディアミックス展開が行われました。[3]
『トランスフォーマー』は大成功を収め、玩具の方もヒット商品となりました。86年には劇場版アニメ『トランスフォーマー:ザ ムービー(The Transformers: The Movie』も公開されています。
米国での成功を受けて85年に、タカラは日本でも「トランスフォーマー」シリーズとして玩具の販売を開始し、アニメの方も『戦え!超ロボット生命体トランスフォーマー』という邦題で放映されました。[3]
『トランスフォーマー』の人気は長く衰えることなく続き、複数のテレビアニメのシリーズが製作されたほか、2007年からは実写映画のシリーズも始まり現在に至ります。
『トランスフォーマー』と同じ84年に放映されたアニメ『ボルトロン(Voltron)』は、日本製の巨大ロボットアニメです。
東映(本社)製作の『未来ロボ ダルタニアス』(日本放映79年)、『百獣王ゴライオン』(日本放映81年)、『機甲艦隊ダイラガー
複数の日本製アニメを一本のシリーズに改変してしまうやり方は80年代に米国でよく行われましたが、世界観の異なるロボット玩具をひとつのシリーズにしたマテル社の「ショーグン・ウォリアーズ」や、アニメ『フォース・ファイブ』が前例として参照されたのではないかと思います。
『ボルトロン』は好評で、米国向けの追加エピソードの制作が東映動画に依頼されるほどでした。米国版『
数ある日本のロボットアニメの中で米国でヒットしたのが『ボルトロン』だった理由は、単にそのころ全国規模で放映された巨大ロボットアニメは『ボルトロン』だけだったからだといいます。[5]
日本では毎年、テレビアニメの新シリーズが製作されるのが当たり前ですが、米国では一本の作品が何年も再放送され続けます。日本ではいくつもあるロボットアニメの中のひとつでも、多くの米国の子供たちにとっては最初に触れる巨大ロボットアニメだった『ボルトロン』は強い印象を与えたのでしょう。
日本ではジャンルの元祖として評価の高い『マジンガーZ』も、85年に『トランザーZ(Tranzor Z)』のタイトルで放映されますが、タイミングを逃したのか結果は芳しくありませんでした。また日本では絶対的とも言える人気を誇る「ガンダム」シリーズも、米国で人気が出るのは2000年に放映された『新機動戦記ガンダムW』(英題:Gundam Wing)からです。
なお、二本のアニメをつないで作った『ボルトロン』ですが、人気が高いのは5機のライオン型メカが合体して巨大ロボットになる『ゴライオン』の方で、15機のメカが合体する『ダイラガー』の方はさっぱり人気がないとのこと。[4][5]
『ボルトロン』は玩具もよく売れました。ワールド・イベンツ・プロダクションは、『ボルトロン』のライセンス料を全世界でなんと7億5000万ドルも稼ぎ、そのうちの2億ドルが玩具によるものだといいます。[5]
バンダイが米国に「ゴライオン」等の玩具を輸出していましたが、比較的高価なバンダイの製品はあまり売れず、米国のマッチボックス社の製品がよく売れたようです。[3]
『ボルトロン』にも思い入れの強いファンが多いらしく、近年になってNetflixオリジナルアニメとして、『ヴォルトロン(Voltron: Legendary Defender)』が製作され、北米では2016年にネット配信されています。
また興味深いのは、1993年にヒップホップ・グループのウータン・クランが歌詞に『ボルトロン』を引用したことからヒップホップ文化とのつながりが生じたことです。1998年には、人気ラッパーたち(ファット・ジョー、コモン、グッディ・モブ、マック・テン、アフリカ・バンバータとジャジー・ジェイ)がゴライオンに搭乗して合体し、悪のロボットを倒すというスプライトのCM(実写+アニメ)が製作されています。[5]
もちろん『ボルトロン』が特にアフリカ系の子供たちに人気があったというわけではなく、人種に関係なく子供たちはアニメを楽しんでいたと思います。その子供たちが成長してから『ボルトロン』への思いを表に出すとき、日本アニメマニアになるような人もいれば、ヒップホップ文化の中に『ボルトロン』を引用する人もいたということですね。
さて、『ボルトロン』の後、また多くの熱烈なファンを生んだロボットアニメが米国に現れます。それは『超時空要塞マクロス』を始めとした三つのアニメを合わせて作られた『ロボテック』です。
[1]北野圭介『日本映画はアメリカでどう観られてきたか』平凡社新書、2005年
[2]PAC-MAN WEB OFFICIAL SITE (https://www.pacman.com/ja/museum/)
[3]草薙聡志『アメリカで日本のアニメは、どう見られてきたか?』徳間書店、2003年
[4]フレッド・ラッド/ハーヴィー・デネロフ著、久美薫訳『アニメが「ANIME」になるまで 鉄腕アトム、アメリカを行く』NTT出版、2010年(原著2009年)
[5]パトリック・マシアス著、町山智浩編・訳『オタク・イン・USA 愛と誤解のAnime輸入史』太田出版、2006年
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