#1 FtoC

新入りの名はF

 石畳を靴底が叩く音とバックパックを背に明るい茶髪をボブカットにした少女は、この街の名物観光地に向かっていた。

 ドイツ、ブラウンフェルス。辺境だが歴史を感じる作りの街。和洋の違いこそあるが彼女が学生時代、修学旅行で行った京都の街並みと趣が似ていた。

 だが、今はあのときのように旅行や観光でやってきたわけではない。


「ここかぁ、おっきいなー」


 それは御伽噺の絵本から飛び出したような現実感のない建造物。石造りの城、ブラウンフェルス城。

 街の雰囲気が現代離れしているのも相まって、自然と周囲の空間に溶け込んでいる、それに思わず何百という時を越えたような気分になってくる。

 そんな雰囲気もあってか、少女は日本との違和感を強く感じていた。


「こんなとこで気圧されてちゃだめ、頑張れ私、大丈夫、キャシーが付いてくれてる」


 修学旅行でプレゼントしあった互いを彷彿とさせるモチーフのヘアピン。

 少女が持っているものには猫のシルエットが象られていた。それに触れて、彼女が思い出すのは、別々の道をたどることになった親友のことだった――


……


「やだよぉぉぉぉお! キャシーともっと一緒にいたいよぉ!」


 少女は寮を出払う準備を整えているルームメイト、キャシーの邪魔をするようにしがみついた。

 キャシーはそれを振り払うでもなく、そっと回された腕に触れ、やさしく胸元に寄せる。


「私だって、アナタともっといたいよ。けど、私には夢を追うための場所がある。アナタにはアナタの力を期待されている場所がある。目の前にはそれぞれの道が出来てしまったの」


「でも……でも……!」

「フィル。大丈夫、たとえ離れ離れになってもね、この三年間のアナタとの思い出はちゃんと私の胸に残ってる。その証もアナタから貰った」


 キャシーの光沢を持った黒い髪に仔馬のシルエットのヘアピンが煌いている。

 はしゃぎたい盛りのじゃじゃ馬みたいね。とよくキャシーに言われていたため少女――フィルが学生としての最後のイベントである修学旅行の際に手渡したものだ。


「アナタの胸にもちゃんと残っているでしょ? それとも、もう失くしちゃった?」

「ううん……ちゃんと持ってる。キャシーから貰ったもの全部! ヘアピンもちゃんと失くさずに持ってる!」

「なら、私達はどれだけ遠く離れても、ずっと今までと変わらず一緒にいられるはず。会えるって信じていたら、またいつでも元気な顔を見せ合えるはずなんだから」

 

……


「――こんにちは。アナタが新しくウチに配属された子よね」


 壮観な城をぽけーっと口を開けた間抜け面で眺めている少女に、城の方から現れた背の高い北欧系の女性が流暢な日本語で声を掛けてきた。

 その女性はスラっと細長いスタイルでピシッと制服を着こなし、長い白金の髪を邪魔にならないよう短く纏め上げていた。


(ものっそい美人さん……ないすばでー、モデルさんみたい……あ、いや、そうじゃなくて……)


 再び呆けそうになった少女は本来の目的を思い出し、彼女の制服の胸章を確認する。

 天秤の象徴とNNNの文字。間違いなく今日から少女が働く組織NNN第三機関の制服だ。


「あ、はい、私がそうです! 本日からお世話になります。わたしは――」

「ストップ、ストップ、そういう業務関係の話は中でね。一応、ウチは秘密な部分が多いとこだから……。こっち、付いてきて。職場まで案内するから」


 先輩となるであろう女性に往来で敬礼をしそうになった少女を慌てて押さえ込み、そのままの彼女は流れで手を引いてその場から連れ出した。

 それにしても、まるで長期間日本で暮らしていたかのように自然な日本語だ。どうみても西洋系の人なのに。と、呑気に考える少女。 


「あの~、私に合わせて日本語にしていただかなくても大丈夫ですよ。私、英語もドイツ語も話せるように訓練を受けきましたから」

「あら、訓練課程にそんなのあったの? 心配しなくてもウチのボスが日本人だから組織内の共通言語は日本語なの。むしろ、日本語の方が私は慣れちゃったかな、だからここではアナタも無理にドイツ語やら英語を使う必要はないわ。もちろん、相手に合わせて使う言葉を選ぶのは悪いことじゃないけどね」


 まるで学生時代からの先輩のように気さくな人だと少女は思った。

 無理して空気を作ってるわけではない、彼女が持つ雰囲気が周りを調和していく、そんな感じの温かさを与えてくれる女性だった。


「こっちには今日着いたの?」

「あ、はい。そうです」


 女性の魅力に心を奪われていた少女は、声を掛けられ現実に引き戻される。


「そう、それじゃあせっかく観光地なのにまだ街を見て回れてないのね。今日は簡単な登録と入寮だけだから午後から少し見て回る? それとも、長旅だったから疲れてる?」

「少し見て回ろうかなって思ってます。私、どこでもどんな体勢でも休めるのが特技で、日本からここまでの旅路もちょくちょく乗り物で休んでたので、疲れは残ってないんですよ」

