おとうと
私たちがマンションの下まで降りると、シェル先生はマンションのすぐ裏手にある公園で、小太りの中年男性を踏みつけて踏みにじっていました。
完璧な無表情で。
「「……」」
私と佳奈子ちゃんが沈黙していると、シェル先生はルピネさんをじっと見て言います。
「ルピネ。どこまでなら正当防衛だと思いますか?」
「……先に手出しは? 殴られただとか、蹴られただとか」
「殴りかかってきたので腕を折りました。足は切り落とそうかと思っています」
「父上。さすがに、うら若き乙女の居る前でスプラッタは勘弁してほしい」
「切り落としたいのですが」
とてもアグレッシブなお父さんを、ルピネさんは必死で宥めています。
先生自身は無表情のまま。普段、ケーキを切り分けているときと変わらない顔と声音で男性を見下ろしていました。
「殺意を抑えて教えてくれ。……足元に転がる男は誰だ?」
「紫織に動物霊を擦り付けた人間です」
「――……」
思わず私が後ろを振り返ると、リーダーさんを先頭に、ワンちゃんと猫ちゃんたちが怒っている姿が見えました。
リーダーさんが怒っていたのは……あの男の人に怒っていたのですね。
「紫織。糸を離さないように」
「へぅ……は、はい⁉ 糸……って、縁の糸ですか?」
「それ以外の何があるのですか」
静かな声を、私の背後に立つ犬と猫に投げかけます。
「わざわざトドメを刺して魂を汚すことのほどもありません。殺し方にリクエストがあるなら、先着順で――」
「なに、もしてない……! 何もぁがががが⁉」
「誰が喋っていいと言った?」
発言さえ許可制だなんて。これが俗にいう恐怖政治ですね。
私は佳奈子ちゃんの目をなんとなく隠しながら、巻き込まれないように少し離れます。
「紫織。むしろあたしがあんた守る側じゃない?」
「目に毒だよ、佳奈子ちゃん。めっ」
「あたしあんたより年上なんだけど……」
佳奈子ちゃんに言い聞かせている間にもルピネさんの苦労は続きます。
「父上、父上。そやつ死ぬ。死んでしまう」
「だって言い分がつまらない。弁明などではなく熱意ある自己主張をすべき、です。聞くまでもなくつまらない。もっと面白いことを言えばいいのに」
「変な面接の採用基準のようなことを言っていないで、足を離してください。いよいよ冗談で済まない顔色と口から出る泡が」
観察していると、なんとなく、先生が踏み付ける男性から変な気配が……?
少しの違和感。
それを手繰り寄せようとした私が口を開きかけた時、大勢の声が響きました。
「盛り上がってるねw」
「きゃー、おとうとっ! 拷問? 拷問なのねー!」
「喜ぶな拷問姫。お前が出張れば強制18-Gだ」
「盛り上がりすぎじゃね?」
「ビデオ回しましょ。現代では滅多に見られない素敵な映像になるかも……」
「目がイってる」
「誰だあいつ連れ出したの」
「ヒウナ」
「ロザリーの目。ルピネちゃんに懸想した不届き者を断罪するときと同じ目」
「姪っ子ちゃんそんなにモテてるんだ」
「まあその……転がってる豚さんも生きてればいいことあるよ」
「憑りついた怨念に首を絞められながら楽しんでほしいわね」
「真綿で首を……なんだっけ?」
「人間って凄いこと考えるよねー」
「ニワトリを締める気持ちでやっちゃった方が楽なのにねー」
「弟、あんまりいじめちゃ可哀想だ。足離しなさい」
そこには、大量のシェル先生が集合していました。
正確に言うと、シェル先生顔の、男女も大小も髪色も様々なバリエーションに富んだ人たち。
いつ出現したのかまったくわからず、気づきもしませんでした。
――この人たちが悪竜兄弟。
シェル先生から『俺にはたくさんのきょうだいが居ます』とは聞いていましたが、これは、なかなかのインパクトです……
ざっと見て、おそらく40人は超えています。
息が合うのか合わないのか、それぞれで好きにいろんな話をしています。
中年男性の腹から足を離した先生が、むすっとしてご兄弟を振り向きました。
「いじめてなどおりません。名誉棄損はやめてください」
