私は魔王です。
ミズリさんは俺とカトレアさんを家の中に招き入れ、温かい紅茶を淹れてくれた。
「すみません、頂きます」
「いただきます」
「召し上がれ」
美貌が現実離れしたミズリさんが笑うと少し緊張する。
カトレアさんは、ルピネさんやシュレミアさんを思い起こさせる気品ある仕草で紅茶を飲んでいる。彼女も『黙っていれば』枠なのかもしれない。
「……光太はともかく……カトレアちゃんは、どうしてここへ?」
怪訝そうなミズリさんが問う。
ちなみにカトレアさん、鹿の頭は抱えたままである。
「よくぞ聞いてくれた」
「いやまあ、聞かなきゃ話進まないしね?」
翰川先生の夫だからか、ミズリさんはツッコミ力が高い傾向にある。暴走しがちな人を操縦して落ち着かせるのはお手の物なのだろう。
「姉として、そしてお前とひーちゃんの友達として! 秋の味覚を届けてあげようと思った!」
胸を張るカトレアさんが可愛い。
鹿の頭さえなければ純粋な気持ちで鑑賞していたと思う。
「うん、それはとっても嬉しいしありがとう。でも、どうして連絡もしないで、挙句の果てには面識もない光太の家に居たのかな?」
「ひぞれが住んでるって聞いたから、ロザリーが言ってた住所辿ってきた。なんだかアパートだったから、部屋番号わかんなくて困ったけど、ひぞれの匂いがしたからここで待つことにした」
『お前はひぞれの知り合い』というセリフには、こういった経緯が含まれていたらしい。
……誰がわかるかそんなの。
「何も理由になってないね」
ミズリさんが心なしか引いている。彼は唯一の常識人枠だ。
「? 何でわかんないんだ?」
「どうして不思議そうにできるのかなー……?」
カトレアさんは理解が得られないことに不満なのか、ずっと持ったままの鹿の頭を、ミズリさんの前にずいっと差し出す。
「鹿さん美味しい」
「……頭を食えと?」
「? 肉は処理して持ってきた」
頭を抱えるミズリさん。
「…………。頭持ってきた理由を答えて」
「テンションが上がったから勢いのまま来た!」
「その勢いかなり要らないよ!」
会話を聞くだけで疲れる。
というか、いい加減に鹿の頭も重たくないのだろうか。
あまりに軽い取り扱いなので、『ぬいぐるみのように綿でも詰まっているのか?』と思うくらいだ。
「頭食う?」
「食わねーよ」
反射的に聞かれて反射的に答えてしまった。
「……わかった」
カトレアさんはその場で半歩ターンし、首を放り投げた。
「うぉう!? いきなり何してんだこの人‼」
立派なツノをお持ちの鹿の頭である。壁床に当たれば、豪快に傷つくこと間違いなしだ。
スライディングしようか、いや、俺に刺さるか――
「危ないからやめときなね」
「ぐぇ」
ミズリさんにTシャツの襟首を引かれ、思い切り首が締まる。
――壁際の影から飛び出た謎の生物が鹿の首を丸呑みした。
「…………………………………」
思わず背筋も冷える光景だったが、謎の生物――巨大な獣のような――はそのまま蔭へと鋭くUターンし、消えた。
「これでいいだろ。もう鹿さんの頭ないぞ!」
「だからそういう問題じゃないんですってば――‼」
懇々と、親切丁寧に、誠心誠意。不法侵入についての定義や、一般人が鹿の頭を差し出されてどう思うかをお伝えする。
1時間ほど経って、カトレアさんが申し訳なさそうに身を縮こめた。
「……ごめんなさい……」
「はあ……もう、いまさらなんでいいですけど……」
俺とミズリさんはそこそこ疲労困憊の態なのだが、カトレアさんは落ち込んでいながらも元気なままだ。これ以上の追求はこっちがギブアップする羽目になるだろう。
気になっていたことを聞く。
「……で。カトレアさんの言う『姉として』はシュレミアさん向けなんですか? だったら、他のとこ行った方が……」
もしシュレミアさんに届けに来たのだったら、彼は紫織ちゃんとルピネさんのところか、佳奈子のところに居るはずだ。
「あいつ鶏肉以外いまひとつだから違うよ。今回は、リナリアとひーちゃんとミズリのために持ってきたんだ」
つながりがよくわからなくなってきたので、気になったことを質問する。
「リーネアさんとはどういう関係ですか?」
「「
ミズリさんとカトレアさんとで見事なユニゾン。
「シュレミアさんのごきょうだいなんじゃないんですか?」
かつて翰川先生から『シェルは兄弟がいる』と聞いていたので、てっきり姉か妹なのかと思っていた。
「いや、それも合ってるんだよ。シェルはカトレアちゃんの実の弟だ」
「俺の育て親がリナの父さん。俺自身の実の父親は別にいるよ」
「あ、ああ。なるほど」
つまりカトレアさんは、オウキさんに育てられたということらしい。
そして、オウキさんの息子であるリーネアさんとは義理の姉弟にあたる、と。
「だから……オウキさんの影響を受けてそんな感じに?」
「うん! 俺はいつもげんき!」
「うわあそっくり」
小樽で出会った狂気の職人妖精さんを思い出させる。
見た目はシュレミアさんとおんなじなのに、中身が違うだけでこうも別物に見えてくるとは不思議だなあ。
「えっと……シュレミアさんとカトレアさんは本当に姉弟なんですよね?」
「そう。あの2人は紛れもなく兄弟だよ。遺伝子を調べても、兄弟関係が証明される。と言っても義理の兄弟関係が偽物ってわけじゃない」
「……はい。そこはわかります」
カトレアさんは無邪気に『リナにあげるんだー☆』と呟いている。
愛おしそうな表情には、本物の愛情が詰まっているのだろう。
「にしても、髪の艶? 色が凄い綺麗ですよね」
「だよね。というか、シェルにはほかに5万人も居るから……髪色なんて、いちいち気にしていたらきりがないよ」
「ご、まん……!?」
文字通り桁が違う。お父さんお母さん頑張りすぎでは?
