hint ―手がかり
あれこれと話していると、翰川先生が焦りを顔ににじませた。
「わわっ! オウキから、電話だ……!」
スマホをわたわたとポケットから出す彼女。
科学の神秘:コードの持ち主であるから、電波を受信するのはお手の物なのだとか。
「出ても大丈夫ですよ。私、他の部屋に居ますから」
「そういうわけにも……うむ、出よう!」
思い切りが非常にいい。
通話ボタンを押し込んでスマホを耳に当てた。
『やっほー、ひぞれ。京ちゃんとこ居るっていうから――』
「すまない今忙しいんだ。後で必ず連絡する!」
『え……俺、3日後には東京戻るんだけど……ちょっと、ひぞれ。切らないで――』
ぴっ。
漏れ聞こえる限り、かなり理不尽な流れだった。
「わ、私……外でオウキさんと会いましょうか?」
「最終手段だ。……オウキはな、ぽややんとしているように見えて、実はシェルと互角の切れ者なんだ。たぶん今の電話からでも、有り得ないほどこちらの事態を見透かしていることだろう」
「さすがにそれは、不可能なのでは……?」
「不可能を可能にするのが魔法使い組なんだよぅ……!」
泣く翰川先生が不謹慎ながら可愛い。
「……おはよう、ございます……」
「わっ⁉」
驚いて振り向くと、リーネア先生が眠たそうな顔で立っていた。
「寝すぎて……頭が痛い……」
「お水飲みましょう!」
冷蔵庫に常備しているミネラルウォーターを差し出す。
「ありがとう、京さん……」
蓋を開けて飲み始めた。
「……」
「?」
「あ、いえ。……喋らない限りは元の先生だなって……」
「京はけっこう素直毒舌だな」
涙を拭った翰川先生がよくわからないことを呟く。
「それより、客人……というよりミズリだ。ミズリは不器用なので鍵を開けられない。家主代理として、キミに出迎えをしてもらっていいだろうか?」
『不器用なので』という言い分になんとも言えない気持ちになったが、この状態のリーネア先生に動いてもらうのは難しいだろう。
「わかりました」
翰川先生の予告は外れることなく、私が玄関に辿り着いたところでインターホンが鳴った。
「……」
「は……初めまして」
リビングまでやってきたミズリさんと、リーネア先生が対面する。
「……初めまして。俺はミズリ。ひぞれの夫だよ」
「! 美男美女で似合いの夫婦なんですね」
ストレートな表現に、翰川先生は耳まで赤くなった。
ミズリさんが非常に誇らしげに嬉しそうに翰川先生を抱き寄せる。
「ひぁう」
「ふふふ、そうだろう。キミはなかなか見る目がある」
揺るぎない愛妻家だ。
「リーネアが倒れたという知らせを受けて、妻は京ちゃんとキミの元に馳せ参じたわけなんだ。俺の奥さんが天使で女神」
「そうだったんですか……ありがとうございます、ひぞれさん」
「うあううん……どういたしまして」
もじもじとする翰川先生。
二人をフロアテーブルに残し、ビニール袋を提げたミズリさんがキッチンカウンターの傍に移動する。私を手招きした。
「なんでしょうか?」
「夕飯はまだ用意していないよね? 妻がお世話になっているから、お弁当屋さんで買ってきたよ」
袋に入っているのはまだ温かいお弁当。
「そっそそそそそんな。お世話になってるの私の方で……!」
「遠慮しないで」
ずずいと差し出され、受け取ってしまった。
「ありがとうございます……」
「どういたしまして。一応、リーネアは俺の親戚でもあるから」
「え、そうだったんですか?」
「ああ。姉がオウキのお祖母ちゃんなんだ」
それから、ミズリさんは眉をひそめて言う。
「あれは……どうしたのかな? 普段とずいぶんと様子が違うから、驚いてしまってね……」
表情からは、彼がリーネア先生を本当に心配していることが伝わってきた。
キッチンの奥に彼を招き、未だ誉め言葉と照れ隠しの不毛な応酬をする二人から死角になる位置で告げる。
「短く言うと、頭への衝撃が原因の記憶喪失です」
「そうか……そうなのか」
「……思い当ることがあるんですか? 翰川先生もそうでした」
「うん、まあね……」
小声で話し始める。
「リーネアは純粋なレプラコーンじゃないんだ。俺の姉の血が混じってることもそうだけど、何より、お母さんが人間だった」
「!」
「種族はレプラコーンと判定されるよ。道具を操る才能に至っては天下一品で、紛れもなくレプラコーン。……でも、精神面は不安定かな」
「……」