「内臓を圧迫することは、いじめより悪質じゃないかしらねえ?」
「ロザリー、堂々たるいじめっ子じゃん。取り繕うだけ無駄」
「お姉ちゃん、それ以上言われたら俺は身も世も蓋もなく泣き叫び駄々をこねますよ。俺は自分でも制御が効かないほど無駄に繊細なんです」
「自覚あっても治らないのがロザリーだものねえ」
「フルスペックポンコツ」
「ほらほら、早くそこの犯人野郎捕まえてよギロチン」
「首は刎ねるなよ。後片付けが面倒だ」
「わかりました。足にします」
「何もわかってないのに返事するやつやめろ」
「なぜ? 首が駄目なら手足でしょう?」
「何でお前は体のパーツをもぎ取りたがるんだよ」
「鬼だからじゃないの?」
「あ、犯人逃げた」
「殺してもいーいっ?」
「へい、こーろーせ! こーろーせ!」
「ノコギリしか持ってなあい……」
「牛刀ならあるよー!」
「会話の流れをわかりやがれアホども」
恐ろしい会話を繰り広げるごきょうだいのあいだをすりぬけて、パーカー姿のアルビノ美少女さんが犯人を蹴り飛ばして転がしました。
側にいたご兄弟の(名前のわからない)どなたかが首を締めて気絶させます。
気絶させたご兄弟の方が男性を担いで、男性ごと姿を消します。
特に声を掛け合ったわけでもないのに、流れるような連携でした。
白髪に白い肌、赤い瞳でウサギさんのように見える美少女が、私と佳奈子ちゃんの傍に近づいて話しかけてきました。
「ごめんね、見苦しいもの見せて」
「あ……だいじょうぶ、です」
佳奈子ちゃんは人見知りなのか、私の後ろにぴゃっと隠れていました。……佳奈子ちゃんには悪竜兄弟の事前情報がないので、無理もないと思います。
ちなみに、ルピネさんは悪竜兄弟の女性陣に撫でまわされて顔を赤くしていて、美人です。
先生はどことなく嬉しそうにご兄弟とお話ししていました。
「なぜ大集合しているのですか? 今いる面子は、コード世界で動けるほぼ全員のようにお見受けしますが」
「お前の様子を見に行こう……ってなったから、行けるって言ったメンツを集めてみました。やっぱり末っ子に近い悪竜はいいね。何だかんだときょうだいの集まりがいいよ」
「物珍しい土地に興味惹かれただけでしょう」
「素直じゃない弟だこと。ところでほっぺたもちもちしていいかしら?」
「ひょはをへるはえにひへるひゃないへふは(許可を得る前にしてるじゃないですか)」
「あー……首切り鬼とは思えぬ手触り」
「ロザリーのお母さんももち肌なのだぜ? 鬼全体がもち肌なんじゃない?」
「カリストなんで知ってる?」
「前に触らせてもらった」
「……俺も触ったことがないのに、なぜお兄ちゃんが、母様の頬を……?」
「嫉妬の炎がやべえ」
「見かけに反して握力ゴリラ」
「鬼だからゴリラ以上でしょw」
「何半笑いして……ってか、傷みすら感じなくなってきたんだけど⁉」
「ね、ロザリー。ダリィがレストランを予約してくれてるよ。一緒に行こ」
「いま俺の指が砕ける瀬戸際なんです待って兄さん」
「砕けちまえよw」
「わろす」
「居酒屋っていうレストランなんだよ」
「もの食べる場所全部レストランって表現するのやめよ?」
「居酒屋は店名じゃなくて店の分類じゃないかな」
「57人も収まるのですか?」
「手ぇ放してから口開け鬼」
「おっきいお店だからあ。へーき」
「そっちの女の子たちも一緒でいいかな? いいよね。けってーい」
「初顔ですわね」
「そりゃそうだよ」
わいわいと好き勝手喋るみなさん。
大小様々。男と女も様々。
髪色、瞳の色は色とりどり。
とても綺麗な光景でした。
とは言っても、きょうだいみなシェル先生顔……
「誰が喋ってるのかわかんない――‼」
「ルピネさあ――ん……!」
60人近い悪竜兄弟に囲まれた私と佳奈子ちゃんは、身を寄せ合って泣き叫びました。
だって怖いんですもん‼
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