ブルックリンの女

ジム・ツカゴシ

第1話

 ロレイン・ジョンソンは田崎正人のアシスタントを務めている。その日は金曜日で、週明けの月曜日と火曜日に予定されていた四半期ごとの営業会議の資料作りが予想以上に手間取り、資料を完成したのは深夜の零時近くになっていた。

 ロレインはマンハッタンからはイースト・リバーを隔てたブルックリンに住んでいる。バスと地下鉄を乗り継いでグランド・セントラル・ステーションに隣接する高層ビル内にあるオフィスに通っていた。

 夜遅くに女性が独りでニューヨーク市内の地下鉄やバスを利用するのは危険なために、八時を越す残業の際には田崎は女性社員にはタクシー代を支給していた。しかし零時近くではタクシーの独り乗りも危うい。

 そこで田崎がタクシーに相乗りしてブルックリンでロレインを降ろし、その後にマンハッタン北部にある田崎のアパートにもどることにした。

 東欧系と思われるタクシーの運転手は、ロレインが告げたブルックリンの住所を聞くと躊躇する素ぶりを見せた。深夜に乗り入れるのを避けたい地域と察したようだ。それを目にした田崎がその後にマンハッタンにもどることを告げると、マンハッタンへの帰りが空車でないからか運転手は渋々車を発進した。


 イースト・リバーの橋を渡りブルックリンの街中に入って十分ほど進むと、似たようなスタイルの住宅が並ぶ一角に出た。同じ業者の手によってその辺り一帯が開発されたのであろう。どの家も道路から一段高い位置にあり、玄関までは石段を登る。

 マンハッタンのベッドタウンであるブルックリンにはオランダなどの欧州西部からのキリスト教徒や、迫害を逃れたユダヤ人、東欧やロシアからの移民が住み着いた。これらの移住者用の新興住宅地がブルックリンには多かった。

 移住者の流入でブルックリンは賑わった。今は西海岸の球団であるドジャースは、昔はブルックリンが本拠地で、ブルックリン・ドジャースと呼ばれた。海に面したコニー・アイランドは映画にも登場した人気の遊園地であった。

 九月半ばでいまだに日中の暑気が残る金曜日の夜だからか、零時を過ぎた深夜にもかかわらず、その石段はどこもが夕涼みをする老若男女で占められている。だれもが黒人だ。運転手が躊躇したのはそのためであった。

 最初に住んだ白人の住民たちが郊外に移ってしまい、その後にカリブ海などから移住してきた黒人が住み着いたのだ。ロレインが住む同じような一軒家はその黒人街の真っ只中にあった。

 運転手が求めたメーターが示す料金に少々上乗せした現金を手渡した田崎は、待つように告げて、石段を登って玄関口までロレインに付き添った。家の両側だけでなく通りを隔てた向かい側の石段からも、衆人の目がタクシーと田崎に注がれている。

 その間、ものの二、三十秒だったが、田崎が石段をもどろうと踝を返したのと同時に、タクシーが突然急発進し、直ぐ先の交差点を曲がって姿を消してしまった。今にも黒人たちが車を囲むのではと不安になったからであろう。現金を持つタクシーは狙われることが多い。

 玄関口にいたロレインが田崎の手を引いて玄関の内側に招き入れると背後のドアーを閉めた。

 「しょうがないわね。黒人と見るとビクビクして、まるで野蛮人扱いするんだから。悪い人ばかりではないのよ」

 すでに零時を過ぎていた。これからタクシーを呼ぶわけにもいかない。その夜の田崎はロレイン宅に泊まることになってしまった。


 商社に入社して十年ほど経った田崎はロスアンゼルス支店に駐在員として派遣された。その頃にはシリコンバレーで起業された無数のベンチャー企業を大手が吸収合併するM&Aが盛んになっていた。田崎は有望な買収先や投資先を物色するのが任務で、頻繁にシリコンバレーに出張した。

 駐在期間中に十に近い物件をまとめた田崎の名は米国進出を狙う日本企業の間でも知られる存在になった。およそ六年間の駐在を終えた田崎は丸の内の本社に課長補佐として帰任した。 

 田崎は翌年にでも課長に昇格することが内定していた。田崎の年齢で本社の課長は同年入社ではトップであり、その後の昇進を約束されたのも同じことだ。

 しかし田崎は、米国で目にした中小やベンチャー企業の躍動感に溢れる企業活動を忘れることができなかった。厳重なルールで縛られ、上下の関係が仕事を支配する本社の職場とはあまりにも懸け離れた別世界を見てしまった田崎は、その別世界にもどる機会を模索し始めていた。

 数年前に米国の競合メーカーを買収して業績を拡大していた日本のある電動工具メーカーが、電動工具以外の分野への進出を実現するために米国でのM&Aに通じた人材を求めていた。人材斡旋会社が田崎に注目したのはごく自然ななりゆきであった。