いや待て。すでにお父さんとお母さんが違うのならば……どういうこと?
「アクリュウキョウダイ。もしくはアクリュウシリーズって言うんだけど……あれ? もしかして知らないかな、これは」
「アクリュウ?」
akuryu?
「悪の竜。無理やり英語に直せばエビルドラゴンなのかな? これって魔術的に正しい?」
「……神の定めた世界を破綻させる悪って意味なら、エビルで正しいと思う。単なる定義の問題だし」
竜。
「……人の姿してますよね?」
「種族として定義された竜は全員人型を取れるよ。他の種族や民族と会議するとき、竜の姿のままでいたらどう思う?」
ミズリさんの問いの意味がよくわからない。
「?」
代わってカトレアさんが補足する。
「竜たちも種族であって、国や社会を築いてる。当然、国が出来たら近隣の他の種族の国とも話し合う必要があるわけだ。……お前、ブルドーザーと真面目な会話をしたいか? ライオンと檻なしで平等かつ平和な話し合いをする自信は?」
比喩が凄まじかったが、なんとなく理解した。
もし、竜の姿が想像する通りの『空飛ぶ巨大なトカゲ』なら、他の種族は気後れして恐怖して、そんな状態では話し合いどころではないのだろう。
「竜じゃなくても、巨人とか、魔獣とか……大きくてかけ離れた姿の種族は、みんな通常サイズの人型を取るよ。話し合いにならない」
「な、なるほど。確かに俺も自信ないっす」
納得した。
すべての種族の姿の平均値を取れば、こちらの世界でも同じように、”人間”となるわけか。
人魚とかエルフとかは人間サイズだろうし。
「悪竜兄弟は……こちらも他の世界でも、ある意味公然の秘密というか」
どことなく言い辛そうなミズリさんに対し、カトレアさんは胸を張って告げる。
「俺たちで姿を晒して表舞台に上がってる奴はいない」
5万人も居たら大変だよな……
「けど、ロザリーとか、他のきょうだいみたいに、大学教授をしてたりするのはいる。警察やら病院やらで働いてるのもいて。おんなじ顔ばっかりで混乱しないように、俺たちの性質はちょっとだけ公開してるんだ」
「でも、どうやったら5万人も?」
俺の呟きに、ミズリさんが観念したように口を開いた。
「かつて星を割った竜の王様が居てね」
「……はい?」
星って……スターの星?
「その竜は恐ろしく賢くて美しくて。ご先祖様である竜神様にそっくりだった。竜神様も恐ろしく綺麗で異様に賢かった」
「はあ……」
少々困惑しつつも耳を傾ける。
「でも、片や神様の方は居なくなってしまうし。片や王様は星を砕いた重罪人。どちらも身動きが取れない」
「……」
「その2人の能力が頼みの綱だったかみさまたちが居たんだけど。居なくなったから、さあ大変」
星を割るほどの威力のある何かを持つ王様と、異様に賢い神様。
頼りにする人が……神様がいても、おかしくはない、のか?
