ボクと彼女の異世界譚 ―零ノ国―
現夢いつき
序章 使い魔は異界に招かれる
1-1
「……どこだ、ここ?」
見知らぬ土地にて、少年が初めて喋った言葉はそんなありふれたものだった。
宮殿とでも言うべき巨大な建造物に、それを取り囲むように作られた塀。彼はそれらの間に広がっている芝生にいたのだった。――いわゆる女の子座りをしながら。
気がついた瞬間、彼はバッと姿勢を正した。
可愛らしい女の子がやるぶんにはいいのだが、自分のような男がやるにはその体勢はいささか見苦しい。――彼は自分の性別を考慮してそんなことを思ったのだ。
しかし、こんなものを誰にも見えなくてよかった。内心ホッとしつつ、しゃがんでこっちを見ていた誰かと目が合う。
それは赤い少女だった。
赤い髪の毛に赤い瞳。その上、着ているドレスまでも赤だったのだ。これを赤い少女と表さずして、何を赤い少女と言おう。
だが、次の瞬間には彼はその言葉を取り消していた。
純白の右目。――それが彼の感想をひっくり返したのだ。
赤い左眼と白い右眼。ならば、彼女はオッドアイの少女と呼ぶことにしよう、となるのが一般的な思考のような気もするが、少年はどうもそうする気が全く起きなかった。要領を得ない説明になってしまうが、少女にはもっと特徴的な部分があるような気がした。
住む世界が違う――そんな気がしてならなかないのだ。
碧眼の外国人を見たとき、その人を外国人とは認識せずに、碧眼の人と認識するような微妙にズレた違和感。
しかし、目の前の彼女が外国人であると彼には到底思えなかった。外見的特徴は、日本人のソレから大きく離れているわけだから、外国人で間違いないはずなのに、そうとは思えないのだ。
外国人よりももっと遠い存在に見えて仕方がなかった。
少女はしばらく少年のことをジッと見ていた。彼が彼女のことを分析していたのと同じく、彼女もまた彼のことを分析していたのである。
「――――――――」
「……え?」
彼は、少女が何を言ったのか全く理解できなかった。何かしらの言語であることは間違いないはずだが、彼はそれが何語であるのか分からない。
キョトンとする彼に対し、彼女も訝しそうに眉を寄せた。
少女は思案顔のまま少年の顔を見つめていたが、首を振って、再び顔を合わせた。
今度は少し恥ずかしいのか、彼女の表情は少し赤らんでいる。恥ずかしがるくらいなら、そんなことしなければいいのに、と彼も赤面しながら思った。やがて、決心が付いたのか、彼女はまっすぐに彼を見つめた。
「――――――――?」
何を言ったのか分からない。しかし、何かを訊いているのだと言うことは分かった。そう思った瞬間、彼は自分の名前を答えていた。
「
「――――――キズタ?」
伝わった、と思ったキズタは首を縦に振る。彼女も手応えがあったことに満足したのか、ほっとしたように笑った。
それから、
「――――キズタ……」
と、真剣な表情をした。先程までのものとは少し違っている。キズタはその表情がどう言ったときにするものなのか思い出す。何かを壊してしまった時にする表情だ。
だからきっと、先程の言葉は正しくはこうなるはずだ。
――ごめんなさい、キズタ……。
謝られてしまった以上は、それに答えなくてはなるまい。そう思った彼は、大丈夫であることを示すように数度頷いた。少女は安心したよう微笑んだ。
どこか既視感のある笑顔だとキズタは思った。懐かしくて、心の奥がざわざわと騒ぎ出す。目頭が熱くなってきて、でも、まさか泣くわけにいかないので、彼は堪えた。
いきなりのことに取り乱す少女。あわあわと言い訳をするかのように、彼女は伝わらない言葉を彼に説く。
再度、大丈夫であることを身振り手振りで表す。すると、少女は恐る恐る彼の肩に手を置いた。
何をするのだろうと、思ったのもつかの間。
少女が目を瞑って顔を近づけてきたことによって、キズタは今から何が起るのかを悟った。
生まれてきてからはや十三年。キズタの頭に電撃が走る。痺れてしまったように、動かない頭は流れに逆らうことを良しとしなかった。ゆえに、彼もまた目を閉じた。胸の中で好奇心が踊った。
無意識に、彼の意識は唇に集中する。視覚はもとより、気がつけば聴覚も消えていた。嗅覚が少女との距離を測り、唇に集中した触覚と味覚が少女を迎え撃つ――。
けれども。
キズタが思っている甘くて酸っぱい、おそらくはレモン味の幻想は現実とはならなかった。
今か今かと待ち受けていた彼は、しかし、なかなか彼女が近づいてこないことに違和感を覚えた。
その違和感は、徐々に膨らんでいき、自分が大変な勘違いをしているのではないかと思い至った。考えてみるまでもなく、意思疎通のできない現在、キスをするなんて確約は一つとしてしていない。あくまでも、雰囲気と流れに身を寄せただけである。
ここから導き出される答など、一つしかない。
というか、初対面でキスなどするはずがなかった。
キズタは耳まで顔を赤くしながら目を開ける。無論、その最中で言い訳を重ねたのは言うまでもない。口ごもりながら、目にゴミが入ったと謎の主張を繰り返す、彼の瞳が捉えたのものは口を必死に押さえている少女の姿だった。
「……え?」
素っ頓狂な声が漏れる。
膝立ちになっている彼女の表情は、苦悶に歪んでいた。
反射的に彼は「大丈夫か!?」と声を上げそうになった。意思疎通ができず、意味のないことだというのは十分理解していたが、それでも声をかけずにはいられなかった。しかし、結果だけ見れば、彼が声を上げることなどなかった。それよりも先に、少女の意識が飛んでしまったからだ。
直後、今まで塞き止められていたものが彼女の口から零れた。
その赤い液体が血であることなど、考えるまでもなく分かった。分かってはいたが、倒れた彼女を支えようとしていたキズタにそれを除ける術はなかった。
その結果、「大丈夫か!?」の「だ」の形で停止していたキズタの口に、彼女の血が注がれ、彼は呑み込んでしまった。鉄臭さが鼻孔を刺激する。胃がねじれるような気持ち悪さの中、胃液が出口を求めて食道を逆流した。
とてつもない気持ち悪さがあったが、まさか嘔吐するわけにもいかず、キズタはその不快感に抗った。ここで吐き出したが最後、自分だけではなく目の前の彼女も汚してしまうことになる。それは申し訳なさ過ぎる。
数十秒の拮抗の後、胃液は無事胃へと戻っていった。口の中には不快な苦みが残る。
胸をなで下ろす。最悪な事態を無事回避できた。
そう思った瞬間、彼の右手が熱を帯びた。それはやがて痛みへと変わる。熱したフライパンに誤って触れた時のことを思い出した。ただ一点違うのは、そういう時は鋭い痛みが瞬間的に奔るだけなのに対し、今回のこれはあの痛みが永続するようであった。
痛覚が焼き切れるのではないかと思う中、それよりも先にキズタの意識はブツリと途切れてしまった。
じわりと、彼の右手には赤い紋章が浮かんできたが、彼がそのことに気がつくのは、これからもう数時間程度先のことである。
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