ある魔法使いの苦悩48 大きなトレント
そんなバカな!
トレントは弱い魔物とはいえ魔物は魔物だ。精霊のトレントはこちら側にあまり姿を見せることはない。姿を見せた時点で魔物のトレントと特定できる。それがこの狭い範囲に二体もいるなんて。
ここは町人も日常の採取に訪れる場所だ。魔物が徘徊していたらそれどころではない。つまり、普段はトレントなんて現れていないはずだ。
だが、今はその理由を推定している場合じゃない。サラが危ない。
「サラ、こっちに走って来るんだ!」
「うん……」
サラは大きなトレントを気にしながら私に近付いてくる。すぐに合流することができたが、さっきより状況が悪化していた。前後両方をトレントに挟まれた形だ。逃げることすら厳しい。
「これは、もう戦うしかないな」
「それならわたしも」
「サラは戦えないだろう?」
「ファーレンだって戦えないでしょ」
「私は大丈夫だ。もちろん戦士じゃないし、攻撃魔法も使えない。でも、冒険ができる魔法使いと言われている。こういうときに力を発揮できるからこそ、そう言われているんだよ」
なーんてカッコつけたが、解決するあてはない。とにかく頼れる武器はこのナイフ一本だ。
大小どっちのトレントに対処するべきか。タレ目でツルをひゅんひゅん振り回すだけで一定以上の距離に近付かない小トレントのほうが相手をしやすそうだ。大きなトレントはまず顔が怖い。木のホロがもの凄いツリ目で悪魔の形相だ。腕となる枝も太いし、根もごついしそもそも背が大きすぎる。私が敵う相手ではない。
「ファーレン、危ない!」
私が小トレントをどう切り崩そうかと思案していたら、いきなりサラに突き飛ばされた。
直後に私がいた場所を、まるで丸太が落ちてきたような衝撃が襲う。大トレントの腕による打撃だ。危なかった。サラが気付かなければ一瞬でペッタンコになるところだった。
「サラ、助かったよ! ……ったく、こっちのトレントは攻撃してくるのか」
目標を取り違えていた。小トレントは攻撃をしてこないのだから、この際無視しても影響はない。だが、大トレントはそうではなかった。いきなり攻撃を繰り出してきたし、第二波第三波の用意も始めている。
「こいつは難易度の高い案件だ」
私はナイフを構え、とにかく来る攻撃を捌くことに専念する。正直、途方もないプレッシャーだ。これはストーク君でも苦戦する相手じゃないのか。
「どうしてわたしたちを攻撃するの!」
サラが大トレントに問いかける。ギロリ、木のウロがサラを向く。口のような穴も空いているが、あくまで穴であって口ではない。当然のようにサラの問いかけは無視される。
「本当にそこが謎だな。可能性としては侵入者の排除くらいしか思い付かないが」
「わたしたち、トラさんを助けに来ただけなのに」
「まったくだ。私たちを追い返したって良いことはなんにもないって教えてあげたいくらいだよ」
もちろんそれができたら苦労はない。最低でも大トレントはなんらかの対処をしなくてはいけない。倒すのが一番だろう。攻撃された時点でこちらも自衛をしないわけにはいかない。
ナイフ一本で戦う研究者か。これで勝てたら吟遊詩人に売れる物語になるな。
「さて、どうしてもんか」
大トレントの第二撃があっさりと飛んできた。さっきが右腕なら今度は左腕だ。巨体から繰り出されるそれは、破壊力こそ抜群だが速度はそんなに速くなかった。見えていれば私でも充分に避けることができる。
とはいえ避けるだけではジリ貧だ。サラもいることだ、長期戦は避けたい。
大トレントが右枝を大きく振り上げる。またあの攻撃か。私は左右どちらに裂けるかを決め、右手に踏み出そうとした。だが、足が動かない。視線を向けると、木の枝が左足首をぐるりと取り囲んでいた。伸びている先は大トレントの根。
「ファーレン! 足が!」
「サラ、離れているんだ!」
これは避けられない。わざとなのか、大トレントの右腕はゆっくりと振り下ろされようとしている。巨木の樹人である大トレントの攻撃はその速度でも落下の勢いが加算される。打ちどころが悪ければ無事では済まない。
私は左足を軸に前方へ突っ込んだ。すんでのところで大トレントからの直撃を避けた。ただし、固定されていた左足がネックとなり私は派手に転んでしまった。
「だいじょうぶ!?」
サラが駆け寄ってくる。いかん、こっちは危険だ。だが、私も倒れたままでは大トレントの攻撃をこれ以上避けることができない。やむをえずサラに助け起こされる。
「足、どうしよう……」
「ちょっと待っててくれ」
私はナイフで自分の足に絡んでいる根を切った。切断したことで足首からほろりと解け落ちる。
しかし、攻撃をしながら逃走を同時に防ぐなんて魔物にしては頭が回る。森の中だと向こうの攻撃は偽装されやすい。魔力感知ができないだけで、こうも苦戦させられることになるとは。
「……ちょっと危険だけど、思い切って大トレントに真っ向から向かって行き、横をすり抜けて背後に抜けられればこの場を切り抜けられるかもしれない。確証があるわけじゃないが」
「でも、他に方法がないんでしょ?」
「残念ながらね。戦えないし、後ろには逃げられない。なら前に逃げるしかない。そういう単純な発想だよ」
まったく勝算がないわけじゃない。トレントもあそこまで大きくなるとやはり動きの鈍さがネックとなる。そこを逆手に取ってピンチをチャンスに変える。
あえて大トレントに突貫することで、そのまま走り抜けてアドバンテージを活かせばかなりの距離を稼ぐことができるだろう。確実にその後迷うが、トレントから逃げながらマップを作るなんて芸当はできない。
「せーので行くよ。サラは私の後ろを追いかけてくれ」
「わかった」
私は足に力を込める。その間にも大トレントの攻撃がまたひとつ振り下ろされた。乱雑に振ってきているだけだが、攻撃の度に地面に凹みが生じるほどの威力だ。
攻撃の隙を見極め、サラに合図を送ろうとした――そこで私は背中に受けた強い衝撃にもんどり打って倒れた。
「きゃああー!」
視界にサラが木の枝に弾き飛ばされている姿が映った。
「サラ! いったい、何が!?」
私は完全に油断していた。大トレントの攻撃に集中していた。攻撃は背後から来た。私とサラを視界外から攻撃できる存在なんて、たったひとつしかない。
振り返った私の視界にツルと枝を伸ばしたタレ目のトレントが映り込んだ。
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