私は意地でも動物園に行きたいです。

 紅葉鍋を食べながら、ルピナスさんは言う。

「父さんと一緒に、中央のホテルからこっち来たんだ。サリーちゃんの気配を感じて追いかけてきたの!」

 とっても明るく言われたセリフから感じる、そこはかとない恐怖。しかし、『サリーちゃん』と呼ばれるカトレアさんは無邪気に喜ぶ。

 おそらく、シュレミア・R・サリュゼ(略)のサリュゼから取った愛称。

「姉ちゃん! 鍋美味しい?」

「うん。美味しいよ。サリーちゃんは、可愛い上に料理上手で優しいなんて……最高の妹だよね」

「ん……姉ちゃん好きー」

「えへー」

 超デレデレ。

 ……なんとなく、カトレアさんの無邪気な振る舞いの理由が『妖精さんに育てられたから』だけではないのだろうなと思った。

 翰川先生もそうだが、周りが甘い人ばかりだと天真爛漫になるのかもしれない。

「ちょっと聞こえてたんだけど、サリーちゃん、動物園行きたいのかい?」

「うん! なのにミズリが止める。あいつやっつけたい。姉ちゃんも手伝え!」

 ミズリさんは死んだ目でココアを用意していた。

「もー、サリーったら。お転婆さんなんだからあ」

 拗ねるカトレアさんを撫でて宥めてから、ルピナスさんが姿勢を正してカトレアさんと向き直る。

「サリーちゃん。今から、お約束事をお話しするよ」

「うん」

「守れなかったら、サリーは動物園には行けません。いい?」

「わかった!」

 おお。

 甘いばかりの人かと思ったら、意外とまともだ。

「では、初めまーす」

「はーい」

 カトレアさん、超かわいいな。


「動物を食べてはいけません」

「うん」

「殺してもいけません」

「うん」

「檻の中に入ったり、手指足を突っ込むことをしてはいけません」

「うん」

「ふれあいコーナーというものもあるけど、サリーは手出ししたら駄目だよ」

「うん」

「餌やりで動物を釣って仕留めようとしないでね」

「うん」

「あと、動物園で配られている餌以外のものをあげたらだめだよ」

「うん」

「周りの人に暴力や殺意をふるってはいけないよ」

「うん」


 常人が聞いているといい感じに頭が痛くなる注意事項を終え、ルピナスさんが締めくくる。

「以上!」

「わかった!」

 おそらくわかっていない。

 ルピナスさんもそう思っているようで、ミズリさんと相談を始めた。彼女は窓から登場こそしたものの、中身は意外と常識人よりらしい。

「……どうしたらいいかな? あれ、絶対無理だと思う」

「このままだと檻の中に飛び込みたがるね」

「飛び込まれたら困るなあ。動物さん殺しちゃう」

「そうだね。ことは俺たちだけの問題じゃない。『異種族全て非常識だ。公共施設から追い出せ』……なんてニュースになってもおかしくない」

「入園制限がかかるよね」

 俺が出会う人外たちは非常識な人ばかりであったが……確かに、それで他の常識的な異種族の人々に類が及ぶのは避けるべき事態だろう。

「カトレアちゃんは出禁にした方がいい部類だけど。だからといって、野放しにして勝手に入られても困るね」

 謎の嗅覚を持つカトレアさんなら、動物の獣臭を感じ取ってたどり着けるかもしれない。

「……妖精の好奇心と魔王の身体能力って組み合わせがねえ……」

「何で酷いこと言うんだお前ら。俺だってきちんと言うこと聞けるんだぞ。お姉ちゃんが言ったこと全部リピートしてやる」

「キミ、完全記憶だから、リピート出来て当然だよね?」

 まさかまさかの、翰川先生と同じ能力持ち。

 持ち主が違うだけでこうも印象が変わるとは……

「誓約書でも書かせる?」

「いやあ……どうだろう。自意識が竜なら、契約には忠実なんだけど……」

「どう考えても魔王」

「失礼だな。俺の母親は竜だぞ。つまり俺の半分は契約が通じる」

「もう半分は契約破りで有名な魔王様だよね」

「お前らは意地悪ばっかり言う! 大人しくしてられるのに!」

 傍から聞いている、カトレアさんの性格や性質を詳しく知らない赤の他人の俺ですらわかる。

