68・魔王様、地獄を見る

 その日私は久しぶりに思い出した。

 かつてこの世界には……いや、この国には想像もし難い絶望が、地獄があったのだと。


 あまりの恐怖に誰もが身震いし、心の奥底で助けを願う。そしてそんな都合の良い奇跡など存在しないのだと、絶望する。

 そしてあくる日もあくる日も戦い続けることを選択させられた戦士たちはただ一時の安らぎさえ許されることはない。

 そこはいつまでも……当たり前のように姿を現す、終わりなき戦争。始まりこそが真の終焉であると、ここはまさに地の底の獄であることを改めて認識させられ、人は再び絶望する。


 希望は見いだせず、光明射すことなきただ闇へと邁進する者のように歩みを止めることは許されぬ……その果てなき苦行の先に、一体何を見るのだろうか?


 そう、白き闇に漂うが如く、ひたすらその身を捧げ続ける行い。人はそれを『書類整理』と呼んだ――。






 ――






 あれからどれくらいの時間たっただろうか?

 少なくとも一回目の夜が過ぎ、二回目の夜は未だ来ず。そして私の目の前にはこれでもかと言わんばかり溢れかえる書類・文書・報告。

 すっかり遅れてしまったフェアシュリーとの同盟締結の場を設けようという文書にそれの催促文。グルムガンドは未だにまとまりを見せず、今しばらく揉め事が絶えないであろうから、同盟の件については今しばらく待って欲しいという物。

 アールガルム・ケルトシルからは会談に行った成果について報告が欲しい、情報を共有してくれとの熱烈なコール。


 そして我が国からは魔人・ゴブリンの両族とオーク族の軋轢の問題について。一つずつ丁寧に処理をしていかないと取り返しがつかなくなるんじゃないかという案件がぎっしり。

 私の部屋は次第にこの紙の海に埋め尽くされ、自分に回復系の魔導を施しながら夜通し作業をすることに。


 フェーシャ曰く「すぐに出ていかなきゃ行けないなら、せめてこれだけでもお願いしますにゃ」とのこと。

 これだけって……私の執務室が小さな紙の渓谷と化しているじゃないか! 幸い目を通せば良いもの、あまり深く考えずとも承認すれば良いもの、熟考して判断せねばならないものに予めわけられていたからまだいい。


