第10章・聖黒の魔王
263・終幕への序奏
アシュルと一夜を過ごしたあの日から、私はずっと国でこなさなければならない仕事をしていた。
あの時の夜は私らしくなかったかも知れない。
でも、すごく素敵な夜だったと思っている。
ちょっと……いや、かなり恥ずかしかったけどね。
「ティ、ティファリスさま! 大変ですミャ! 一大事ですミャ!」
不意にあの時のことを思い出してしまった私は、ケットシーが大騒ぎしているのを聞いて、一瞬ドキッとはしたがすぐに平静を取り繕って彼女がやってくるのを待つ。
「ティ、ティファリスさま!」
「落ち着きなさい。ちゃんと聞こえているから」
「悠長にしている場合じゃないですミャ!」
ミャーミャー言いながらわたわたと私のところに駆けてくるのは良いんだけど、何が大変なのかを具体的に言って欲しい。
……とは言え、彼女がそうやって大慌てしているのだから一大事であることは伝わってきた。
「お、落ち着いて聞いてくださいミャ……」
「いや、私はちゃんと平静だから」
一番落ち着かないといけないのは貴女でしょうに……。
なんて思っていると、深呼吸してようやく一息ついたのだろう。
ケットシーは真剣な表情で私にそれを報告してきた。
「南の地域にさしかかる場所で止まっていたヒューリ王の軍が動き出しましたミャ」
「そう……やっぱり、こっちに攻めてきてる?」
「それが……」
少し言い淀んでいたようだけど、このまま留まっていても先には進まないと決心した彼女はもう一度深呼吸した。
「それが、ワイバーンで偵察していた者の話だと、全部の地域に侵攻していったと聞きましたミャ……」
「……今、なんて言った?」
一瞬、私の思考が完全に停止した。
今、ケットシーはなんて言った?
全部の地域……だって? それはつまり……上位魔王の残っている北・南西・南東の地域全部に侵攻をしかけてきたと……そういうこと……!?
「ティファリスさま、も、もう一度言いますミャ。
ヒューリ王の軍勢は……北と南西・南東の全地域に向けて侵攻を開始しましたミャ」
「……冗談でしょう? それだけの戦力が一体どこに隠れてたっていうの?」
信じられない。
ヒューリ王には同盟国もいない。だから国力に比例した戦力を保持しているはずだ。
私が最後に確認した戦力では、少なくとも一国とまともにぶつかりあえるぐらいの戦力しか持っていなかったはずだ。
総力戦になると思ったからこそ、私はここまで綿密に準備して、ヒューリ王の軍を迎え撃てるように整えてきたのだ。
完全に読みを外した……なぜいきなりこうなった? 理解が追いつかない。
「それが……フレイアールさまがより詳しく調べた結果、西の地域から大軍が現れたそうですミャ。
恐らく中堅の国一つが抱え込めるほどの戦力だというのがあの御方の話です」
「馬鹿な……」
そう、それはおかしい。
いくら西の地域が秘匿にされていた場所だとしても、今現在南地域の近くに留まっている戦力。
西から北の地域に向かっている戦力を合わせたら、少なくとも一国で賄えないくらいの食料が必要になってくる。
仮にそれが出来たとしても、広大で肥沃の大地と、それを耕して食料に当てるほどの国力が必要になってくるはずだ。
……西は荒廃している場所も多く、草木も生えず砂漠化している場所もちらほらとあるそうだ。
これは聖黒族が自身の誇りのために自害した時代、そしてその後、様々な事が起きた結果だとレイクラド王は言っていた。
少なくともそれだけの戦力を賄える程の食料を確保できるはずがないのだ。
いや、例え確保出来たとしても、防衛用の戦力だって必要になってくる。
広大な領土を持っているのならその分、守りに戦力を割く必要があるのだ。
「それで……今現在こちらに向かっている――正確には南西・南東の地域に向かっているヒューリ王の戦力ですが……イルデル王が準備していた軍勢よりもずっと多いようですミャ。
こちらに大半と、セツキ王の元に十で言うところの二ぐらいの軍勢が向かっているそうですミャ」
「……ちょっとまって。あまりの事態に思考がついていけない」
思わず素で答えてしまったが、今……それだけの事態に陥ってると言えるだろう。
彼女が言ってることはつまりこういう事だ。
今までいた軍勢が一気に膨れ上がり、イルデル王が用意していた……悪魔族にあの後聞いた話だと20万の軍勢が用意されていたと聞いてるけど……それだけの大軍をたった一国で?