 すでに『無理じゃね?』と思っているし、ミズリさんもきっと同じ気持ちだろう。

「……あの、カトレアさんのご兄弟は説得できないんすか?」

 兄弟愛は深いようだったから、誰かお兄さんかお姉さんに電話越しに叱ってもらうとか出来ないだろうか。

「兄弟相手に問答無用で言うこと聞かせられるのは一桁台なんだよ……」

 カトレアさんのご兄弟は5万人以上。

 その中の一桁となると、想像もつかないほど遠い。

「手軽に呼びつけられる子たちじゃない。ちなみに、シェルはカトレアちゃんの暴走が増すから論外。呼ばない」

「ああ……予想できます」

 シュレミアさんは、事態のストッパーになるどころか火に油を注ぐタイプの人だ。

「オウキは呼んでるんだけど、間に合うかなー……」

「間に合うよ?」

 いつの間にか、俺の背後にオウキさんが出現していた。

「――」

 驚いて腰を抜かしかける俺をひょいと支えて、ソファに座らせてくれる。

「あ、ありがとうございます……」

「いえいえ。俺がおどかしたわけだし」

「うわ気持ち悪い」

 ミズリさんがぼそっと呟いた。

「ぶー。来てあげたのに」

 喜色満面になったのは、娘さん二人だ。

 カトレアさんがオウキさんにとんでもない速度で突進する。

「父さん、好きー!」

 オウキさんは容易く受け止め、育ての娘さんを優しくなでた。

「サリーは甘えん坊だねえ。どーしたの? ミズリを困らせて……」

「動物園行きたいのに。ミズリとお姉ちゃんが反対するんだ」

「…………、そっかあ」

 一瞬で生暖かい目になった。

 カトレアさんに相手を限定すれば、彼も苦労している側の人らしい。

「ひーちゃんが居たら賛成してくれるのに、お留守。運が悪い」

「たぶん、ひぞれも反対すると思うよ」

「なんで⁉」

「いや、なんでとかじゃなくてね」

 枝にしがみつくコアラ状態のカトレアさんを床に下ろす。

 オウキさんとカトレアさんでは身長差があるので、目線を合わせて屈んだ。

「どうして反対されてるんだと思う?」

「動物園はバイキングだから」

 恐っ。

「……経緯も大体わかった。ミズリと光太には後でお詫びをするね」

 遠い目をしていたオウキさんだが、すっと目を細めてからまた娘さんに向き直る。

「サリー。キミの狩猟は、檻の中に居る動物を、遠距離から一方的に仕留めること?」

「違う」

「でしょう? 自由を遮るもののない大地に立ち、知恵と死力を尽くして戦い、勝者がその命を頂く。それこそがキミの一族の誇りのはずだ」

「うん」

「それを、動物の活動範囲が狭められた動物園でも出来ると思う?」

「…………!」

 大きく眼を見開き、じんわりと涙をにじませる。

「俺が間違ってた。ごめんなさい」

「わかってくれればいいさ。誰だって間違いはあるんだから」

「ん……」

「それに、キミなら一目見てわかったはずだよ。檻やガラス、水槽に囲まれているのだからね」

「やっぱり囲まれてるの?」

「うん」

「なんで?」

 A.一般人に死人が出るから。

 どうやら、カトレアさんは更地……というか、悠久の自然のままの土地に動物が放たれているのだと思っていたらしい。

 ミズリさんが疲れた顔をしている。

 ルピナスさんもしどろもどろになっている。

「サリーの国と同じ理由だよ」

 一人ぶれないオウキさんが口を開く。

「?」

「サリーの国は、サリーの国で完結した一つの世界だよね。こっちの世界と地続きになっていたら、どうなるかなあ?」

「こっち滅ぶ」

 カトレアさんの国がどんなだか、想像するだに恐ろしい。

「同じことだよ」

「……そっか。うん。お互いの安全のためなんだな」

「よしよし。いい子」

「でも動物は見たい。ライオンさん好き」

 本当に可愛いなカトレアさん。

 ライオンを捕食対象として見てるけど。

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