ねこみみ

 私、七海紫織は今日も早起きです。

「……良い朝……」

 カーテンを開ければ、夏の暑さから緩み始めた暖かい日差しが部屋に入り込みます。

 心地よい朝です!

 お布団から出て、台所へと向かいましょう。朝ご飯です。



 ご飯も食べ終わって、お片付けしました。

 体力づくりのために始めた毎日のジョギングは、今となっては習慣になっています。今日もお外に出て、いつもの公園までのんびり走って行きましょう。

 洗面所でお顔を洗わなくては。

「…………」

 鏡に映った自分を、私はついまじまじと見てしまいました。

 寝癖が酷いとか、いつもより顔色が悪いとか、そういうことはありません。

 ――私の頭に、猫の耳が生えています。

「ルピネさあ――ん‼」

 スマホを手に取り、ルピネさんにヘルプです。

「どうした⁉」

 ルピネさんはスマホを持ったまま、私の背後のお風呂場からのご登場。

 当然、ルピネさんが風呂場を寝床にしているわけではありません。最初はびっくりしましたが麻痺しました。

 すがりつく私を宥めながら、私の頭上を見ました。

「……猫耳?」

「ね、ねこさんです……」

 とても不思議そうな顔をしています。

 私自身も不思議ですこの状況……

「耳は聞こえているのか?」

「はぅう……?」

 聞こえております。

「……言い方が悪かったな。お前の元あった耳はきちんと聞こえているのかという質問だ」

「ふえ」

 ルピネさんは私の手を引いて歩きだしました。

「とりあえず、部屋で着替えておいで。リビングで待っているから」

「は、はい」



 ジョギング用でない普通のお洋服に着替えた私は、ルピネさんと向き合っていました。

 美人……

「とりあえず、元からあった耳を塞いでみてくれ。聞こえる音量が落ちたら、お前の耳は機能している」

「はい……」

 言われた通り耳を塞ぐと、音がこもりました。

「聞こえて、ます」

「そうか。上の耳に聴覚が移った時は危ういから、注意するようにな。少しでも聴覚に違和感を覚えたら私に言いなさい」

「はい」

「……考え得る原因からして、私より父上の方が的確だ。今から呼ぶぞ」

「だいじょうぶです」

 きちんと身支度したので、今からでもお会いできます。

 ルピネさんが頷いて電話をかけ始めました。

「父上。私だ」

 ルピネさんらしい、カッコいい名乗りだと思います。

「……ああ。いまは紫織といる。もし手が空いているのなら、出来る限り早くこちらに来ていただきたいのだが…………そうだ。では、お願いします」



 およそ20分後。

「……」

 やってきたシェル先生は、私を見てずっと首を傾げています。

 リアクションが薄くてよくわかりませんが、とても不思議がっているご様子です。

「ねこ、の。耳?」

 ぽつりと呟いたのは、私たちは20分前にすでに済ませた確認の言葉。

「そうだな。猫だ」

「ねこ」

「あの柄は茶トラだな」

「ひぞれが飼育していた生き物の頭の上についていた三角形のものと同じようなものが紫織の頭の上についています」

 あれ……?

「処理落ちしそうだな、父上……」

「へ、処理落ち?」

「父は、興味の薄いものの情報と名前を紐づけるのは苦手だから……頭の中で再構成するのに時間がかかるんだ」

 シェル先生はソファの上で体育座りしてじっとしています。

「まあいいか」

「ルピネさん?」

 え……あの状態の先生を放置ですか?


「ねこ。動物界脊索動物亜門哺乳綱食肉目ネコ亜目ネコ科ネコ属。こちらの世界では、大型種から小型種まで幅広く存在する。その中でもヤマネコ系の小型種は家畜化され、古来より人間と共存してきた歴史を持つ。他の世界では獣人族などにその特徴がよく見られ、また、幻獣や魔物にもネコに近い種のものは数多く存在する」


「ルピネさん、シェル先生が、シェル先生が……!」

 ものすごい勢いで長文を喋り始めました!

