2ー3

 時計塔は近づけば近づくだけ巨大に見えた。見上げていると、首が痛くなる体勢に自然となっていった。


「おいおい、首が痛くなっても知らないぞ、少年」


 無意識のうちにそのような姿勢を取ってしまっていたキズタは、その言葉にハッとして少しだけ照れくさくなった。

 対してルシラは、微妙な表情をしている彼の横で大きく手を振った。

 突然の行動に面食らったが、その年不相応な動きは妙に彼の羞恥心をくすぐった。周りの視線を気にしてしまう年頃なのである。


 しばらくすると、時計塔から『有翼族エンジェル』が降りてきた。空から下ってくるその光景は一種のお伽噺である。淡い紅蓮の粒子がその翼から散っていた。


「なんだ、ルシラじゃないか。今は見ての通り仕事中なんだ、邪魔はしないでくれよ」


 赤い翼とは正反対の冷たい声で、彼ないし彼女は言った。


「いいじゃないか。オレとアンタの仲だろ?」

「どんな仲があると言うんだい? あったとしても、それは腐り落ちているね」

「じゃあ、オレが拾ってきてやろう。んで、その鎖を融かして溶接してやろう」

「たく、ああ言えばこう言う。君は相変わらず口が達者だね」

「ありがとう」

「皮肉だよ、馬鹿。……んで、その子は何だい? いつから君は従者を従えられるほど立派になったのさ」


「別にオレのじゃないさ。アンの従者さ」

「へー、あのお嬢さんの」


 会話で以て二人だけの世界に没頭していた二人は、そこでキズタのことを思い出したように見た。


「あ、えと」


 あまりにも、急に二人の視線の下にさらされてしまったので、思わず硬直してしまった。


「どうも、お初にお目にかかる。ハラリエルと申すものだ。見ての通り『有翼族エンジェル』だが、以後お見知りおきを」

「間森築太です。その、こちらこそよろしく……お願いします」


「君、本来はそんな喋り方ではないんだろう? 僕はね、別にそういう喋り方を強要しないから、好きにしてくれて全く構わないよ」

「そうだぜ、こいつは【使命】を果たしたことのないヘボなんだ。そんなにかしこまらなくてもいいさ」

「しょうがないだろ? 僕の【使命】はこんな安泰な世には不釣り合いなんだからさ。しかし、一度もは言い過ぎだぞ? 小さいものであれば度々している」

「【使命】……?」


 聞き慣れない言葉をキズタはオウム返しする。


「そ、【使命】。説明するの面倒だから本人から直接聞いてくれ」

「誰かに投げ出すのは、君の悪癖だよ全く。……あ、いや、君から悪癖を取ったら何も残らなくなるか。すまない失言だったよ」

「うっせ、誰がアイデンティティ悪癖じゃ、ボケエ!」


 おそらくは今日一番、汚い言葉遣いがルシラから飛び出したところで、それを無視するようにしてハラリエルは喋り出した。


「そもそもね、【使命】というのはある種天命に近いものなんだよ。『有翼族エンジェル』には生命という概念がないことは知っているよね? あれはね、実際は違うんだよ。僕達にだって寿命はあるんだ。ただ、全うできないだけなのさ。どういうことかと言うと、天命というのは、一生をかけてやり遂げる役割という意味だよね? 逆に言えば、一生を終えるにはそれをなさなければならないということにもなるんだ。つまりは、そういうことで、僕達は【使命】を果たすまで生きていなければならない呪いにかかっているのさ。それでその【使命】はおそらく永遠に果たされることがないんだ。だから、僕達は概ね不老不死みたいな扱いになるんだ。……あ、すまない。いつの間にか不老不死の理由について話してしまっていたね。いやはや、申し訳ない」


 そこでハラリエルは一呼吸置いた。


「つまり、【使命】というのは我々の悲願なのさ。いつか全てを行い、この世から解放されるまでの、ね。ちなみに、僕のは【警告】と言ってね。文字通り大災害の前ぶりなんかに皆に警戒を促せるのさ。もっとも、今では千里眼で四ノ国を見て、時間を計り、それを詠んで知らせるだけの存在に成り下がってしまったがね」