いや、私はその答えを知っている。
自身をミィルと呼んでいたあの聖黒族の使者……彼女は死んだ後で生き返らされた死人だった。
もし……もしそれで軍が構築出来たら?
ありえない話ではあるけれど、今考えられる可能性はそれしかない。
この全てがありえない状況……例えどんなに低いものでも、疑って考えたほうがいい。
いや、むしろそうだと断定して動かなくては、これ以上の不利を背負わされるかも知れない。
「……ケットシー、こちらの状況はどうなっている?」
「は、はいですミャ。ティファリスさまが仰られていた通り、クルルシェンドに戦力を集中させておりますミャ」
「……そう」
しかしここで困ったことが起きた。
少なくとも私の予想では北の地域に戦えるだけの力はあまり残っていないだろう。
となればそれを支援するための戦力が必要になる。
……いや、最悪見捨てればいいという考えた頭の中に思い浮かんでしまう。
だけど、私が目指しているのはそういう何かを切り捨てるものじゃない。
それは……全部持ったまま行く……なんてこと出来はしない。
それはわかってる。
それでも私は……誰かを切り捨てながら先を目指すような考え方は出来ないんだ。
みんなと繋がり、一つ一つの国が互いに協力していって、種族としてもわかり合い、聖黒族・銀狐族……他にも様々な希少種族が……力を合わせて大きな国として作っていく。それこそが私の理想と言える。
だから――
「カヅキとベリルちゃん……それとウルフェンと一部の戦力を北に……向かわせてちょうだい」
「……よろしんですかミャ?」
「仕方ないでしょう。見捨てるわけには行かないんだから。
ワイバーンも重点的にそれに当てて、残りは全てクルルシェンドに。
彼らを迎え撃つわ」
「かしこまりましたミャ」
ここでフワロークとマヒュムを見捨てるなんて選択肢、私にはありえない。
ヒューリ王め……やってくれたな。
こんな風な事態になったら、私は必ず北地域を助けに向かうだろう。
たとえそれでこちらの戦力を削られることになったとしても……。
しかし、こうなってしまったらセツキの方に救援を送るわけにはいかなくなった。
南に向かってる軍勢のほとんどがこちらに来ている以上、中途半端にセツキのところに兵士たちを向かわせたとしても大した役には立たないだろう。
むしろ邪魔になるかも知れない可能性のほうが高い。
そして、ヒューリ王はまず間違いなくこちらに主力を送り込んでいるはずだ。
これ以上は戦力を分散させるのもまずいだろう。
「本当にやってくれたわね……」
思わず頭に手を当ててため息をつきそうにもなる。
戦いは既に始まってる……ということか。
最早完全に後手に回っていると言わざるを得ないだろう。
もしミィルを生き返らせたことと同じことをしてこの戦力をかき集めているのだとすると、長い年月をかけて集めてきたのだろう。
それを一斉に放出したと考えないと、これだけの大軍を揃えて侵攻してくるなんてこと……考えられない。
「ティファリスさま、大丈夫ですかミャ?」
「……ええ。完全に出遅れたけれど、まだ詰んだ状況じゃない。
いくらでも逆転は可能よ。ここから……取り戻してみせる」
状況は不利。だけどね、この程度の苦境で諦めてたら、私は今頃ここに立ってなんかいない。
――さあ、始めようじゃないか。
私と……いいえ、私たちと貴方の……最後の戦争を……!
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