 人材斡旋会社からアプローチを受けた田崎は、テキサスで日米合弁企業の社長に出向していた同期の辻健一に相談しようと国際電話をした。

 「辻か? 同期の田崎だ」

 「久しぶりだな。日本からか?」

 「ああそうだ。ちょっと相談したいことがあってね」

 「この時間では自宅から電話しているのか?」

 「そうだ。いま、時間が取れるかな?」

 「ちょうど社内会議が終わったところだ。相談事とはなんだ?」

 「実は、人材斡旋会社から誘いを受けている。日本が本社の電動工具メーカーが米国でM&Aを担当する人材を探しているそうだ。それで俺に声がかかったんだ」

 「その電動工具メーカーとはインディアナポリスに米国法人の本社を持つA社か?」

 「その通りだ。よく分かったな」

 「わが社の製品を納めている取引先だ。日本では競合他社の納入先だが、米国内では少量だがわが社の製品を買ってくれている」

 「そうか。駐在時代の俺はシリコンバレーのハイテク企業が対象で、中西部の事情には通じていなかった。この会社の評判はどうだ?」

 「詳しい内情は知らないが、電動工具では今や米国市場では市場占有率がトップだ。あの会社は若い二代目社長がM&Aを積極的に進める戦略だと耳にしたことがある」

 「辻、電話をしたのは、商社から出向して外界に身を置く君の意見を聞きたいからだ。本社にもどって改めて感じることだが、大きな組織で将来を心配することはないものの、駐在員時代にどっぷり浸かった緊迫感が懐かしくてね。今のような緊張感に欠けるぬるま湯に浸かっているのでは、とても世界に通用するビジネスマンとはいえない。そう思えてならないんだ」

 「君は来年には課長だそうじゃないか。将来が約束されたようなものだぜ」

 「君と独身寮の風呂に浸かりながら将来を語リ合った入社間もない時代には、俺の夢は出世がすべてだった」

 「それはだれもが同じだった。同期からなんにんもの社長が生まれるような話だったな」

 「しかし、出世だけが生き甲斐なのか? 他になにかもっと大切なものがあるのでは? そう思えてならない」

 「その気持ちは分かる。俺も考えることだ」

 辻が社長を務める合弁会社の米国側の親会社は、ニューヨーク株式市場に上場された社歴が百年を超える大企業であった。親会社の役員会や業績報告会に頻繁に呼ばれて米国企業の内部を知った辻は、米国企業の経営トップによるスピード感溢れる決断の早さに感銘を受けていた。

 これからのグローバル経済の下では、コンセンサスを大切にして根回しに時間を費やす日本式経営では米国企業に太刀打ちできないのではないかという危機感を抱くようになっていた。辻は将来を保証された商社からの出向の身であったが、身体を張ってリスクに果敢に挑む米人ビジネスマンと比較しては、終身雇用を捨てる転職や小さいながらも城の主になる起業も選択支ではないかと考え始めていた。そのような辻が田崎の転職に反対するはずがない。

 辻によって背中を押された田崎は、こうして丸の内に帰任した翌々年に電動工具メーカーに転職した。働き盛りの総合商社マンが転職することはまだ珍しく、丸の内界隈では話題になったものだ。


 その電動工具のメーカーでは上場をはたした創業者のオーナーが健康を害して三年前に引退し、その息子が社長に就任していた。創業社長は独力で業界最大の電動工具メーカーを築いた辣腕な事業家として知られていたが、米国の経営大学院を修了した二代目も先代に輪をかけた積極的な経営者として評判が立ち始めていた。

 電動工具だけの単一商品では将来は限られているとして、新社長はM&Aによる手っ取り早い多角化を目標に掲げていた。米国でM&Aを手がけた田崎をスカウトしたのも、それに備えるためであった。

 そのメーカーの米国本社は米国中西部のインディアナ州の州都であるインディアナポリスにあった。田崎が入社する数年前にその地にあった米国の競合メーカーを買収して、そこを本社に全米向けに日本製の電動工具を販売していたからだ。

 しかし、中西部に本社を持つだけでは日本の投資家の関心を集めることが難しく、やはりマンハッタンに拠点を設けるべきだ、という証券会社の勧めにしたがって新事務所を設けることになった。

 米国の事情に明るい転職間もない田崎と、買収前から合わせて十年ほど勤続歴のある総務部で次長格だったロバート・ヒギンズのふたりがニューヨーク事務所の開設準備を命じられた。


 新事務所はグランド・セントラル・ステーションに隣接する、当時は航空会社のロゴが屋上近くに掲げられていた高層ビル内の一角をリースすることにした。窓からはエンパイア・ステート・ビルが直ぐ目の前に見え、同時テロが起きる前の時代で遠くにワールド・トレード・センターの双子のビルを望むこともできた。

 新事務所に勤務するのは田崎とヒギンズに日本本社からの駐在員を加えた三人で、そのアシスタントとして三名の女性社員をマンハッタンで採用することになった。ヒギンズが書類選考と面接で選び出し、それらの候補者を田崎が面接して採用の可否を決める手はずにした。田崎は商社時代の駐在期間中の経験から米人社員の採用には通じていた。

 日本と異なり、採用の条件に年齢や人種を加えることは法律で禁じられている。男女を差別することはもちろん、区別することさえ米国では法律違反で訴えられることになる。重労働の工場や倉庫内の職員であっても、日本で目にする“男性社員募集”はご法度だ。重量物を取り扱う職場では、その重量を明示して取り扱いに必要な腕力の有無を採用条件に明記するだけで、仮に応募した女性が条件を満たしていれば面接に応じなければならない。日本企業が米人社員の採用にかかわるトラブルに巻き込まれるのはこの違いにある。

 

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