 ハラリエルの理解できた? という視線に彼は頷きを返した。完璧にはほど遠いかもしれないが、何となくの大筋は理解できているはずだ。


「君はなかなかに頭のいい子だ。やはり結婚適齢期をみすみす逃した女とはわけが違うね」

「おい、それはセクハラだぞ?」

「何だって? 君は女性だったのかい!?」

「そろそろぶっ殺すぞ、テメエ!!」


 最初にハラリエルが言っていた、口が達者だねという言葉が思った意味とは違う意味の高度な皮肉であったことに、キズタは今更ながら気がついた。


「はっはっは! 君も、淑女であろうとするならば、こうはなってはいけないよ。あれは女に生まれた男だからね。人間はみな、心の中に獣を飼っているという話をどこかで聞いたけれど、彼の場合もっと雄々しい何かさ。知ればのけ者にされるに違いない」

「なあ、殺してもいいよな? いいぜ。よし、満場一致で殺す」

「一人芝居もここに極めり、だねえ」


 ハラリエルは皮肉な笑顔を浮かべたまま、放たれた剣先を受け止めた。人差し指と中指での白羽取りである。力量は互角のようでギリギリと拮抗していた。


「そもそも【警告】が【使命】である僕に不意打ちが通じるわけないだろうに。その行為は数秒前に警戒済みさ」

「ッチ……! でもまあ、流石にこうなるのは知っていたぜ。あ、そういえばなんだけど、知ってたか、コイツ男なんだぜ?」

「――――はぁ?」


 瞬間、今までの均衡が崩れた。


 ツルッと滑った両刃の片手剣はそのままハラリエルの掌を引き裂いた。


「痛タタタッ! 不老不死でも、痛みは残るんだぞ? 全く、酷いなあ」

「それだけのことを言ったんだよ、アンタは。今度は口が利けないように胸にでも刻もうか?」

「それは勘弁、勘弁。というか、君本当は男だったのかい!? いやあ、信じられないなあ。……あ、本当だ、絶壁だ。全くないわ」


 ハラリエルは、そう言って左手でキズタの胸に触れた。そして、もみしだき始めた。

 昨日の悪夢の再来である。


「ひっ!」


 嫌に高い声が彼の口から漏れた。キズタは自分の出した声の気持ち悪さに思わず吐血しそうになる。


「だから、セクハラしてんじゃねえよ!」


 彼を守るように飛び出された右腕が、ハラリエルの顔面へと飛ぶ。正直、昨日のルシラ自身にも聞かせてあげたい言葉であった。

 が。

 ハラリエルはそれをあっさりと避けた。


「避けんじゃねえ! 冗談は名前だけにしておけ!」

「ははあ、上手いこと言うね」

「はあ? どういうことだよ」

「親父ギャグだよ、親父ギャグ。僕の名前ハラリエルと『はらりと避ける』を掛けたんだろ? いやあ、実に高度で失笑もののギャグだよ」

「馬鹿にしてんじゃねえか!」


 ルシラは吠えて、剣を振ろうとしたが、その前にハラリエルは宙へ浮かんだ。流石に空中に逃げられるとルシラとしては手も足もでないらしく、その場で二の足を踏んだ。


「悪いね。そろそろ仕事に戻らないと本格的にヤバそうだ。もしかしたら時刻が経過しているかもしれない。全く、君のせいだからな、ルシラ。……でも、まあ、いい暇つぶしになったから一つプレゼントをしておこうかな?」

「ああ? プレゼントだぁ? んなもんいらねえよ」


 ルシラはそう啖呵を切ったが、ハラリエルはどこ吹く風と言うように言った。

 否、警告した。

 そこに表情はなく、声も冷たいを通り越して凍っていた。


「――警告する。君には、しばらくのうちに何かしらの破滅が待ち受けている。繰り返す。何かしらの破滅が待ち構えている。

 ……とまあ、こんな感じだけど、僕は上から君達を暇な時にでも見ているから、頑張って逃れなよ。あ、どんな破滅かは流石に言えないから、そこはご容赦願おう。

 では、さらばだ」


 そう不吉な贈り物を残した後、ハラリエルは表情をもとに戻して上空へと消えていった。翼の火の粉がさながら雪のように舞い落ちる。


「はあ? 何だアイツ」

「さ、さあ?」


 突然の温度差に困惑するキズタの横で、ルシラは少し考えるような仕草を見せた。


「破滅とは大げさだな。世の中はこんなに平和だというのに」


 誰に聞かせるために言ったものだろうか、彼女の声は誰の同意も得られないまま空中で、炎の鱗粉と混ざり合うようにして消失した。

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