ある魔法使いの苦悩28 池の奥

 ストーク君を誘導するドラゴンのこどもは、池の奥――切り立った崖の近くまで浮遊していく。こちらから向こう八割くらいの距離でその動きを止めた。


 しばらくそのまま静止していると、その姿がフッといきなり消えた。


「あっ!」


 サラもそれに気づく。


 ストーク君が周りをキョロキョロと見回しているが、彼の近くの別の場所にいるわけでもなさそうだ。


「ファーレン先輩!」


 そして、こちらに向かって声をかけてきた。


「今から水中を探してみますので、地上で変わったことがないかを見ておいてもらえますか!」


「わかった! ストーク君も気をつけて!」


「はい!」


 そして、大きく息を吸い込むと、ザブンと池の中へと潜っていってしまう。


「あたしのもそうですけど、ストークの着ている白衣は水中でも動きを阻害しない魔法がかかっているから、溺れたりとかはないと思うんですけど」


 一拍置く。


「でも、さすがにちょっと広すぎですよね。あたしも手伝ったほうがいいような気がしてきました」


「それだったら私が手伝うよ」


「ファーレンさんの白衣はただの白衣だから、魔法での保護がないと身体が冷えちゃいますし、長く水中にいることもできないじゃないですか」


「……まぁ、そうなんだけどね」


 私も支給された白衣を持っているには持っているが、魔法の研究開発がうまくいっていないせいもあって、自信を持ってそれを着れないでいた。新魔法研究所のメンバーであることは誇らしいのだが、自分の力量がそれに見合っていない気がして、同じ格好でいることが恥ずかしくなった時期に、私は自分で買った白衣を着るようになった。


 魔法防御もない。特別な機能もない。真っ白で清潔感だけはある、普通の白衣だ。


 世界には魔物が存在しているが、冒険者やこの国の騎士団や魔法兵団が討伐をしている。暮らしていくだけなら戦闘が起きることもほぼないので、魔法防御も物理防御も特に必要がなかったというのもある。


 魔法がかかっている特典として寒暖の差の影響を受けにくいことや、水を吸い込まないので川や沼を突っ切る必要がある際には、あるとないとでは結構違ってくるが。


「魔法使いの身として言うのはおかしいけど、必ずしも魔法に頼らなくても意外となんとかなるもんだよ」


「本当におかしいこと言ってますよ」


「ははっ」


 アメリア君は、はぁーと大きくため息をつく。


「ファーレンさんもちょっと変わってますよね」


「……かもね」


 最近は魔法の研究開発の失敗も減ってきた。サラが近くにいることで私の中で何かが変わったからかもしれない。だとすればそろそろ魔法の白衣を着て、新魔法研究所の一員として自信を持ってもいい頃合いなんじゃないだろうか。


 他にも仲間を作ったり、誰かを頼ったり。できることややれることの幅が広がれば世界が大きく広がることだろう。


 たった一歩。今までとは違うことをする。それを一歩、また一歩と繰り返す。


 小さな一歩かもしれない。でも、少しずつそれを繰り返すことで、振り返ったときに自分がどれだけの歩みを続けているかに気づかされるのだ。


「今度、またこんな機会があったら、そのときはちゃんとした白衣を着てくるよ」


 アメリア君は私を真っ直ぐに見据え、


「ぜひ、そうしてくださいね」


 ニッコリと笑う。



 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆



「ファーレン先輩!」


 ストーク君が水中から姿を現し、かなり速いスピードでこちら側に泳いで向かってくる。


 彼は岸に辿り着くと、水中からとは思えないほど身軽な動きでサッと地上に上がった。


「池のかなり深い部分ですが、奥へと続く空間がありました。さすがにそのまま行くのは危険があるかもしれないので、一度報告に来たのですが」


 ストーク君はさっきまで泳いでいたはずなのに息も切らさずに、私に成果を述べるとともに判断を仰いできた。


「どんな様子だい?」


「ここからでは切り立った崖に見えますが、水中に当たる部分には傾斜がかかっています。岸の近くはいきなりかなりの深さがありますが、逆に奥に向かうにつれて底は浅くなっていました」


「そういう造りになっていたのか」


「はい。それで、その一部が小さなトンネルのようになっていました。もしかしたら、崖の下に空間がある可能性があります」


「崖の下の空間か。まるで隠し部屋のようだな」


「たしかにそんな感じかもしれないですね」


 山の中腹にある大きな池。そして切り立った崖の下にある空間。ドラゴンのこどもが消えたのもちょうどそのあたりなのかもしれない。


「俺がまた行ってきましょうか?」


「そうしてもらいたいのはやまやまだけど、今回は私も一緒に行こう」


「ファーレン先輩がですか?」


 驚きすぎでは?


「まぁ、気になるって部分が一番大きいんだけど、何があるかわからないところにキミひとりで行かせるわけにはいかない。元々私が所長から依頼を請けている案件だしね」


「そこまで気負わなくても。俺のほうがこういう体力を使うことは向いているだけですよ」


「私も今日はだいぶ休ませてもらった。ここらで活躍しておかないと、ただの年寄りみたいになってしまうからね。大丈夫、ダメっぽかったらキミに任せるから」


 ストーク君はノータイムで人のいい笑顔を浮かべた。


「わかりました。では、いっしょに行きましょう」


 そして、アメリア君の方を向く。


「というわけで俺とファーレン先輩はこれから池の中にある空洞の奥の調査に向かう。アメリアはサラさんをちゃんと守っておいてほしい」


「任せて」


 アメリア君は、親指をピッと立てて”いいね”サインで返事をする。


「ファーレン」


「どうした、サラ?」


「気をつけてね」


「うん。無理はしないよ」


 こうして、私とストーク君は池の奥へと向かうことにした。

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