 しかし……それにしても多すぎる。住民の希望なんかも混じってるけど、そういうものはフェンルウ達で決めて欲しいものだ。

 事後報告の書類も多く、きちんと目を通して欲しいと念を押されてしまう始末。


「はぁ……外が恋しい……」


 たった一日とは言え、すでにどれだけの量を処理してきたかわからない。

 それでもまだまだ書類はある。渓谷からその身を小山へと変貌さつつも、未だ衰えぬその量で精神を削りにかかる。


 走るペンは、まさに地獄へとひたすらに進んでいく行進曲マルシュ

 私の心を熱くも冷たく、高くも低く融かしていく輪舞曲ロンド


 こういう時は気晴らしにアシュルが居てくれたりもしたものなんだけど、肝心のあの子は私に構いすぎるからと出禁を食らってるというなんとも痛ましい事実。

 仕方ないから今は目を通して印をつくだけの簡単なお仕事をしながら今後のリーティアスや周辺国の問題について向き合ってみることにした。


 ……まず、私が取り掛からなければならない問題は魔人・ゴブリン族とオーク族の問題だろう。

 もちろんこれは長い目を見てじっくりと腰を据えて取り組まなければならない事案だ。


 エルガルムがやってきたことは、実際被害にあった者からしてみれば到底許されるような出来事ではないだろう。

 実際あの国のせいで私は両親を失っているんだし、報いがあっても当然だとすら思っている。


 でもそれはエルガルムの庇護下に入っていた奴らに限るわけだ。ディトリアの近くに作った村や、現在フィシュロンドの復興作業をしてくれているオーク族の者はむしろその逆。

 まともだからこそ、非力だからこそ、それが罪だと言わんばかりに虐げられていた無辜むこの民たちなんだ。


 だから私は彼らを憎む事が出来ない。彼らのせいで……なんて思うことが出来ない。

 フィシュロンドに住んでいた彼らは、それほどまでに酷かった。だからだろう、同じ境遇にいた魔人族の者達は彼らを忌避しない。むしろ率先して交流を持とうとすらしている。


 許せないのはディトリアに逃げてきたか、エルガルム兵であるオーク族の者に酷い仕打ちを受けた者たち……というわけだ。


 そうなると必然と出来てくる。オーク族と交流を持つ一派と彼らを否定し、虐げる一派。

 オーク族の関係で上がってくるものの大半がそれなのだ。私が彼らを受け入れるのに相当不満を持っているのだろう。


 ……正直、リカルデや他の者にも反対はされた。今はまだ決してわかりあえないと。だからこそオーク族だけの村や街を作る計画に着手してるわけなんだけど。


 相当根が深い問題だけに、どう解決させていけばいいかわからない。

 打開策としては私自身が積極的にオーク族と触れ合い、アピールしていくぐらい……だと思う。

 結局の所、少しずつ前進していくしか手が無いというわけだ。セツオウカから帰ってきたら兵士たちとだけでも一度きちんと話し合っておかなければならない。

 現在はディトリアに残ってるオークは兵士として徴用しているか、私の館の門番くらいしか居ないからね。まずはそこからといったところか。

 オーク族の暮らしを支援しつつも、決して優遇したりはしない……なんて難しいことなんだろう。


 でもそれを決めたのは他ならぬ私なわけだし、やっぱり頑張るのも私しかいないわけだ。

 なんて堂々巡り。思考の渦に延々と飲まれていくような感覚さえ覚える。


「……全く、辛気臭くってしょうがない。とりあえず頑張ってみる。そう決めたんだから」


 そして問題はオーク族のことばかりではない。グルムガンドについてもまた無視できなくなっている。


 彼らは元々魔人・エルフ族の両種族に迫害を受けた獣人族の末裔。そのせいでグルムガンドにも同じように親魔人派と反魔人派に別れている。


 ……つまり、魔王であるビアティグがこちら側に歩み寄ろうと同盟を結ぼうとしても、反魔人派のせいでなにも決められないというのが現状だ。


 これは国を治めているのだからといって魔王が強権を発動させていい事案では決して無い。その辺りはビアティグもわかっているのだろう。あまり神経を逆なでしない程度に……しかしグルムガンドに広がっている考えの大多数を教えてくれている。


 これが友好的ではないにしても、敵意さえ抱いていなければ問題が起こることは早々ないのだけれど……下手に焦って同盟結んで、揉め事の火種になるのだけはごめんだ。


 ビアティグも頑張ってはいるみたいだけどこればっかりはなんとも言えない。オーク族と魔人族の間柄よりも遥かにこじれてるからか、あまり不味いことになった場合……グルムガンドとは一度戦争しなければならないだろう。


 なんにせよビアティグの頑張り次第だ。私が出来ることと言えば万が一グルムガンドがこちらに攻めてくるか、不利益になるアクションを仕掛けてきた時に迅速に対応出来るように準備することくらいだろう。


 ちょっとは楽観的に物事を考えさせて欲しいものなんだけど、環境が……というか歴史がそうは許さないというか。

 親魔人族派の勢いのほうが弱いからね……。


「……あっ」


 そんなことを色々と考えていた時に、すでに書類には一通り目を通してしまっていた。


「うーん……流石にちょっと疲れたわねぇ……」


 背筋を伸ばすように腕を上げた後、小休憩を入れることにした。

 とは言っても軽く外に出るだけなんだけど。


 庭の方に行ってみるといつの間にか二回目の夜が来ていた。

 見上げた星空はすごくきれいで、瞬くほどの輝きを放っているのが見える。


「はぁー……風が気持ちいい……」

「そうですねー……」


 いつの間にか近くにいたアシュルが私の声に同調するように空を見上げていた。

 どうやら最初から庭にいたみたいだ。それだったら来てすぐに声をかけてくれればよかったのに。

 しばらくそうしていると、アシュルが何かをいいたそうにこっちを向いてきた


「ティファさま……」

「なに?」

「私、すごく会いたかったです」


 そういう彼女は私のことをまっすぐ見つめていて、あまりにも真摯な眼差しがすごく印象的だ。

 どこまでも澄んだ青色の瞳。この子の名前である『青』を体現したかのような格好がとても美しく見える。


「ティファさま、ずっと帰ってこなかったですから……」

「ごめんなさい。私の方も早く帰るつもりだったんだけど、ね」

「謝らないでください! ちゃんと帰ってきてくださったんですし、申し訳なくなってしまいます」


 だけども彼女はどこかその目をうるうるさせてなにかを伝えたそうにこっちを見ている。


「だったらそんな顔しないでほしいんだけど。言いたいことがあるなら聞いてあげるから」

「ティファさま……オウキが来たっていうことは、今度はそのままセツオウカに向かうんですよね?」

「そうね。明日には向かうことになるでしょうね」


 書類整理は絶対に終わらないだろうけど。

 この休憩が終わった後も作業は続けるんだけど、どう考えても終わる気配が見えない。

 少なくとも重要な案件は片付けておかなければならないだろう。


「わた、私も……連れて行ってください! 足手まといには決してなりません!」


 覚悟を決めたかのように私を見るその瞳はやっぱりどこまでもまっすぐで、絶対に退かないっていう意思が伝わってくるようだ。


「リカルデさんと同じくらい……とは言えないですけど、必ずお役に立ってみせますから! その、置いて行かないでください」

「……くっ、くすくす」

「え? な、なんで笑ってんですか?」


 あんまりにも必死に私の方を見てるもんだからなんだかおかしくなってきた。

 そんなに見なくてもいいのにってね。


「ごめんなさい、あんまりにも必死だったから。

 そんなに一緒にいたいなら付いてきなさい」

「ティファさまぁ……」

「全く、なんで泣きそうになってるのよ」

「だってぇ……断られるかもって不安で……」


 前回はリカルデの方が都合が良かったし、またまたアシュルが私と側に居たがりすぎるから…って理由で同行させなかったんだけど、どうやら効果はなかったようだ。

 ま、こういうのも悪くないか。別に離れられないわけじゃないみたいだし、仮にも私の契約スライム。距離を置かれるよりはマシか。

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