「それは頼もしい特技ね。それじゃ、パパッとすませましょう。……と、ここよ」


 待ち合わせ場所から本当に少しだけ歩いて女性は足を止めた。

 あまりにもすぐに辿り着いたため少女は視線を女性から周囲に切り替えると、そこは――


「え、ここって……」

「そう、ブラウンフェルス城。この街のシンボル」

「どうして、こんな目立つ場所に、わたしたちは秘密な部分が多いって……え、えぇ」


 そもそも観光名所として一般公開しているお城を公的機関の拠点にしてもいいものなのだろうか、など、色々気になることが多すぎるのだった。


「正確にはここの地下よ。私達の拠点場所は公開情報じゃないから出入りには細心の注意を払ってね。今は私についてくるだけでいいけど後から教える道順で必ず中に入ること」

「は、はぁ」

「それじゃあ歓迎するわ。ようこそ、絶対中立の砦、NNN第三機関『ノーバディ』に」



「さて、自己紹介が遅れたわね。私は『B』のベル、ベル=カウント。ここでは所長補佐と人事部長、その他デスクワークを担当しているわ」

「よろしくお願いします! 私は『F』を与えられました。暗号名コードネームはフリー=グラスです!」


 あれよあれよという間に第三機関の事務所に通された少女ことフリーはベルの対面に座り、緊張とは無縁の力強い敬礼を構える。

 彼女ら第三機関の構成員には加入した順にコードネームの頭文字イニシャルをAから順に割り振られる。つまり、ベルは二番目に加入したメンバーということになる。

 ちなみにボスは番外扱いらしい。


「聞いてた通り、とっても明るい子ね。自己紹介もそこそこにして書くものとか、ぱぱっとすませちゃいましょう」


 そう言って、ベルは丁寧に書類の説明をし、言われるがままにフリーは署名していく。そんな書類の中で一枚気になるものをフリーは発見した。


「バディ登録用紙?」

「あ、それはね、ウチのバディ制度に関するものね。もうボスから説明は受けてると思うけど、第三機関の主な仕事はNNN共通の業務である治安維持活動と専門業務である諜報、そして粛清。それらを遂行するためにあらゆる場所に様々な顔を使い分けて私達は潜入する」


 フリーは覚悟を決めてはいつもりだったが、改めて実感を持った。

 かつて学生時代に使っていた名前、年齢、国籍、それらはもう存在していない。それは第三機関全員に共通していることだ。もし殉職しても墓石にその名を刻まれることはない。

 常に自分ではない何者かを演じるがゆえに何者でもない、ゆえに『正体を持たないモノNobody


「このシステムには少し構造的な欠陥があってね。実在しない人間の嘘の経歴を使うから、それまでの『足跡』がないの」

「足跡……」

「もし、あなたが演じている人物がいなくてはならない場に業務の都合でいないとき、言い訳や辻褄合わせのためのが必要になってくるの。けど、足跡を刻みつけてない空虚な存在である私達は嘘の過去を言い訳にしてもボロが出やすい。だから、互いを友人、恋人、親子、兄弟姉妹といった口実に使うことを認め合った『バディ』を組むことになっているの」


 なるほどと納得したフリーは登録用紙に二つある記名欄を見るとどちらもまだ空白のままだった。


「明日、顔を合わせも兼ねてバディになる予定の『C』の元に向かってもらうわ。そこで彼女の名前を記入してもらってね」

「……」

「相手が決まってるんだから、先に書いといてよ。とか思ったでしょ?」

「えっ!? 顔に出てましたか?」


 用紙を黙って睨みつけるフリーの横顔は誰が見ても不可解そうにしているように見えただろう。

 あまりにも考えが顔に出すぎている。これは弱点になりそうだ、とベルはにこやかな笑顔のまま、心のメモにしっかりと書き込んでおくことにした。


「言いたいこともわからなくもないけど、これはボスの方針なの。『たとえ偽りの名前だったとしても自分で相手に名乗ることに意味がある』ってね。新しい子が来たら、私達は全員の自己紹介が終わるまで他のメンバーを頭文字でしか呼ばないようにしてるの。だから、早いこと全員と挨拶を済ませるようにね」

「はい、頑張って早く皆さんと仲良くなりたいと思います!」


 フリーは元気一杯に敬礼と返事をし、にっこりと笑う。

 ベルは相変わらずボスの暗号名ニックネームのセンスは相手の特徴を捉えているな、とフリーの第一印象を受けて思った。

 直接的な名前を避けたがるボスが彼女名前に込めたイメージは、草原を自由に駆ける『風』といった具合だろう、と。


 ただ、この子の朗らかさを持ってしても全員と仲良くは難しいだろうな、とも思っていた。

 『彼』の頑なな心は開くことは出来ない。

 ベルはそのことだけは間違いないと確信していた。

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