「京ちゃんに親近感を抱くような状況でね。……両親二人とも、紛れもなくリナリアを愛していたんだけれど――って。ご、ごめん」
「大丈夫です」
私の両親は私を愛してくれなかった。
そのことはすでに私の中で決着のついたことであり、諦めたことでもある。
「いまさら、そんなことで傷つきません」
「……。ほんとに強い子だ」
微笑むミズリさんはとても美しい。
頷き返して、私の胸にくすぶる活力を吐き出す。
「アリスさんに……あ、天才のお医者さんなんですけど。その人に、ヒントをもらったんです。そうでなくても、今度は私が支える番だと思うんです。頑張りたいんです。……私にも教えてもらえることがあるなら、教えてほしいんです」
「京ちゃんの引き運凄いね。アリスちゃんとかレアキャラじゃないか」
「知り合いなんですか?」
あの凄まじい天才と。
「ひぞれの主治医の師匠だから、何度か話したことが……いや。それなら話は早い。あの子が言うのならキミが適任なんだね」
よくわからなかったが、信頼してもらえたようだ。
「生まれてすぐ、オウキと……いや。リーネアとお母さんは、オウキと引き離されたんだ」
「双子のお兄さんは?」
口に出してすぐ、それは彼ら異種族の界隈にとってまずい情報なのだと分かった。
「っ……ひぞれが口を滑らせたのか」
苦々しい表情で私に言い聞かせる。
「リナリアには絶対に伝えないで。とんでもないことになるから」
「は、はい」
こくこくと頷いて見せると、ミズリさんは咳払いして話の続きに入った。
「リナリアはお母さんと二人きりになった。……戦争に満ちた世界で、赤子を抱えて育てることはとても大変だ」
頭が下がる。
「それに、パターン持ちのリナリアは幼いころから情動が薄くて。……その世界では、赤い瞳は異種族と神秘持ちの証で。差別の対象でもあった。だから……」
痛切な表情をして、押しつぶしたような声を漏らす。
「……ああ……これ以上言うと、もう《答え》になっちゃうなあ」
「こたえ」
「答えだ。……どうしてわざわざオウキたちが来ているときに、こんな大変な事態になったのか。それの真相」
「でも、札幌に来てから、毎年夏に小樽に……」
小樽に私たちが訪ねている。
――札幌にオウキさんたちが来ることはない。
「……」
片やオランダ地域出身、片や(おそらく)異世界出身のリーネア先生とオウキさんには、札幌と小樽が関わるような辛い思い出はない。
いつもとの違いがあるとすれば――それは時期だ。
普段、親子が顔を合わせるのは8月の中旬。
今は8月下旬。
彼は覚えていたくないのではなくて、『8月下旬にオウキさんと出会うと嫌なことを思い出してしまう』から忘れようとしたのではないか?
「え……」
「あの」
口を開こうとすると、リーネア先生の声が聞こえた。
「わっ……⁉」
心臓が止まりかけた私と対照的に、余裕を持って振り返ったのはミズリさんだ。
「やあ、リーネア」
「あ……すみません、お話し中に」
「いいんだよ。ひぞれと決着はついた?」
「それが……『今日は散々だ』と言って突っ伏してしまって……助けていただきたくて」
「わかった。お弁当持ってそちらに行くよ」
夕食を食べ終えた去り際、リーネア先生が風呂に入っているタイミングでミズリさんが言う。
「ひぞれを置いて行くよ。……妻が世話をかけるね」
「いえ。居てもらって、本当に助かってます。ありがとうございます」
「……なら嬉しいな」
「ミズリは、光太と佳奈子のことを頼む」
「わかっているよ」
彼は、年長者の顔をして私に一礼した。
「リナリアのことをよろしくお願いします」
――*――
夏用の薄手のスウェットは着慣れた感覚がして落ち着く。
「……」
タオルで拭いていると、夕焼け色が視界に入る。
長い髪を切ろうかと思ったが、大切な約束の果てのものだと感じて止めた。
たとえ思い込んだのだとしても――自分が忘れることなどありえない。
『忘れている自分』を思い込んでいるから上書きされているのであって、パターンの効果が薄れれば、記憶は自然と蘇る。
……蘇るまでのタイムラグで時間稼ぎをしている自分が哀れで仕方がない。
「…………」
誰を相手に時間稼ぎをしているのだったか。
頭が痛い。
”けい”からもらったペットボトルの水を飲み、洗面所を出る。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます