179・天と在りし虚無の剣

「う、うわあぁぁぁぁぁ!!!」


 情けない悲鳴が辺りにこだまし、武器を捨てて逃亡する兵士達。

 だけどそれを無情にも紫の蝶は彼らに触れ、容赦のない死を与えられる。


「今この場に現れたことを後悔しなさい」

「あ、あ、あ……ああああああああ!!」


 向かってくる兵士の方は更に非情。

 紫の蝶は痛みを運んでは来ない。彼らは優しく幽世かくりよへと導いてくれる。

 しかし……私の方に来るならば、問答無用で斬り伏せられ、血の代わりに光の粒を放出させながら痛みと苦しみに塗れ死んでいく。存在さえ『ヴァイシュニル』に吸い取られるように消えていくのだから。


『幽世の門』で死んだ兵士たちは幸せだろう。なんの苦悩もなく、苦痛もなく甘美な死を与えてもらえるのだから。

 それに気付いた兵士の方は武器を捨て、ただ呆然と立ち尽くすばかりの者も現れてしまう。


 そして……とうとう『幽世の門』を防げるほどの力を持つ者で私に向かってくる者はもはやいなくなってしまった。

 彼らは蝶を寄せ付けずにはいるものの、私との圧倒的な差に気づき、武器を投げ出してしまい、こちらに挑む気力すら砕けていったようだ。


 何万も兵士がいても、魔王一人にこれか。確かに戦力として軍は必要かもしれない。

 だけどそれ以上に魔王本人を止められなければ十万二十万と兵士がいても何の意味も成さない。

 いや……魔王を疲労させるといった意味では使えるかな。私は自前で魔力を回復できるから本当に無意味なんだけど。


 事ここに及んでしまえば……上位魔王本人であるイルデルが出張って来るしかないだろう。

 じゃないと……私は兵士の命を奪い続けるだけだ。


「クフ、クフフフフ……やってくれますネェ。ここまで猛威を振るわれては、私も来るしかないというもノ」

「とうとう来たわね……イルデル」

「おや、随分と失礼な口を聞きますネ。ちょっと無礼なのでハ?」

「あら、宣戦布告もなしに急襲してきた貴方がそれを言うのかしら?

 私はわざわざ言いに来てあげただけ、礼節をわきまえてるわ」


 お互いに冷めた笑みを浮かべ、注意深く観察する。

 すでに互いに武器を抜き放った状態。正に一触即発と言えるだろう。


「では、その物騒な魔法を解除してくれませんカ? これ以上は無意味でしょウ」

「無意味かどうか決めるのは私よ。貴方じゃないわ」

「……そう、ですカ。南西地域の魔王はそこまで冷徹ではないと思っていたのですガ……」

「それをさせたのは他ならぬ貴方よ」


 それ以上、私とイルデルは会話をすることはなかった。

 何を言ったとしても、この魔導を解除する気はなかった。ならば話は平行線のままだったろうから。


 ――ギィィィンッ!


 代わりに交えたのは刃。イルデルが私に先制を仕掛けてきたのを、合わせるように剣を動かし、それを防いでやる。


「あらあら、随分と乱暴なことで。礼儀知らずもいいところね」

「クッフフフ、そうでなくては……手折る価値もないというもノ!!」


 そのまま刃を滑らせてくるりと回転したイルデルは更にもう一度、逆方向から刃を襲いかからせてきた。

 私は彼の斬撃に合わせて上体を傾けるように倒し、そのまま蹴りの姿勢を取る。


「クフフフ」


 腹部に向けて放たれる私の鋭い蹴りを、イルデルはひとっ飛びで避け、改めて私と向き合う。

 ……なるほど。隙がまるでない。


 いや、それは語弊がある。

 隙はある。だけど突こうとすればイルデルはそれをするりと躱して反撃に移るか、こうして一旦距離を取るかの二択。


「『フレスシューティ』!」

「クフ、『シャドーミスト』」


 私が生み出した複数の炎の球体が、イルデル目掛けて打ち放たれたのだけれど、対応するかのように黒い霧を自身の足場から噴出させ、私の視界を覆い隠してしまう。

 目隠しか……小癪こしゃくな真似を!


「『――――』」


 イルデルはぼそぼそと何かを言ったかと思うと、複数のイルデルが左右、上から襲いかかってくる。

 これは……『アバタール』か! つまり、本物は一人。

 なら、こっちに来ているイルデルの内、一人が本物なんだ、と思うのが当然だ。


 だけど――


「『フィロビエント』!」


 私はまっすぐ風の刃を飛ばす魔導を放つと、それを防ぐ為の斬撃が放たれるのが確認できた。

 ……やっぱり。出現しているイルデルは全て『アバタール』で作り出した分身。

 本体は……『シャドーミスト』の中にいたま、ま……!


 ずぶりっ……と私の肩になにか鋭いものが差し込まれるような感触がする。

 そのままじんじんと激痛が走るのを堪えながら原因を見てみると、私の影から鋭い刃が生えていて、その刃が肩を抉るように突き刺さっていたのだ。


「くっ……これは……っ」

「ク、フフフフ、クフフフ!! どうしたのですカ? これくらい、驚くほどのことではないでしょウ?」


 睨むようにイルデルの方に向き直ると、『シャドーミスト』の黒い霧が晴れていく。

 そこで私が見たものは、イルデルの鎌が地面に飲み込まれている光景だった。


 なるほど……つまりこの刃は彼の武器。鎌の刃部分が私の影から飛び出してきたというわけか。

 嫌な武器を使う。しかも鎧を貫いていることから察するに、かなりの強度を誇る金属が使われているのだろう。

 なら、こっちもぶっつけ本番だけど……力を見せてやろうじゃないか!


「まだまだ、これからよ」

「クフフ、少しずつ、少しずつ痛みを与えてあげますヨ」


 嫌な笑い方をする。私は心を落ち着け、ローエンから得た記憶により会得したあの魔導を、使用する。

 それはイメージを超えたなにか。圧倒的力の顕現。


「我が意に答えよ……! 『神創崩剣「ヴァニタス」』!」


 私の左胸から出現した剣柄を握りしめて、ゆっくりと引き抜くと、出現したのは透き通るほどに綺麗な剣身を宿した一振りの剣。

 白く煌めく剣の柄には蔦が絡まるような薄い金色の装飾がなんとも美しい。

 そして……ここからさらに力を解き放つ。


「虚無を宿し、天の国へ――『カエルム』」


 ――瞬間。透き通る剣身は完全な透明になり、剣柄の白は光沢を帯びた黒へと。装飾は右に鳥の翼、左にこうもりの翼をモチーフにした白銀へと変貌する。

 これがこの剣の本来の姿。『カエルム・ヴァニタス』。


 それを見たイルデルは、それはそれは大層愉快そうに笑っていた。


「クフフ、クフフフフフ!! なんですかその剣は? 刃もない剣を呼び出して……クフフフ、私を笑い殺す気ですか?」


 また随分と楽しそうに笑うけど、この男は何も気付いていない。

 すでに彼は詰んでるということに。


 無造作に剣を一振り。それだけでこの『カエルム・ヴァニタス』の力をイルデルは思い知った。


「なっ……がはっ……」


 そう、彼の脇腹に鋭い突きが突き刺さる。

 そこにはまるで空間を突き破ったかのように刃が突き出ていて、それを抜くと、イルデルの脇腹は空虚な穴が血を流すことなく出現する。


 これがこの剣本来の能力。刃が見えない程の透明なのは、もはや必要ないからだ。

 私が認識出来るのであれば、どこにいたとしても捉える事ができる。

 どこをどう攻撃するか、突くのか横薙ぎにするのか……全ては私の思い通り。


 無造作に振ったのは剣を振る動作が必要だっただけ。

 その動作だけで刃は空間を突き破り、私の望んだ攻撃をする。


 魔力を妨害し、摂理を歪め、その全てを無に。天から愚か者を見下ろすように。


「こ、こんなことが……」

「さあ、本当の戦いは――これからよ」


 ニヤリ、と私は笑みを浮かべ……剣を振るうのであった――。

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