「スルーしろ。あの状態になるとこちらの話は一切聞かない上、あとで正気に戻ってきたときに『なんで邪魔したんですか』とブチギレて拗ねるから」

「りっ、理不尽……!」

 そして凄く面倒くさいです。

「とにかく、まずは確認からだな。いつから生えていた?」

「……朝起きて、ご飯を食べ終わって、洗面所に行ったときに見ました。生えてたんです」


「今日の昼ご飯はクレープがいい。でも、ルピネに言ったら怒られてしまう。……喫茶店に入ってメインと一緒に頼めばいけるだろうか」

 先生、心の声が漏れ過ぎです。


 娘さんとだけあって慣れていると思しきルピネさんは華麗にスルーしています。

 先生の呟きが心の声から、博識な知識に戻りました。

「今日の朝か。格別なことは何かあったか?」

「な、ないですっ。言いつけもちゃんと守って、毎日同じ時間にお風呂とお洗濯してます!」

「良いことだ。頑張っているな」

「はわ……」


「パンケーキもいいな。ホットケーキとパンケーキに何らかの差異はあるのだろうか。どちらも温かくてケーキだ。イチゴをのせたい」

 ……先生……。


「体調はどうか? 耳や頭は痛むか?」

「大丈夫です……」

「……紫織、大丈夫だ。私たちが居るから、悪いことにはならないよ」


「今日の気分は投射。窓から光が入り込むと物体の影が床に投影される。今日は曇りだから散乱気味」

 先生の呟きは未だBGMです。


「ルピネさん……結婚してください……」

「女性が求婚の文句を安売りするものではないよ」

 光太くんへの恋心を再認識した今、自分がルピネさんに抱いている想いは恋ではないとわかっています。

 ですが、ルピネさんのあまりの格好良さに反射的にプロポーズしてしまう癖が直りません。


「第一に、太陽光が単一方向のみに光を発する光源であると仮定し、主となる影の形状と面積を考える。光源を単一から――」


「おい父上」

「……」

 シェル先生が呟きを止めて、体育座りからソファの上での普通座りに戻りました。

 凛として背筋を伸ばし私に向き直る姿には、先ほどの状態が嘘だったかと思えるくらい気品に満ちています。

「おはようございます」

「……おはようございます……」

 いまさらです?

「すまない。父はちょっと頭がおかしいんだ」

「フォローとしてどうかと思います。俺なりにあれこれ考えていたのに」

「クレープとホットケーキとパンケーキについての思索か? それとも興味を惹かれた光と影の投射投影についてか?」

「…………。今日の昼食は?」

「トーストを予定している」

 先生が無表情ながらショックを受けています。

「……が。もし父上がこの状況について真剣に考えてくれるなら、昼ご飯をホットケーキにして差し上げよう」

「紫織の特性を考えるに、猫の雑霊か猫の妖怪と無自覚に契約してしまった状態だと思われます。妖怪だとすると俺とルピネにはその気配が感じ取れるはずですので、雑霊に確定。動物の魂は人間やその他種族と違った挙動をするので予測は難しいですが、大体の動機は決まっています。現在は結果として取り憑かれたような状態ながら、これ以上侵食してしまわないようにとどめられますのでさほど問題ありません。得意分野です」

「気色悪いな」

 娘さんに言われた先生がいじけ始めました。

「あ、すまない。……全く関係のないことを考えていたはずなのにつらつらと述べるものだから、気持ちが悪いと思ってしまった」

 ルピネさん、それフォローじゃないと思います……

「そうでしたか」

 先生も何で納得するんですか。

「それより、紫織。佳奈子が来るのは昼の12時半だと思うのですが、その姿で会うのですか?」

「私、先生に、佳奈子ちゃんとの予定言いましたっけ……?」

 それとも佳奈子ちゃんから聞いていたのでしょうか。

「?」

「……父上」

「だってそれしかないから見ればわかることで――もぷっ」

 ルピネさんにクッションを顔に押し付けられて、シェル先生が沈黙します。

 クッションを顔にくっつけたまま正座しました。

「あなた様は、いつになったら、プライバシーという概念を覚えるんだ?」

「……見ればわかるので仕方のないことでしょう。1+1を見て2だと思わない人がどこにいますか」

「屁理屈を言っていないで……相手は父上がその情報を知っているということを知らないのだから、もう少し手心をだな」

「難しいことを言わないでください」

「…………」

 なんだか、ルピネさんもシェル先生に振り回されることがあるのだなあ……と思いました。

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