私はお土産を持って行きます。

 夏の日差しがやわらぎ、ほんの少しだけ涼しい風が吹く。秋の始まりをふと感じさせる良い朝だ。

「ん……」

 アラームをセットしておいたスマホが軽やかな電子音を響かせている。早起きしてジョギングに出るのは翰川かんかわ先生と出会う前からの習慣だ。

 軽やかであってもうるさいことには変わりはないので、俺はアラームを止めるため、就寝中のスマホ置き場にしている棚をまさぐる。

 が、手ごたえがない。……ひとまず起き上がろう。


 目の前に、鹿の頭があった。


 俺は目の前の光景を3回は見直し、その都度、丁寧に凝視した。

 鹿の頭と表現したが、何度見てもそれは正しい。

 鹿自体が家の中に佇んでいるのでなく、断ち切られた鹿の首が何者かの腕に抱えられて、俺に向かって突き出されている。

 首を持ち上げる手はとても白く美しい。

「……」

「アラーム消さないの?」

 甘ったるい少女の声音が聞こえ、棚の端っこに見つけたスマホを手に取る。

「…………。消す……」

「ん」

 鹿の頭で絶妙に顔が隠れている彼女は、大切なことを思い出した人のようなリアクションをして口を開いた。

「あっ。そうだ。お邪魔してます」

 淡々としていながら、どことなく幼い響きのある年若い女性の声。

 見た目は――具体的に言うとシュレミア・ローザライマという人物と瓜二つの顔をした人物だった。

「……あの。シュレミアさん……じゃないですよね」

 髪色は紫に近い赤紫が光が当たるたび艶めく不思議な色合い。

 瞳の色は、ワインを煮詰めたような紫。

 色違いとでも言えばいいのだろうか。

 逆に言うと、髪の色と長さと瞳の色以外すべてそっくりなので、ウィッグ被るなり何なりして、瞳にカラーコンタクトを入れれば変装が容易いのだが……

「?」

 雰囲気が別人過ぎる。

 これでシュレミアさんだと言われたら『何か悪いものでも食べましたか?』と反射的に聞いてしまいそうだ。

「俺はシュレミアだけど」

「おおおぅ……」

 やばい。

「シュレミア・R・サリュゼ・カーティレグ」

「! え」

 ファミリーネームが違う。

「お前、ロザリーと知り合いか?」

「ろざ……?」

 ロザリー。

 ……ローザライマのもじりか!

「知り合いかどうか言え」

「ローザライマのシュレミアさんとは、一応知り合いです」

「ふうん。やっぱりそうか」

 なぜか彼女は嬉しげに微笑む。腕に鹿の頭を抱えたまま。

「俺はシュレミアだけど、名前が被ってるから、カトレアって識別にしてる。お前もそう呼んでいいぞ」

 そこはかとなく偉そうだが、ツッコミを入れても通じないことは予想できるので、素直に了承した。

「カトレアさんですね」

「うん」

「で、改めて質問なんですけど」

「ん。何でも聞け」

 お言葉に甘えて、なぜか上機嫌なカトレアさんに問いかける。

「……手に持ってるものは? ずいぶんリアルですね」

 なんとなく獣っぽい独特な匂いが香ってきているため、はく製や作り物については素人な俺でも一目で本物であるとわかる。

「鹿さんの頭。本物だぞ!」

「見ればわかることを聞いてるんじゃなくて」

 だめだ皮肉が通じない。

「何で鹿さんの頭を抱えた状態で俺の家にいるのかなってことですよね」

「最初からそう聞けよ。まどろっこしい奴だな」

 なぜか呆れられた。

 何だこの居直り強盗。強盗じゃないけど。

「俺は鹿さんをしとめて、肉を処理してきた。残ったのは頭だ」

 なるほど。

 どうやって鹿をさばくかなど知らないが、皮や肉やらを処理したのならば、食べる部位がなさそうな頭が残るのも納得だ。

 しかし、何の理由にもならない。

「その理論はわかるんですけど。何で俺の家にいるんですかね?」

 話が通じないのは、結局はこの人も人外だということか。

「何でって……むしろ何でお前ここに居るの?」

 物凄く不思議そうな顔をされた。

「俺の家だからですけどね! っつーかほんとに通報しますよ!?」

「つーほう。困る」

 手に取っていたはずのスマホが、カトレアさんの手の中に納まっていた。

「⁉」

 抜き取られた感覚さえなかった。

 なんだっけ、これ。無刀取り……?