「だから、二人を真似て――再現しようとしたんだ」
「…………はい?」
スケールが想像の数十倍で、受け止めきれない。
「竜と竜。竜と妖精。竜と魔獣。竜と神。竜と妖魔……いろんな種族と竜を組み合わせて、二人のどちらか――あわよくば両方を再現しようとして、運命を折り返した」
「だから、あの子たちはそれぞれ別人でありながら同一人物。……いいや、どちらかって言うと『もしかしたらあいつだったかもしれない』可能性の集合体だ」
「……父母が違うのは?」
「片親の竜に関しては、母だったことも父だったこともある。その竜の時点から、『もし母親が竜だったら・父親が竜だったら』っていう可能性が始まってるんだ」
ミズリさんが言い終えると、カトレアさんが拍手をする。
「わかりやすかった!」
「……自分のことだよ、カトレアちゃん」
「えー。だって俺、そんなの興味ないし……お兄ちゃんとお姉ちゃんと弟妹のことが大好きならそれでいいもん」
「キミらしい」
「……」
呆けている俺の顔を、カトレアさんが悪戯っぽい笑顔で覗き込んでくる。
「驚いたか? 気持ち悪いって思ってもいいんだぜ?」
「物凄い美人だなって思います」
彼女の凄絶な美貌が目の前にある。
「……ふえっ」
カトレアさんが真っ赤になってわたわたし始めた。
笑いをこらえ気味なミズリさんが呟く。
「キミって凄いね」
復活したカトレアさんが胸を張って告げる。
……いま気付いたが、低身長に対する胸囲のボリュームが凄い。
「俺は魔獣と竜。で、判定は魔獣」
「魔獣?」
「魔獣つっても普通の獣じゃねえぞ。『災いを運ぶ不条理』って意味の言葉を再翻訳してそう呼ばれてる」
よくわからなかったので、話が通じそうなミズリさんに視線で助けを求める。
「魔獣って表現がぴったりだったから、こちらの世界で訳すとそうなるんだ。光太がイメージするだろうシルエットとはかなり違う。現に、カトレアちゃんは人型」
「父上が人型だった。他の奴らは違う見た目……ガス状とか液体状とかの不定形もいる」
「へえ。凄い。モンスターみたいな。……あっ」
RPG知識でモンスターと称してしまった。
カトレアさんがふるふると首を横に振る。
「いや、間違ってないよ。こっちの世界のゲームで登場する魔物に近い種族だ。こっちでモンスターのモチーフになった魔物もいる」
「そ、そうなんですか」
ミズリさんが助け舟を出してくれた。
「どんな種族かといえば、まさに“魔王”。カトレアちゃんのお父様は、魔物を支配する王であり神様だったんだ」
「俺はそこの2代目として役目を継いだ」
「その役目をほっぽりだしてここに来たということ?」
「うん!」
「いい返事だなあ……」
俺が呆けていると、ミズリさんは困った顔で教えてくれる。
「見ての通りの子だから、暴走する以外はいい子だよ。……暴走するのが最大のネックなんだけど……」
「……」
カトレアさんは、部屋に入り込んだ蚊をボールペンで貫き仕留めていた。
蚊の退治は非常にありがたい。
なのだが――仕留め方が『テーブルのペン立てからボールペンを出すや否や壁に向かって投擲』であったため、ボールペンは壁に深々と突き刺さった。
引き抜いたのち、少々焦った様子で俺を振り向く。
「悪い。直す」
「直せるんすか?」
「俺の神秘は父さんと同じ。父さんの直弟子だ」
そういえば、オウキさんの神秘分類を聞いていない。
「『修理することにかけては職人技だね』って褒めてもらった」
「それ、明らかに褒められてないんじゃ……?」
根本的な問題としてものを壊さないように教えてやれなかったのか。
カトレアさんは鼻歌を歌いながら壁に向き合い始めた。
俺は思わず呟く。
「竜って……竜ってこう……ファンタジーの王道を行く生き物のイメージが……こんなバイオレンスな人たちとはかけ離れた、落ち着いた格好いい強さがあるのではと……!」
夢が崩れた。
振り向いたカトレアさんが舌打ちする。
「竜だって生きて恋をして子どもを産む。感情もあるよ。……母上を悪く言うな皮剥いでなめすぞクソガキ」
「そういうところが‼」
竜は中指を立てたりしない……!
「うーん……モノホンの竜を見た時のリアクションに期待がかかるね」
「純血のやつ呼んだほうがいい? 手ごろな奴でリナの友達に一人いるらしいぞ」
「あの子の友達ド級だからやめてあげて」
ミズリさんがカトレアさんにチョコレートを差し出す。
カトレアさんは不服そうながら、チョコレートをパクパク食べている。
「竜は、種族としての強さも知能も、人や他の種族と比べれば遥か上位だ。知性がある竜の種族は、大昔の神様から直系で血脈を継いできているからね」
「……」
「それこそ、キミのイメージのど真ん中をいくような、賢くて物静かな強さを持つ竜も居るんだよ。性質が偏った2人しか出会ってないんだし、いきなり決めつけないであげて」
「どっちともの特徴を持ってるんじゃないんですか?」
「そこは人間と同じだよ。お父さんかお母さんの片一方の特徴が色濃く出たり、半分ずつ分け合ったみたいにして生まれてくる子どももいるだろう? それと同じ。この子たちは、種族特性の面ではそれぞれ竜以外の片親の特徴が色濃いんだよ」
「……」
「それに、シェルもカトレアちゃんも、一応……頭は良いよ?」
泳ぎまくった目で言われても何の慰めにもならない。
「もっと常識が欲しいんです……」
「苦労してるね、光太」
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