「あ、ご、ごめんなさい」

 奪い取ったと思ったらすぐに返してきた。

 なんだか、この人が何をしたいのかわからない。

「……何なんすか」

「俺が触ったら機械壊れちゃう」

 電源を入れたが、特に異常はない。

「大丈夫ですよ。触っただけなんだから壊れませんって」

「そうか? 時間差で爆発するかもしれないぞ」

「……」

 フォローを無に帰すのは人外の得意技なのか。

 冗談と思いたいが、悲しいことに、彼ら彼女らはこういうときにばかり真剣な顔をする。

「そのときは、買い替えにかかる分弁償する」

「一応、気をつけときます」

 疲れたため息を吐き出すのにのせて、俺はもう一度問いかける。

「どうして俺の家にいるんですか?」

 こうなったら、答えてもらえるまで粘ろう。

「ん。お前はひぞれの知り合い」

 翰川先生の名が出てくるのは半ば予想通りだ。

 ここまで強烈な人外となると、彼女の友人である可能性は8割超えだろう。

「…………。そうですけど」

 なぜ俺が知り合いだと断定しているのかは気になるが、この人についてのことは、名前以外ほとんど何もわからない。よって諦める。

「今回、俺が北海道に来たのはお忍びだ。こっそり抜けて来たから、職場にばれたら怒られる」

「それはそれでどうなんだ……」

 堂々としたサボり宣言。

「仕事は終わらせてきたぞ。なんでか俺が勝手に出るとうるさいんだ。一部にしか知らせてこなかった」

「……みなさんに伝えてから来ればよかったんじゃないですか?」

「言ってもうるさい。なら、早い方がいいだろ。本題に戻る」

 このセリフをずっと脱線し続けていた人に言われると……何とも言えない気持ちを味わえる。

「いまの日本は秋だ」

「ですね」

 正確に言うと、秋になりかけの夏だが。

 夏休みも残り2週間だ。

「お前はリナとも知り合い」

「りな?」

 聞き覚えがあるような?

「リナリア。……リーネアの方がいいんだっけ?」

「あ」

 リーネアさんの名を出されて、この謎の人物とリーネアさんとが一つの線でつながった。

 どことなく淡々とした無邪気さのある口調。

 『ふうん』という口癖。

 皮肉が通じない不思議な精神構造。

 そして、突飛な奇行――

「……妖精さん?」

「ん。ある意味そうだ」

 カトレアさんが笑い、それから、俺に頭を下げて頼み込む。

「悪いが、リナに連絡してほしい。俺は機械壊すから」

「わかりました」

 機械を壊してしまうとの自己申告が本当なら、連絡手段はないのだろう。

 リーネアさんの連絡先は持っているし、ここは親切心で。……親切心で、勇気を出して電話をかけよう。

「ちょっと待ってくださいね」

「うん」

 アドレス帳の中からリーネアさんの名前を探す。俺の友人・知り合いで”ら行”は珍しいので、すぐに見つかった。

 電話番号に指をかけ、タップ。

「……」

 耳に当てて音声を確認する。

 リーネアさんの性格からいって、俺を着信拒否している可能性は大いにあったが、幸いその手のメッセージは聞こえてこなかった。

 トゥルルというコール音が周期的に聞こえ、しばらくすると『電源が入っていないか電波が届かない……』というメッセージに切り替わった。

「通じないですね」

 カトレアさんに言うと、彼女が少ししょんぼりする。

 妙に可愛い人だ。

「んー……そっかあ。せっかくお肉届けに来たのに、残念」

「お肉?」

 彼女がずっと抱えている鹿の頭に目がいく。

「まさか鹿肉?」

「うん。紅葉肉っていうんだぞ!」

 この人は猟師なのかな?

「……いやまあ、肉についてはいいっす。俺が駄目なら、俺よりリーネアさんに詳しい人たちのとこに行きませんか?」

「詳しい人?」

「はい。俺の家の真下に住んでます」



 カトレアさんを伴って家の外の階段を降り、真下の部屋を訪ねる。

「え、翰川先生居ないんですか?」

 俺が思わず聞き返すと、応対してくれたミズリさんがこくりと頷く。

「済まないね。今日の家庭教師は難しいと思う」

「いや、それはいいんですけど……」

 翰川先生が朝早くから起きて活動しているなんて、珍しい日もあるものだ。

「京ちゃんに頼まれて出てるんだ。慌てて飛び出していったから……って、そちらは……」

 俺の背後で見えなかったらしい。

 カトレアさんが俺の前に出てきて、無邪気に挨拶する。

「ミズリだ。おはよう」

「……おはよ、カトレアちゃん」

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